068 第31話。最終兵器と休憩と
本エッセイは拙著「1945」作品の最新話のネタバレを多分に含みます。エッセイの副題もしくはエッセイ冒頭の表記話数をまずご確認いただき、ご自身の読書進捗度と照らし合わせて読み進めるか止めるかを予めご判断ください。
では、以下から新規部分です。どうぞ。
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今日までに第31話まで進みました。
ついに炸裂してしまいました最終兵器。
あの夏休みの宿題で必ず1ページか2ページある原爆の記載が嫌で嫌で。また今年も載っていたなとゲンナリするおれごん小学生でありました。それに対し、この年にして正面から向き合ってみたくなったのです。
私は4/12に陸海空その他の戦力の存在を肯定したいと書きました。ですがもちろん西暦世界での使用に関しては看過できません。あくまで物語世界の中で。
当然その他にはABCも含まれ、Aが早速第1話で登場しましたが、敢えて火中の栗を拾いに行ったのにまさか炎上すらもさせてもらえないとは。
『けしからん!』とのお叱りの言葉をこそ待っていました。正直なところそのような方にもこの物語をお届けしたいのです。
時速200キロを出せる車を製造販売してもいいのです。それを運転手が出さなければ。
危険物であるガソリンを販売してもいいのです。それを草刈機に用いるのであれば。
日本では銃や核を所有できませんが、合法で所有できる国はあるのです。使用は決して許されませんが。
ケシやトリカブトは普通に野山に生えているそうじゃないですか。それを食べたり食べさせたりしなければそこに存在してもいいのです。
要は使う人次第なのですよ。
車は安全な速度で走りましょう。
ガソリンは自動車や草刈り機に。
毒草は野に咲くままに。
核兵器は将来隕石が地球に衝突する危機で軌道変更に使ってください。映画のように。
威力に関してはもう上げない方がいいところまで1960年代ですでに達しています。昨今の電子回路の発達で誘導機器の性能は日進月歩になりました。あとは隕石を観測して日時や方角を知り、ミサイルに搭載して打ち上げるだけ。きっと成功しますよ、私は信じています。
物は存在するだけでは決して罪にはならないのですよ。物には罪がありません。罪があるのはそれを禁止された国で製造や所持した人、あるいは禁止されていない国で使用した人、厳密には使用を許可した人です。
広島に関しての私の見解は、エノラゲイの乗員にはなんら罪はなく、トルーマン大統領にその責はあると位置づけています。そもそも戦時国際法では軍事施設でない一般の都市への空爆は禁止ですからね。事前に実験して、あんなに効果範囲があることを把握していたのであれば言い逃れは本来できないはずなのです。例え対枢軸国であっても戦時国際法違反は適用されるべき。
しかし超法規的な戦時下にあっては、結局誰にも罰は生じませんでした。罪はあれど所在はあやふやです。
誰とは言及しませんが、彼が紺碧の艦隊でやり込められているのを観るのは複雑ではあるものの胸がすく思いがしました。彼にも、彼の国にも事情があったとは思いますけどね。
それに原子力そのものを恨んでも始まりません。私たちは主に発電やレントゲン、心臓のペースメーカーなどでその恩恵を日々受けています。原子力とは切っても切り離せないのが現代の生活。
包丁で知己の方を失ったのなら、包丁全てを恨まなければならなくなります。それでは明日から魚を捌けません。次の日から日本刀を使いますか? 過去千年の間には確実にご先祖さまの血縁者で日本刀の錆になった方も居られると思いますけど。
交通事故に遭ったなら、明日から車に乗れません。
その上で刃物や車を使う人達を敵視しなければなりません。あれらが過去にどれだけ人々を屠って来たか。血を吸ってきたか。明らかにそれらは核兵器よりも多数の人を殺傷しています。
声高に多寡を論じても仕方ありませんね。要は兵器、あるいは人の生み出した道具は、氷の棒でもジュースの瓶でも掃除用洗剤を混ぜるだけでも人を殺しうるのです。リビングのクッションですら濡らしたり革製だったりするだけで十分に凶器たり得る。
少し脱線しましたが、たとえ核兵器であっても道具として、道具単体で捉えて拙作を読んでいただきたいのです。
ではどのような状況下であればそれを使うのが容認されるのか。
結局は使う側の問題。包丁であろうが自動車であろうが、使う人が使い道を誤れば悲劇を生みます。間違ってはならないのは、包丁も自動車も本来の使い道がきちんと別にあること。
一方で兵器は元々悲劇を量産させるために存在する異端なもの。兵器は威嚇という側面もあるものの、唯一の機能は動物を殺傷するというただ一点のみ。
私はそれをふまえてすら肯定したいと言いました。どう扱えば人々のポジティブな存在となり得るのか。
それはこの世界が他からの侵略に際して限りない劣勢を強いられている状況に限られます。人対人ではただの戦争ですからね。そこで外界からの人類以外の侵略を。それも知性を持たない相手に限ります。その状態に陥ってしまえば一転、裏返って兵器は初めて人々の希望たり得るのです。
物語の中で人類はおよそ滅亡しました。残されたわずかな人々が遺された兵器を地球外侵略者に対してのみ行使するのは赦されないことでしょうか。物語の中でですよ? 私は赦されると判断して第1話に上げました。
まさか批判も巻き起こらないほど読まれないとは考えもしませんでしたけどね!
最終兵器は大量破壊兵器です。文字通りの最終兵器ですから、もっともっと配慮がされて然るべき。劇中で止むなく使うにしても、それが仕方なくの行動であるべき。それも通常兵器が通用せず、外圧に屈する形で人類の存亡が危ぶまれるほどの状況でなら使ってもいいと考えました。
それでも主人公たちの核の使用は躊躇われるべきであろうとのご意見はあるでしょう。ですが使うべき時を逸してしまえば、それが度を越えて取り返しがつかなくなることもあるはずなのです。それが行使された場合とされない場合とで、どのように結果が異なるかにはよく精査されるべきですね。
残念ながらそうして物語世界の中でも最終兵器は作られ使用されてしまいました。しかし、それは誰一人として人類を殺傷することはなかったのです。
言わば巨大な異世界の生物に対する最後の人類の抵抗でした。脆弱で吹けば飛ぶような人類の唯一の抵抗でした。
この世界では人に仇なすために使われることはついになかったのです。むしろ人類存続についてプラスの働きを。西暦では忌むべき存在も、酉暦では人類の唯一の希望になったのです。
止まりました連続投稿が。
走り続けて疲れたのです。年末ですし、ここのところ体調も優れなくて。それで投稿に関してはドーンとお休みをいただきました。その分でふだん我慢してきたことやなおざりになっていたことをできました。
積みゲーは元より、積読や積アニメをこの機会に堪能しました。かれこれ2年は離れていましたからね。ひまをみつけては調べものと執筆でしたから。ちょっと異常でしたよね。
この作品を最後まで投稿し終えたらまた楽しみましょうか。
今日からまた机に座ります。
ただし、まだ『1945』には手をつけられない感じです。まずこのエッセイでお詫びを。その後は手をつけられないでいる短編を2つ着手します。
短編はとりあえず手をつけるだけつけて、どちらも1月中の完成を目指します。最初に2000~3000字書いて、最終的に5000~10000字で完結。その2000~3000字をまずこの数日で書きます。
今作はそれから。なぜそんな遠回りをするかというと、私自身がそこに踏み込むのに躊躇しているからです。
第32話から先で一番の鬱展開が待っているのです。読むだけで疲れますから。疲れ切ったおれごんでは太刀打ちできないのです。それで書きたくなるまで力を貯めていました。
この執筆を一切しない1週間で疲れを取りました。
次にこのエッセイと短編でウォームアップを。
それから鬱展開と対峙しましょう。穢れは今年のうちに落としておきたい思いもありますからね、年明けには最終局面入りしたいところですが果たして。
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