5章 戦火への凪

5章 戦火への凪 01

 一夜明けた街は、領主の館を出て北門へと歩く彼女の思った以上に平静を保っていた。

 昨夜男達が集合した中央広場でも、いつも通りに街の婦人達が集まり井戸端会議に精を出している。

 昨夜の事など何も知らないのかもしれないとも思ったが、自分たちの旦那のことについて知らないということもないだろう。

 なにより、彼女たちの情報収集能力は下手をすれば軍の諜報部よりも優秀だ。

 最も、この街の事に限った話だが。

 そう考えると、もしかしたらこのような状況になることを皆どこか予感していたのかもしれない。

 中央広場を抜け北門側に更に歩くと、彼女の目的地でもある大きな宿が見えてくる。

 タチアナ達一行が宿泊しているはずの宿だ。

 彼女が受付に声を駆けると、受付は少々困ったような顔で


「御一行でしたら用事があると言ってお出かけになりました」


 と、そう告げた。

 その言葉に、はぁぁ、と深くため息をつくと受付に礼を言いその用事とやらに向かった一行を追いかけようと、踵を返す。

 タチアナ達の行き先を告げていない受付が慌てて止めようとするが、彼女はニコリと笑みを浮かべ


「大丈夫です。行き先は分かっていますから」


 そう応える。受付はなんとも不思議そうな顔をしながらも、その言葉に会釈を返すのだった。

 彼女がその心当たりの場所へと到着し、ギィと立て付けの悪い木戸を開けると、店の外まで響いていた大声が余計に大きくなったように感じるのは、その所業が目にもうるさいからだろうか。

 フハハと笑い声を上げながら酒を片手に硬くなった黒パンを頬張るのは、綱を断ち切るナイフ改め、油樽に火を点けた松明、カザルだ。

 同じテーブルにはタチアナ以下二人の姿もある。

 タチアナは少々申し訳無さそうに、エドワードは渋面を浮かべながら、ロンベルは何事も無かったかのように、おなじく黒パンを口に運んでいた。


「フハハハ、やっぱりあるではないかフレアちゃん」

「そいつは街の人の為にとっといた奴さね。感謝して食いな」


 ガツガツと遠慮なく頬張るカザルにはもはや呆れるしか無いのだろう。フレアが肩をすくめながら力なく応える。


「うぅ、なんか悪いッス」


 一方で、手に持つ黒パンとカザルとを交互に見ながらタチアナがバツが悪そうにそうつぶやくと、カザルの対応とは打って代わり、バン!と背中を叩きながらフレアが笑う。


「タチアナにはこれから嫌ほど働いてもらうからねぇ。満足いいくまで…とは行かないが、しっかり食ってもらわないとさね」

「分かったっス。パンの分以上にしっかり働くッスよ」


 文字通り背中を叩かれたタチアナはその言葉に割り切ったのかパクリと黒パンへとかじりついた。

 ダッカスまでの道中でカザルが大食いした結果、持参した食料が無くなってから数えてまる二日ぶりになる食事は硬くなった黒パンでも十分なご馳走だ。

 久しぶりの食事にじわりと唾液が出るのを彼女も感じていた。


「貴重な食料を食い荒らしているところ悪いのだけれど」


 呆れ顔でそう割り込むのは入り口に立ったままのサリアだ。


「今後について話すから、明日は宿で集合と、そう昨夜お話しましたよね?」


 すっかり食事に夢中になっていたタチアナが突然のサリアの登場にむせる中、カザルが悪びれもせず応える。


「飯を食うのに許可はいらんだろう」

「宿には食事を出す様に伝えてあったはずですが?」

「フハハハ、あの程度では足りんぞ」

「なっ、あんたちゃっかり食った後なのかい!?」

「ちょっと私達も知らないッスよそれ!」

「早いもの勝ちというやつだ!」


 フレアの酒場で出された黒パンをぺろりと平らげた後にいけしゃあしゃあと言ってのけるこの男に、もはや怒るのも無駄だろうと、出会って間もないフレアとサリアですら諦め始めていた。


「全く……まともな食事はそれが最後かもしれないというのに」


 頭を抱えながらそう溢すサリアに反応したのはロンベルだ。


「ちょっと待った。確か手この後、街道が安全になったと宣言して早急に食料を買付させるって話じゃ無かったですかぃ?」

「そうも行かなくなったから、ですよ」


 そう告げるサリアの顔に悲痛の色が見えることが、それが事実であるということを如実に示していた。

 それにはさしものカザルもピクリと眉を動かす。


「昨夜捕らえたウルスキア兵から、蜂起の前にすでにアラスタに向けて伝令が出ているという情報を得ました」

「えっ!?あの蜂起を予測してたって事ッスか?」


 タチアナの疑問も最もな話だ。

 昨夜の蜂起は突発的なものだった。

 切っ掛けはウルスキア兵の暴挙にあるとはいえ、それが必ず蜂起に繋がるというわけではない。

 もし、そこまで見込んでの暴挙であったとしたならば、恐らくその行為を命令したであろう防衛隊の隊長への評価を改めねばならないだろう。


「そこがはっきりしていません。どうも部隊員も詳しく理解していないようで、部隊長自らが伝令に出なければならない程の事なのだから、この蜂起の事に違いない、と」

「あ、そういえば酒場の時の偉そうな奴、結局捕まってないッスね」


 昨夜の一連の流れの中で捕縛したウルスキア兵の中に、あの部隊長は居なかった。

 昨夜の段階では北、東どちらの城門も開門しておらず、現在も不審な人物には目を光らせている状況だ。外へと逃げた可能性は無いだろうと思っていた一行だが、まさか伝令に出ていたとは予想外だ。


「まさか、酒場でけちょんけちょんにされたのを上司に泣きつきに行った……なんてことは無いッスよねぇ?」


 むーん、と唸りながらエドワードとロンベルへと視線を向けてみるが、エドワードは腕を組んだまま首を横に振り理解不能と意思を表示し、ロンベルに至っては考えても仕方ないとばかりに肩をすくめて見せた。

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