天使の分け前と悪魔の取り分※

薄暗い円卓の部屋で、死神たちが静かに顔を突き合わせていた。


「あと百年だな……」

低い声で一人の死神が呟いた。


「短いようで、長いようでもある。が、確実に時は迫っている」

別の死神が言葉を継ぐ。


死神たちは全員、地球の未来を知っていた。観測された小惑星の軌道は揺るぎなく、百年後には必ずその破滅的な一撃が降り注ぐことが定められている。人類存続の危機。その瞬間のビジョンを、彼らはすでに共有していた。


「それにしても皮肉な話だ」

骨の顔に薄笑いを滲ませながら、一人が言った。

「あの石ころに奴らがどれだけ足掻こうと、もはや地球は抗えぬ運命なのだからな。そこで今回の議題だが、その後の果実をどう分かつかだ。人類の一大事に於ける魂の収穫──天使と悪魔、それぞれの取り高を予測してくれ」


「おいおい、それが容易でないことは分かっているだろう?」

別の死神が問いかける。

「人間にとっての百年は永い、人類の在り方は大きく変わるかもしれない。我らの見立てさえも、大きく外れ得る」


沈黙が続く。誰もが卓上の青白い炎の揺らぎを見つめている。


「それ以上に難しい」

最も若い死神と見られる者が口を開いた。

「考えてみろ。そのうち人間たちは、移住、或いは、小惑星の衝突を防ぐ努力を始める……」


「そんなことはわかっている」

苛立ちを隠せぬ者が遮る。

「成功して長寿を得るか、それとも無為に滅ぶか、我らにはどちらでも構わぬ話。所詮人類の半数以上の魂が、こちら側にあるのは決まっているのだよ」


「そういう話ではない」

若き死神は首を振った。

「その過程が問題なのだ。滅亡が迫る不安と恐怖、絶望の中で、どれだけ多くの人間が善行を成すか、あるいは逆に邪悪に堕ちるか。我々にとってもかつてない状況下で、天使と悪魔の収穫を予測するのだから」


卓の他の死神たちは、その言葉に短く頷く。本質的な問題はそれに尽きる。


「我らは如何に振る舞う?」

問いが投げかけられる。

「均衡を図るのが死神の勤め。このままではその瞬間まで答えは出ない」


一同が黙り込む。


「では……」

沈黙の中、長老と呼ばれる死神が腰を上げ、静かに提案を始めた。

「こうしたらどうか。天使と悪魔双方に、今の段階での『見込み』を求めるのだ。これにより、両者ともに人間の未来に手を出すだろう」


死神たちはその提案に考えを巡らせた。


「面白い!」

長い鎌を持った死神が賛同する。

「その過程で彼らがどれだけ干渉するかも観察の一環となる。見込み、否、目論見ともいうべきそれに従い、天使は説教で導き、悪魔は甘言を耳元で囁くのだ」


一同が頷く。


「よし、決定だ。我らは中立として淡々と記録だけを続ける」

長老の死神が結論を下した。その声の響きには、微かな威厳が漂っている。

「天使の分け前と悪魔の取り分──裁きが下るのは百年後だ。果たして天使と悪魔、どちらが地球最後の日に正しい分配を勝ち取るか」


「魂の争奪戦。そいつは誰にも分からない」

若い死神が声を漏らした。



百年後、その日は訪れた。

火星への移住計画は完璧とは言えなかった。実行出来たのは全人類の半数にも充たなかったのだ。


『機は熟したり──』


死神たちは予定通り、地球に取り残された人々総ての魂を回収し、円卓に並べた。その数は膨大で、奇妙に偏っていた。


「面白い結果が出たな」

長老の死神が集計を眺めながら静かに言った。

「天使の石版に刻まれた魂は少なく、悪魔の石版は満杯だ」


「それも当然だ」

鎌を持つ死神が言った。

「人間どもは最後の瞬間まで争い続けた。善行などはごく僅か。悪魔の誘導が勝ったということだ。天使は祈れば救われるの一点張り、かたや悪魔は、契約すれば望みが叶うと嘯いた。結果は明らかだ」


「だとしても……」

若い死神がふっと息をつきながら応えた。

「本来我々は、天使と悪魔、双方の間を取り持つ役割だったが、これでは悪魔の取り分に偏りすぎる。彼らが干渉した時点で責任は問われぬが、これでは天使が納得しまい」


「ならば、均衡を図る」

長老の目がキラリと光る。

部屋の片隅に放置されていた天使の石版に触れると、彼はその中央に小さな文字を一つだけ刻んだ。


──想うことを知らず──


「これこそが、天使への分け前」

長老は、意味ありげに皆に目を向けた。


「上手い! 天使どもの、なんと浅はかなことよ」


鎌の死神の嘲笑に一同がつられる。


「人の心とは儚いものだ。長い年月を掛けたあげく、善意は知らぬ間に『蒸発』してしまったのだ」

長老が諭すように言う。


「なるほど、かわりに悪意が『染み込んだ』ということか……」

若い死神は妙に納得した。





・・・


タイトルについて──


天使の分け前 (Angel's Share)

ウイスキーなどが樽の中で熟成している間、アルコール分や水分が蒸発して減少する現象を指します。天使がウイスキーを飲んでしまったから減ったのだという言い伝えから、この名前がつけられました。

悪魔の取り分 (Devil's Cut)

熟成が終わり、樽から酒を抜いた後、樽の木材に浸み込んだアルコール分を指します。樽に水を入れて振ると、このアルコール分を取り出すことができる場合があります。


《参考音源》

ラクリモサ

https://youtu.be/G2_0Tn1dGmo?si=QHDz73qt-gIGm86l

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