28

 随分とリークストリートが近くなってきたころ、ロックウッドのスマホが鳴った。

 彼は電話に出ると、声には出さないが「うげー」という顔をする。数分煩わしそうに言葉を交わした後、ロックウッドは通話を切った。


「悪いリーサ。黒人でゲイのユダヤ人から、モデルをしに家に来いって催促の電話がかかってきやがった。こっちは仕事終わりだってのに。しかも女を送ってる最中って言ったら『知るか』だとよ、さすがゲイだぜ。というわけですまないが――」


 リーサはため息をついた。


「分かった。ここからアパートまでそう遠くは無いし、実はこっちはこっちでアパートの近くに車止めてあるから大丈夫。行ってあげて」

「悪いな。今度会うことがあったら埋め合わせするよ」

「期待してる」


 ロックウッドが路肩に車を止めると、リーサはバタバタしながらロックウッドに口座を教える。

 振り込みが完了した。

 リーサは降車すると、改めてロックウッドに礼を言う。いよいよすべてが終わった。それは他ならぬロックウッドのおかげだ。そう思うと言わずにはいられない。いくら言っても足りはしない。


「……今日は、本当にありがとう。言葉ではあらわせないくらい――本当にありがとう」

「いいってことよ」

「……ねえ、本当にキスだけで良かったの? 私――」

「いいや、十分すぎるくらいだ。――こっちこそ礼を言わせてくれ。リーサが居なければ、俺の方こそ今頃生きていなかった。何度も死と隣り合わせになったが、君が居たから何とかなった」


 ロックウッドはニヤリと笑ってサムズアップした。返さなければ。リーサも無理にでも笑ってサムズアップをする。

 ロックウッドは車を発進させた。

 あっという間に見えなくなってしまう。風のように去っていった。今日の激動の一日のように。気が付いたらもう終わってしまっている。残った静けさがやけに目立った。


 立ち尽くしていても仕方がない。リーサは一歩踏み出した。

 アパートに続く歩道を少し歩いて、ふとリーサは気付いた。

 そういえばロックウッドの連絡先を聞いていない。最後はバタバタしてうっかり忘れてしまった。もしかしたら、もう二度と会うことは無いのかもしれない。埋め合わせの約束も――。

 そう考えるとリーサはまた寂しい気持ちになった。


「今度はいつ会えるかな……」

「それはお前の返答次第だ」


 リーサがぽつりとつぶやいたとき、背中に硬いものがグリと押し付けられる感触を覚えた。リーサは息をのんだ。恐らく、察せられる形状からして――拳銃だろう。後ろからした声は女のもので、リーサには何となく聞き覚えのある声だった。


「振り向くな。両手を挙げろ」


 正体が誰か確認しようとすると、女はそう言って銃を背中に押し付ける力を強くする。この状況では従う外はない。リーサは女の言う通りに両手を頭の位置まで上げた。


「ランドン、質問に答えてもらおうか?」


 何とも物騒な相手だが――。


「……ランドンって男の名前でしょ? 人違いじゃない?」


 リーサは適当な返事をぶつけ考える時間を稼ぐ。女の狙いは何か、そして何者であるか。

 ランドンに用があるということは、この女は命か設計図のどちらかに用があるということだ。

 前者であればこの女はリーサを始末するためのキングスの回し者。

 後者だった場合もキングスの手の者である可能性は残るが、どこからか情報を仕入れた別の組織の手の者である可能性も浮上する。

 いや、そもそもなぜこの女はランドンが――リーサが生きていると知っている? そして何故、この姿のリーサがランドンであると見当を付けられたのだ?


「とぼけても無駄だ。私はさっきお前が小鳥から変身するところを見ている。――設計図がどこにあるか吐け。私がお前をすぐにでも撃ち殺さないのは、お前が万が一設計図を面倒なところに隠していた場合のときを考えてのことだ」


 女は背中の拳銃をリーサに意識させながらさらに続ける。


「だが、それはお前の命を絶対に保証するものと考えないでもらいたい。こちらは、最悪お前を殺してから探すこともできるのだからな」


 全てが上手く終わったと思ったのに、最後の最後でこの状況。リーサは頭を抱えそうになる。しかし、ここまで来たのだ。最後の最後で死んでたまるか。

 リーサは気持ちを切り替えこの危機を脱する策を必死に考える。ああ、どうしてロックウッドが居ないんだ。


「私をあまり待たせないでほしい。余計なことを考えず、賢明な判断を期待する」


 女はまた、背中にゴリと拳銃をねじ込むように押し付ける。これ以上待たせると本当に撃たれる。リーサは直感で感じた。

 早く設計図を差し出さなければ殺させる。差し出しても殺されるかもしれないが、逃げる隙くらいは作れるかもしれない。この際この女の素性は置いておいて、そんな分のいい賭けをするのがベターに思える――苦渋の決断ではあるが……。


 ……いや、本当にそれでいいのか。リーサは定まりかけた考えの流れを断ち切る。

 何を弱気になっている。自分の夢を、なぜ自分がここに居るのかを忘れたのか。覚悟を決めたじゃないか。設計図は何人にも渡してはいけないのだ。ハナから選択肢に上がることすらないはずだろう。

 ――リチャード、勇気を分けて。

 できればそばに居て欲しかった。だが今は何を言っても一人。やるしかない。やるしかないのだ、ロックウッドが居なくとも。

 リーサはおもむろに口を開いた。


「……分かった。観念するわ」

「協力に感謝しよう」

「設計図は金庫に入ってる――あなたが知ってるかどうか知らないけど、私、サンダースに用事があったんだけど、その時身体検査でもされたら大変だから隠しておいたの」

「そして用が済んだ今取りに来た、ということか」

「そういうこと」


 もちろんこれは嘘である。今持っているなどと言えば即、殺されてしまいかねない。リーサは息をのむ。果たしてこの嘘が通用するか。


「……念のため確認しておくか」


 しかし、女は用心深い。女はそう言ってリーサのスカートのポケットに手を突っ込む。そして中身を掴んで引っ張り出した。出てきたものは――。


「車のキーか……。反対側のポケットにはハンカチだけ……。本当なのか……?」


 まさか本当にロックウッドの言うことが当たるとは思わなかった、とリーサは内心驚く。

 リーサのマイクロフィルムの隠し場所、それは無論金庫ではなく胸の谷間。

 リーサはロックウッドに感謝した。あの時はふざけているのかスケベ心かと疑ったが、従っておいて良かった。

 どうやらこの場はうまく乗り切れそうだ。リーサはふうっと息を吐いた。


「だが、金庫の鍵がないようだが?」


 女は当然の疑問を口にする。リーサは一瞬ドキリとしたが、すぐさま返答した。


「金庫のロックは声紋認証、つまり私の声で開くの。それ以外に鍵は無いわ」


 すると女は、少し考えるような間の後に言った。


「……分かった。では金庫まで案内しろ。だが、その前に武器を渡しておいてもらおうか」


 マズい。ここにきて誤魔化すことのできない具体的な行動の指示が出されてしまった。これはリーサに避ける術はない。

 リーサの拳銃はスカートの下、右太ももにバンドで固定されている。これを差し出してしまっては、リーサはこの女に対抗できなくなってしまう。

 リーサの超能力は強力だが速効性がない。一対一でこれだけ接近されてしまっては無力に等しい。

 つまり――拳銃を渡せないのなら、ここで仕掛けるしかない。


 リーサは意を決した。拳銃を差し出すふりをして仕掛ける。

 しかし、仕掛けるとは?

 銃口を突きつけるだけか?

 それとも撃つのか?

 殺すのか? 

 リーサはロックウッドの言葉を思い出す。人殺しは人殺しの役目だ。人殺しは決して褒められたものではない。

 この一線、後戻りはできない。怖い。越えてしまったらどうなるのか。自身の死とはまた別の人殺しの恐怖。


 いや――。

 リーサは再び思い出す。あの覚悟を。

 ロックウッドには悪いがこの場はあの言葉を忘れる。

 私は人を殺す。キングスに入ることを決めたあの時から、その覚悟は――とうの昔に決まっていた。


「……分かった。武器を捨てるわ」


 リーサはスカートを少しまくり、バンドに挟まった拳銃を抜き取ろうと軽く前に屈む。

 直後、バネの反動のごとき勢いで体を後ろに逸らせ、女に後頭部の頭突きをお見舞いさせた。

 リーサは確かな手応えを覚えた。瞬時に横に飛び、一回転しながら銃を抜き、女に銃口を向ける。


「惜しかったな」


 しかし、一瞬向こうの方が早かった。リーサが銃を持つ腕を上げきるより前に、女の拳銃はハッキリとリーサの眉間を捉えていた。


「狙いは良かったが……普段の鍛え方が足りなかったな」


 見上げ睨むリーサに対し、女は垂れる鼻血を拭うことなく淡々と言う。表情も眉一つ動かさない。――リーサの攻撃は失敗に終わった。


「……私が言うのもなんだけど、鼻血くらい拭いたら?」

「お前が銃を捨ててからにするよ」


 リーサは諦めずどうにか隙を作ろうとするが、この女には通じないのか。


「さあ、早く捨てろ。私が撃てないと思っているのならそれは勘違いだ。多少手間が増えるだけ――私はお前を躊躇なく殺せる」


 しかし、そう言われてもリーサはその手から銃を手放さなかった。

 意地だった。どうしても父と同じ夢を叶えることをリーサは諦められなかった。

 女はリーサの内心を察したかのように薄く笑った。


「では、望み通りにしてやろう」


 女は引き金に指をかける。

 このまま死ぬか。助かるには神にでも縋るしかないか。いや、自分一人の今、突破口を開いてくれるのは己だけだ。

 リーサはじっと睨むように相手を見つめた。気持ちが、瞬きさえさせなかった。

 その瞬間銃声が彼方から鳴ったかと思うと、女の握っていた銃が弾き飛ばされた。女は血の滴る右手を左手で庇う。まさか――。

 二人ともが、銃声のした方角を向いた。


「俺が付いてるって言ったろ?」


 リーサを助けたのは神ではなかった。奴は風とともに現れた。

 そこに立っていたのはお馴染みロックウッドだった。なんとも悠然たる立ち姿は、今リーサを助けに駆け付けたようには全く見えない。


「リチャード!」

「ロックウッド!?」


 リーサと女は思わず彼の名を呼んだ。


「このパターンもいい加減飽きてきたかリーサ?」

「……いいえ。まったく!」


 リーサは顔をほころばせた。嬉しい誤算。彼の存在を忘れていたわけではない。むしろ忘れたときなど無かった。

 しかし、去ってしまった彼がまた戻って来るなどあり得ないと思っていた。

 そうだ、何故ロックウッドはこれ以上ないタイミングで戻ってこられたのだ?



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