断章 騒乱の裏で
断章 騒乱の裏で
闇夜の中、一騎の馬が街道をひた走る。
日の落ちる前に駆け出したはずだが気づけばもう辺りは完全に闇に落ちている。
暗がりの街道には明かり一つなく、背後にあるはずのダッカスはもうすでに闇の中に溶けてしまった。
向かうべき場所はこの街道の先、交易都市アラスタだ。
この調子で駆け抜ければ明後日の昼にはアラスタに到着出来るだろう。
一刻も早く、伝えねばならぬ。
手綱を握る、ルイン方面軍第二師団ダッカス防衛隊の隊長を務める男はそう強く思っていた。
思い出すのは僅か半日前の酒場だ。
いつもどおり、目をつけていた美人のいる酒場へと入ったまでは良かった。
その後、あの男に遭遇したのだ。思い出しただけで寒気がする。
その男…いや、男の持つ巨大な剣に、この男は見覚えがあった。
薄っすらと金色を纏う巨大な剣。
酒場では人が担いでいたが、あれは本来マギナギア用の剣のはずだ。
ウルスキア侵攻軍に所属し、リッテンハルト戦線においても前線で戦っていたこの男は、戦場であの金色の剣を見たのだ。間違いなく。
「カルザスト・ルルシェ」
男はそう口にする。
その名はリッテンハルト戦線を戦った者であれば知らぬものはいない。
リッテンハルト王家から直々に賜ったとも噂される紅のマギナギアを駆り、その金色の刃で数多のウルスキア兵を屠っていったリッテンハルトの英雄。
この男もまたリッテンハルト戦線において彼と遭遇し、そして九死に一生を得た人間だ。
当時を思い起こすとぶるりと体が震えるが、それはきっと馬上故の寒さのせいだと、そう思い込まざるを得ない程に男の脳裏に鮮明に刻み込まれている恐怖。
そしてそれと同時に怒りもふつふつと湧き上がってくる。
当時は侵攻軍の中隊長も務めていた男だったが、彼と遭遇し壊滅的打撃を被った責を問われ、ルイン攻略では活躍の場を与えられず、挙げ句ダッカスの防衛隊長などという閑職へと飛ばされてしまったのだ。
あの男さえ居なければ……。
徐々に、思い出す恐怖よりも今湧き上がる怒りの方が強くなっていくのを自らも感じ取っていた。
奴はリッテンハルト戦線の崩壊と共に戦死したという噂を耳にしていたが、あの酒場で奴に再び出会ったのは不運であり、そして幸運でもある。
ウルスキアに大打撃を与えた奴を捕らえることができれば大きな手柄だ。
念の為、街に残してきた防衛隊に奴の捜索を命じてきた。
それで見つかるなら良し。見つからないとしても迂闊には動けなくなるだろう。
リッテンハルト戦線以来の上司でもあるアラスタ領主へ自分が助力を求める間、奴をダッカスに留まらせておけば良いのだ。それだけで、自分の勝利は確定したも同然。
マギナギアを駆る奴は死神だとすら思ったが、今はマギナギアなど持っているはずもない。
どれほどありえない技量を持つ人間であろうとも、巨大な破壊の塊とも言えるマギナギアに生身で対抗するなど出来はしない。
全てにおいて自分が優位にある。恐れる事など何もないのだ。
己を閑職に追いやった男が、今や己の出世の礎となるのだ。これほど愉快なことはない。
「ハッ!」
すっかりと恐怖が消え去った男は、勢い良く手綱を振るう。
その目にはアラスタへと続く街道だけが映っていた。
彼の駆ける街道から外れた場所で、ぼんやりと揺れる野営の明かりにすら気づかな無い程に。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
彼女はバタバタと騒々しく走る音に目を開けた。
気づけばすっかりと日は上っており、普段はこのような事はないのにと、起き抜けに少々の後悔を抱えながらその騒音のする廊下へと視線を向けた。
「サリア!起きておるか!」
彼女の予想通り、騒音を上げて走ってきたのは彼女、サリアの父でありダッカス領主であるダンケン・ボーマンその人だった。
「娘の部屋にノックも無しに入ってくるのは些かデリカシーが無いのではないですか?」
「えぇい、その様な事を言っている場合か!サリア、お前は街の状況を知っているのか!?」
「えぇ勿論、わかっておりますとも」
「いいや分かっておらん!分かっておればこの状況に頭を抱えておるはずだ!ダッカス解放戦線とやらがウルスキア兵を捕縛したというのだぞ!何故この様な事に!」
そうがなり立てるダンケンに思わずサリアは頭を抱える。
自らの父ながら、このダンケンという男の危機感のなさには情けなさすら感じる。
領民からの評判は良くもなく悪くもなく、圧政を強いるわけでは無いが、これと言って良政を行ったわけでもない。恐らく平時であれば無難で安定な領主であったであろう。
だが今の時勢、それだけではダメなのだ。
あれだけの騒ぎが起こっていたにも関わらず、こうして朝になるまで状況を把握することすらできず、あまつさえ何故と言ってみせる、その様な領主では。
「父上、もはやその様な事を気にしている状況ではありません」
「そうだ、そうだとも!一刻も早く首謀者を捕まえ、アラスタへと使者を送らねばならんのだ!」
そう叫ぶダンケンに、サリアは小さくため息をつく。
そうだ、ウルスキアが侵攻してきた1年前もこうであった。あまりにも軟弱すぎるその考え方は時に正しいのかもしれないが、この状況ですらその考えから抜け出せない弱腰は致命的だ。
故に、サリアは父である領主へと伝える事なく、あの蜂起を率いる事にしたのだ。
「首謀者は私ですが、私を突き出すのですか?」
そうこともなげに語るサリアに、ダンケンは思わず絶句してしまう。
「父上はご存じないようですのでお教えします」
「な、なんだ」
「もはや事態は止められません。ダッカスはウルスキアと戦うしか道は無いのです。それはウルスキアの手の者に街道を荒らされたその時から、すでに避けることはできないものだったのです」
「ウル……なん……」
一度に複数の、彼にとっては衝撃の事実を叩きつけられ、もはやろくに言葉を紡ぐことすらできない。
「この際ですので、はっきりと申し上げます」
「な、にを、だ」
混乱する頭の中で、絞り出す様に漸く口にしたのはそれだけだった。
「父上は良き為政者であったと思います。が、この状況に対応できないのであれば、是非その席を譲っていただきたいのです」
「な、ば、馬鹿な、ことを」
「それとも、父上がこの状況を治める事が出来ると?」
「そ、れは……」
言いよどむダンケンに対し、サリアは今度こそ失望の念を抱いた。
仮に強がりであったとしても、治めると言いのけられるだけの度量と度胸があるのであればまだ望みはあっただろうに…と。
「……何も隠居しろ、というわけではありませんよ、父上。少なくともこの戦乱が治まるまで、私に全てを委ねていただきたいのです」
果たしてその時が来るのがいつになるのか、それはサリアとて分からない。
いっそのこと隠居しろという方が手っ取り早いのかもしれないが、哀れにも20そこそこの小娘を前に狼狽える父を見て、そこまで言い放つ事はサリアにはできなかった。
「わ、わかった……お前に任せよう……」
カクンと力なく項垂れた父を尻目に、サリアは窓の外へと視線を向けた。
まだいつもの朝と変わりないその光景を見納めるかのように。
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