第19話 風呂上がりの浴衣に下着を付ける派? 戦争だ!

 修学旅行二日目、俺は朝から宿舎の食堂で変な議論に巻き込まれていた。

 コーンスープを飲みながら朝の目覚めを優雅に飾るのが難しくなってしまった理由は、香夜かやが昨夜送ってきた写真が原因だ。

 写真に写るのは香夜とまゆが風呂上がりで浴衣を着ている姿だった。

 それ自体はなんらおかしなことではないだろう。

 しかし、問題は見えない部分にあるのだ。


「やっぱり、浴衣でも下着は付けないと危ないよ。れんくんだって、大事な彼女がポロリしたらイヤだよね?」

「ああ、俺以外に見たやつがいたら卒倒そっとうする」

「ほら~」


 議論の内容は、浴衣でも下着を付けるか否かという、男子の俺には縁のないと思っていたことだった。

 この是非について、香夜と繭が争ってしまっているらしい。

 しかし、原因は俺だともいえる……少し気になって、その時に下着を着用していたのか訊いてしまったのが火種になった。

 結局、写真に写る彼女が着用しているのかどうか答えてもらえず、俺はどちら側にも肯定の意を示す優柔不断なイエスマンと化している。


「蓮くんは見たいんですよ。そうですよね?」

「まあ、ポロリに憧れがないと言ったら嘘になるよな」

「それに加えて背徳感はいとくかんも味わえるので、一石二鳥です」

「一括りに女の子がみんな露出好きみたいな言い方やめた方がいいよ?」

「そんな言い方していませんよね? 繭ちゃんには素質があるって話です」


 二人のせめいに収拾がつかないが、これはもしかして、俺の判断を待っているのだろうか。

 付けない方が嬉しいって言ったら、繭も諦めて従うのかな。


「本当に素質があるにしても、昨夜に押し倒してきたときはビビったよ? やりすぎだったと思う」

「気のせいですね。はだけた姿を見たかっただけで、浴衣に手は触れていない筈です」

「押し倒したのは否定しないのか……」

「ま、まあ、素質云々はさておき、普通に気になりませんか? 下着」


 バターをバゲットに塗っていると、如実に具体的な内容になっていって、気まずい。

 話に入りたいけど、どっちかに味方するしかなくなるんだよなぁ。


「ならない。香夜ちゃんには判らないの? 胸が小さいと、そんなに擦れないんだからブラなんて気にならないよ」

「胸の話でいうのなら、逆にいらないと思います。邪魔ですよ」

「透けるほうが問題だよ!」

「それで、蓮くんはどう思いますか?」


 俺の手にあるバゲットの一切れを奪われて、二人の目線が集まった。

 女の子の問題なんて、判る訳ないだろ……女装趣味とか疑われている?


「え、俺にはわかんねぇよ。付けたことないし、感覚なんて判らないだろ?」

「なら、繭ちゃんの浴衣ポロリを見たいですか?」

「見たい」

「狡くない? それ以外の選択肢ないよね。卑怯だよ!」

「負け犬の遠吠えですね。今日は下着なし決定です」


 あ、昨日は結局付けたのか。

 ここまで言うからには、俺はポロリを体験できるのだろうか。


「まあ、あれだ……頑張れ」

「蓮くん!? 見たいだけだよね? 酷いよ」

「わかったよ。香夜、やめてやってくれ。どうせ、俺が見る機会あっても写真で間接的になるだろうしさ」


 俺も香夜に加勢すれば、繭はやってくれそうな気もするけど、不憫ふびんに思えてきた。

 俺は二人の彼氏だから、平等を重んじようと、欲求に耐えた。

 しかし、香夜は織り込み済みだったのか即座に応えた。


「何言っているんですか? 蓮くんは今日部屋に来てください」

「はあ? どうして、そうなった!」

「昨日、夜の見回りを監視していたら、そこまで真剣でないことがわかりました。少し騒いでも部屋まで入ってきません」


 夜に何故、そんな奇行に走ったのかはさておき、今日は宿舎が違うのだから、宛にならないだろう。

 正直、俺が簡単に行ける状況ではあっても、他の男子も行こうと思えば行ける状況に納得がいかなかった。


「それって、女子としては怯えるべきことだろうが。なんで嬉しそうに言うんだよ」

「蓮くんが来ることができるからに決まっているじゃないですか。ほら、心配ごとはなくなりましたが?」

「問題しかないだろ。大体、そっちの部屋班だって4人じゃないのか?」


 香夜と繭が了承したとして、残りの女子2名が嫌がるんじゃないか? 最悪の場合、教師に突き出されるか、叫ばれるだろう。

 いぶかしげにいてみれば、流石にそこまで頭が回っていなかったのか、香夜は数秒考えている様子を見せた。


「まあ、その場で説得すればいいじゃないですか。ねえ、繭ちゃん?」

「自然な流れで私がポロリすることになっていないかな?」

「もう諦めてください」

「いや、でも繭が可哀想だし、やめておこうぜ」

「蓮くん優しい!」


 繭が眩いほど輝く笑顔を浮かべ、俺を悩殺してきた。

 彼女自身は香夜には何度も言い負かされているから、庇った俺への感謝だけで頭がいっぱいなのだろう。

 純粋な気持ちほどストレートに伝わるものだ……繭の感激に、俺まで感極まった。


「見たいって言ったのは、蓮くんのくせに裏切るなんて酷いです」

「香夜ちゃんが勝手に話進めていたよね!?」

「降参です。蓮くんがそう言うなら、仕方ないですね」


 俺が繭を尊重すると、香夜はあっさりと折れてくれたお陰で解決した。

 少し香夜に悪いことをしてしまったかもしれない。

 いつまでも俺が香夜に手を出さないから、今回は絶好のシチュエーションだと考えたのだろうね。

 でも、三人で幸せになれないなら、それはダメだよ。


「ごめんな。俺が見たいって言ったから、本気になってくれたんだよな」


 拗ねた香夜の頭を撫でて謝ると、香夜は自分で人かじりしたバゲットの一切れを俺に差し出した。

 間接キス……よりも一段上の何か疚しいことにしか思えないが、慰めるつもりで頂いた。


「……許します」


 すぐに香夜の機嫌が良くなって、やっと俺達は仲睦まじい食事を再開した。

 とは言っても、そこまで時間に余裕があるわけではなかった。

 短い時間もまた愛おしいが、この後には長い時間を楽しめることに心躍る。


 二日目の自由行動の時間がやってきた。

 今日のルートはある程度時間の余裕があるので、しおりとは別のプランを用意した。


「この時間、最後のプランなんですけど、蓮くんの撮影したような景色を見たいので、変更しますね?」

「いいよ。特に行きたい場所は……あった?」

「ない。そも、夕方に潰れる予定ってないだろ」

「そうですね。余る時間の方が多そうですけど、綺麗な景色に浸っていれば時間なんて過ぎますよ」


 時間に余裕があるのか、打算したところで仕方ない。

 最後の予定だから、帰るのに遅れる懸念があるというのは理解できるが、謝罪で済むならそれもやむを得ないと思う。


 外へ出るタイミング、二人と合流すれば、彼女達の服装を二度目してしまった。

 一日目を踏まえて荷物を少なくしたり、服装を軽いものにしたりしているようだ。

 それでも、彼女達のしなやかなコーデで身なりが整っているのは、彼氏として誇らしい長所だ。


 その後は、前日と比べても自由で気ままな時間を過ごしたと思う。

 途中、こいに餌を与えることを体験して、予定がまた変更してしまったが、それもまた写真に残せば、良い思い出だと見返せた。

 時間の進みは速いけれど、如実に増えていく写真の数が、充実を感じさせた。


 そして、夕方最後の予定を迎えた。

 向かった場所は鴨川……デートスポットとしても有名で、俺達の修学旅行終盤を飾るのに相応しいと思った。

 流れる水の音を聴きながら、俺達は三人で土手に小さなレジャーシートを広げて座った。

 最初は無言で、疲れを解すように寄り添い合う俺達は、温まった身体に涼しさをたしなんだ。


「写真、最後は最高のものにしたいので、蓮くんが撮ってくれませんか?」

「幾つか撮れば良くないか? メモリいっぱい?」

「違いますけど、まずは言う通りにしてください」


 雰囲気に水を差してしまったのかと思ったが、逆っぽい。

 香夜にしては珍しくムードに飲まれてしまったようだ。


「繭ちゃん眠そうですけど、大丈夫ですか?」

「眩しかっただけだから、大丈夫。あの夕焼け、このままバックにする?」

「どちらも撮ればいいよ」

「繭ちゃん、やっぱり眠かったんですね~」


 さっきの会話を聞いて入ればそんな質問は出ないから、と香夜がまた煽る。

 繭は膨れっ面を見せて、言い返さず、俺にしっかりと密着してきた。


「じゃあ、撮るぞ」

「1足す1は、ってやりますか?」

「急に小学生みたいなこと言われると笑うんだけど……」


 俺は、その瞬間シャッターを押した。

 純粋に笑っている二人の姿が、夕焼けを背後に記録された。


「もう一回ね!」

「何回でも撮るぞ」


 三人以外でも、ツーショットをもう一人に撮ってもらうなどして、束の間にも感じられる長い時間を、写真に収めた。


「これは……PCのデスクトップにしますか」

「それいいね! 私もそうする。他にもSNSのアイコンとか……は、危ないかな?」

「SNSの種類によるんじゃないかな」

「それも、そうね。気を付ける」

「あの、少しだけ降りてきますね」


 何十枚か撮影して、香夜に返すと、川の方へと向かった。

 先ほどから目線が何処かに奪われている事は判っていたので、特に不思議はなかったが、行き先を見て納得した。


「どこ行くの? おー……」

「いや、多分あれを撮りたいんだろ。声が大きいと逃げてしまいそうだ」


 繭が大声で呼びかけようとするのを止めた。

 何をするのか、繭と一緒に観察していると、川の中央にゴロゴロと転がっている石の一つにいるかもの姿があった。

 鴨川という呼び名の通り、本当にいることを知って関心を引かれたからなのか、香夜の挙動を見つめて離さない。

 鴨が逃げるにしても、川に浮かび泳ぐのだろうけど、香夜が撮りたい一枚は石の上の鴨なんだろう。

 香夜はデジカメで捉えながら、少しずつ静かに近づきシャッターチャンスを伺っていた。

 シャッター音を切ればいいのだが、そこは何の拘りかしなくて、香夜は、たった一度にすべてを賭けているような真剣な表情を浮かべていた。

 俺は少し心配になって静かに近づくと、足元に気付かなそうな香夜を見て一気に抑えに駆けた。


「香夜!」

「なっ……ッ!」


 俺は香夜が転びそうになったのを庇うように、身体を無理矢理前に押し出した。

 咄嗟とっさの行動の中で頭にあったのは、香夜を守ることと、

 思っていたよりも浅瀬だったからか、ドボンというような音ではなく、どさりという音が小さく俺の身体を伝い響いた。

 香夜は俺の上に転び、飛び出したデジカメをキャッチした。


「痛っ……じゃない。香夜、大丈夫か?」

「蓮くん!」


 香夜は何が起こったのか困惑し口を噤んで、近づく繭のやけに大きな声が耳に響いた。

 第一声を間違えてしまったが、何とか立て直し香夜に声をかけた。

 後ろから川を泳いできた鴨が横目に見えて、心配してくれるように見つめてきているようだった。


「蓮……くん……あっ、あああ、ありがとう! デジカメ……手から放して、零れ落ちちゃう気がして……何もかも全部水の泡に」

「安心しろ。ちゃんと掴んだから、全部ここにあるから」


 このカメラに内蔵されたSDカードは、スマホに転送できるものではないから、もしもデジカメごと水に落としてしまったら……そんな懸念が最初に渦巻いたのだろう。

 俺だって同じ思いだから、どちらも救う事を選んだのだ。

 俺だけでなく、三人の大事な思い出だから、誰一人悲しませないようにしたくて、そんな一心で動かした手が救ってくれた。

 香夜かや一人に集中しなかった事を、非情だと思う自分もいたが、ポジティブ思考を展開すれば、


 駆け寄るまゆが腰を低くして、まずは香夜を支えながら立ち上げた。

 しかし、腰が抜けていたのか地上にしゃがんでしまう。


「蓮くん大丈夫? 思いっきり、痛いって言っていたよね」

「ごめんなさい。かばってくれたんだから、私こそ心配すべきなところで……蓮くんこそ大丈夫ですか?」

「大丈夫。繭、デジカメ先に仕舞ってくれ」

「平気なフリして変に見栄を張らなくていいから。まずは水から出ないと、風邪ひいちゃうよ!」


 繭は自ら川に足を突っ込んで、俺を起き上がらせようと支えてくれた。

 ちゃんとデジカメを先に回収してくれたので、俺は水に濡れて少し重くなった腰を持ち上げた。

 香夜は水に浸かっていなかったが、俺が落ちた事による跳ね返りで少し肩が濡れ、垂れた水分が少しだけライムグリーンの下着色を透かしていた。

 浴衣でなくても、今日の服装は動きやすさを重視した薄着だから、水には弱かったようだ。


「下着が透けるところまでは許せるけど、こんなポロリは起きても嬉しくないな」

「え? あっ……ど、どうしましょう」

「私の薄いカーディガン一応持ってきたから、それで隠せる筈だよ。緑色で良かったね」

「ありがとう、繭ちゃん。ごめんなさい、下着がなかったら……もっと恥ずかしい思いをしていました」

「うん。怖かったんだよね。落ち着いて、香夜ちゃん。私の胸でいいなら、貸すからさ」


 そこは、俺の役目だと思うが、二人の朝から議論していたことを思い出し、繭に包まれる香夜を微笑ましく見守った。

 といっても、俺も濡れっぱなしは落ち着かないので、早く宿舎へと急ぎたかった。

 もう集合時間も近いし、大きな荷物さえあれば、すぐに着替えられる。

 少しだけこの時間が名残惜しいけれど、こうなってしまった以上は行かざるを得ないと考えたが、次の瞬間、香夜が吃驚し、声を上げた。


「え!? ちゃんと、撮れていますよ!」

「本当だ。必死だったから気付かなかったけど、良かったな」


 香夜がデジカメの画面を見せて、渡してきた。

 幸いにも、転ぶ一瞬で反射的に指を押してしまったのだろう。

 そして、俺がデジカメを返そうとした瞬間、再び俺に抱き着いてきた。


「蓮くん大好き! 私の撮りたかったもの、欲しかったもの全部手に入りました!」

「お、おう……俺濡れてるから、くっ付いているとみるぞ」


 香夜が俺の胸元に顔を擦り付けてくる。

 その部分に滲む感覚が伝わってきて、香夜が涙を流している事に気が付いた。

 余程嬉しかったのだろうけど、お互いに濡らし合う形になってしまった。

 落ち着くまで、香夜の頭を撫でながらそのままでいると、繭が話しかけてきた。


「まあ、蓮くんかっこよかったし、香夜ちゃんの気持ちわかってあげて」

「繭まで……本当はもう少し香夜のこと抱きしめたかったんじゃないのか?」

「もう満喫した。蓮くんは……案外平気なの?」

「ああ。元々身体は丈夫だし、浅いけど浮力で衝撃があまりなかったみたい」

「じゃあ、後で痛いって言いだしたら、今度は介抱してあげるね」

「助かるよ」


 香夜が俺から離れた後、繭に渡されたポケットティッシュで鼻をかんで完全に大人しくなった。

 帰り道、香夜はとても申し訳なさそうに俺の方をチラチラと伺ってきた。


「腰なら、平気だぞ。本当に痛くない」

「そうじゃなくて……ですね、お見苦しい姿を見せてしまったので……」

「え~? 偶には香夜ちゃんも子供っぽいところ見せてくれないとね」

「蓮くんも、そう思いますか?」

「どんな香夜でも、俺は大好きだから、そこは恋人として信じてくれよ」

「……はい!」


 再び涙腺るいせんが緩んだのか、目元が完全にうるんでいたけれど、微かな黄昏の茜色が燦然さんぜんと映り、これまでで一番良い笑顔を浮かべた。

 無意識に手に持っていたデジカメを向けていたよ。

 まだ朦朧もうろうする部分があるのか、香夜は反応するのに遅れて、純粋な一枚を激写した。

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