12


 駐車が済んで二人は車を降りた。

 ロックウッドはこの数分常に神経を集中させていたが、リーサは特に何もしてこなかった。ずっと腕を組み、先を見つめるばかりであった。


「カフェにでも行こう。落ち着いて話ができる」

「……分かった」


 検索で近場のカフェを知ると、そこへ向かうことにした。

 歩道を歩く。ロックウッドは決してリーサの先を歩かないよう気を付ける。人通りの多い通りだが、できるだけ横に居るよう心掛ける。

 二人の間に会話はない。ロックウッドはカフェに着くまでの時間を思索に当てることにした。

 リーサはさっき俺に能力を使おうと思えば使えたはず。しかし使わなかった。ならばやはりリーサがアーチボルドに垂れ込んだというのは俺の考えすぎで、あれはバリモアに予知されていたと考えるべきなのだろうか。

 だとしても、それが最後の最後まで俺を裏切らないという根拠にはならない。少なくとも今はまだ利用価値があるというのは間違いないらしいが。ったく、俺はいつからこんなに小心者になっちまったのかねえ。


「――ねえ、ちょっと」


 考えを巡らせていると肩をポンポンと叩かれた。


「あいつよ」


 リーサは腕を伸ばして進行方向を指している。あれだけご立腹だったのに急に何事だ。

 促されてロックウッドはリーサの指す方をじっと見る。向こうから歩いてくる人間はおそらく違うだろう。しかし自分たちと同じ進行方向の人間だけでも何人も居る。


「ああ、確かにあの姉ちゃん結構いい尻してるな」

「ふざけてる場合? そっちじゃなくてさらに向こう。……アーチボルドよ」


 リーサが口にしたのは賞金首の名前だった。ロックウッドが仕留めたはずの。ロックウッドは耳を疑った。本当に?

 ロックウッドは改めて前方を確認し直す。目を凝らして、いい尻をした女のさらに向こうを見る。

 すると信じられない事だが15メートルほど先にアーチボルドは居た。あの後ろ姿はアーチボルドに違いない。そういえばアーチボルドの後ろ姿なんて見たことあったか? ……いや、アレは紛れもなくアーチボルドの後ろ姿だ。


「だが信じられん。奴は確かに俺が倒した……」

「きっと本体は別の所に居たのよ」


 ロックウッドから乾いた笑いが出た。あれだけ苦労して実は倒せていなかったなんてことがあるか。ロックウッドの矜持に少しばかり傷がついた。

 だが、本体が別に居たとなれば納得いくことも出てくる。廃ビルでの最後、余裕がないというのに逃げずに浅はかな手に出たのは、あそこで失敗したとしても本体が無事だったからなのだ。

 しかし、なんであれこれはリベンジのチャンスだとロックウッドは捉えた。

 予想外の遭遇だが、飛んで火に入る夏の虫。ロックウッドは思わず気持ちが昂った。間抜けな男だアーチボルド!

 ロックウッドはバッグに手を伸ばした。

 しかし、ファスナーを開けると銃を取り出すことなくすぐにまた閉じてしまった。


「どうして?」


 リーサは不思議がっているというよりは、焦り交じりに問いただす。ロックウッドは首を横に振った。


「ここは人が多い。俺が外すなんてことは万が一にもあり得ないが、最悪の場合は考えとかないといかん」


 さすがにもう少し近づかないと、突如射線上に関係ない人間が入ってしまう可能性がある。さらにロックウッドは続ける。


「それに、あんな無防備に目の前に現れるなんて何かあると思わないか? 罠かもしれん」


 これは何もロックウッドの気が小さいというわけではない。先ほどの一戦を踏まえての事だった。用心に越したことは無い。


「でも向こうはこっちの姿を知らないはずよ」

「いや、俺の方はバレてる。それで君はその姿をあいつらに晒したことはないんだな?」

「え、ええ、そうよ。……ちょっと待って。バレてるってどういうこと?」

「アーチボルドは俺の名を呼んだ」


 その理由は……。


「そんな、バレるはずは……でも、だからって指を咥えて見てろって言うの? この距離じゃ私の能力は届かないの」


 リーサは不満げにロックウッドの腕を掴んだ。

 しかしどうなんだ。リーサの方だって肝心な時に頼りにならない。この距離で相手を亀にでも変身させられたら、罠なんて関係ないというのに。ロックウッドの姿を能力で変えるというのも、時間がかかるからできない。

 もっとも、ロックウッドはあまりリーサを頼るつもりはなかった。自分の分は自らの手で稼ぐ。それもまたロックウッドの主義だった。

 だが確かに、リーサの言う通り罠でなければチャンスには違いない。


「分かった。様子を見ながら少しずつ近づこう」


 リーサは観念したという風に首を縦に振った。

 何とか折り合いがついたところで、二人はアーチボルドに気付かれないように、ごく自然な範囲で歩くペースを上げる。

 アーチボルドはまったく二人に気付いた様子を見せない。もくもくと前を向いて歩くのみだ。

 ロックウッドは、考えが段々と罠の方からチャンスの方へと寄っていった。そして、寧ろ罠でないとしたら、何故こんな所を歩いているのかと考えた時、ロックウッドは今自分の取っている行動が悠長であると気付いた。

 アーチボルドは仲間と合流しようとしているのではないか。

 市の端、サンダースが作った壁際を歩いているのだったら、脱出を試みていると見ることもできるが、こんな所を歩いているなんてそうとしか考えられなくなってきた。

 しかし、この足を今よりさらに早くしては、アーチボルドに気付かれてしまうかもしれない。ロックウッドは歯ぎしりしながらも堪えた。




 ――――ようやくだ。ようやくロックウッドは、アーチボルドまであと5メートルという距離まで迫れた。

 ロックウッドはバッグに手を伸ばす。あと少し、あと2メートルほどまで差を詰めれば誰も間には割り込めない。鉛球を容赦なくぶち込んでやる。たとえ背中からだろうと。

 しかし、突然アーチボルドは走り出した。

 ――気付かれた!? いや罠か!? 振り向きもしないでどうやってこちらに気が付いた!?

 いくつかの考えがロックウッドの頭を駆ける。だが小難しく考えている暇はない。それを見たリーサがアーチボルドを追って走り出してしまった。

 ロックウッドは直ちに狙いを付けようとするが、間にリーサが入って邪魔になった。


「クソッ」


 もちろんチャンスは見逃せない。リーサを見捨てることもできない。

 焦りと怒りを覚えながらロックウッドも二人を追って走り出した。通行人たちは驚いたり、迷惑そうな顔で彼らを睨んだ。

 ロックウッドには、このような事態になっても遠くから撃つという選択肢はやはりなかった。

 しかし逃走劇はそう長くは続かなかった。

 アーチボルドは横道に駆け込んだ。リーサもそれに続く。

 対してロックウッドはすぐには横道に入らなかった。いつものようにスピーディーにスマホのカメラを使って様子をうかがう。

 人通りのない細い路地。リーサとアーチボルドは向かい合い、少しの距離を置いてにらみ合っている。他に人は居ない。

 何故アーチボルドは逃げるのをやめたのか。よく見ると路地の先は行き止まりになっていた。アーチボルドの表情から余裕の色をうかがうことができないので、意図して誘い込んだというわけではなさそうだった。

 ロックウッドはリーサの援護をするため、銃をバッグから取り出し路地に踏み込んだ。リーサの一歩前に躍り出る。


「袋の鼠だな、アーチボルド」


 ロックウッドが銃を向けると、アーチボルドは悔しそうに顔をゆがめ舌打ちした。ここなら他人を気にする必要はない。二人の間は10メートルほど。これ以上近づかなくとも撃つことができる。

 分身する間を与えることなく、ロックウッドは三度引き金を引いた。

 弾丸は全てアーチボルドの胴体に吸い込まれていく。――終わった。今度こそアーチボルドを仕留めたと思った。

 しかし、目の前のアーチボルドはピンピンしているではないか。傷も、血が流れた跡も何一つない。

 ロックウッドは瞬きした。目を擦った。そして目を凝らした。しかし、依然そこには無傷のアーチボルドが屹立していた。

 外した? この俺が?

 汗が額を伝った。信じられなかった。

 まさか自分がこんな失態をやらかすとは。変身して身長が変わってしまったせいで感覚が狂ったのか。確かに弾丸がアーチボルドに命中するのを見たはずなのに。


 だが、いつまでもショックを受けている場合ではない。ロックウッドは再び銃を構え直した。今度は絶対に外さないように左手を添える。


 次の瞬間、ロックウッドの手の中に愛用の銃は無かった。


 後ろに居たはずのリーサがロックウッドのすぐ横に居る。リーサは拾った銃の銃口をロックウッドのこめかみに突き付ける。

 ロックウッドは一瞬状況を飲み込めなかった。今何が起こったのか、数秒前のことを思い出す必要があるほどだった。幸い思い出すのに時間はかからなかった。


 確かに、目の前の女は俺の手から銃を叩き落したのだ。


「早撃ちのロックウッドを倒すには、銃を奪うのが一番だと思ってね」


 ――やられた。

 この際ロックウッドは、リーサの真の狙いや、何故このタイミングで裏切ったのかということは置いておくことにした。

 まずはこの危機的状況を脱しなければならない。リーサに対して必要なのは疑問を解消するための質問などではなく、力を伴った攻撃に他はない。

 ロックウッドは格闘術にも多少の心得があった。ロックウッドはリーサの隙を探る。


 だが残念に思わずにはいられない。

 あの面白そうな話は嘘だったことになるし、こんな美人とおさらばしないといけないのだ。


 しかし次の瞬間、銃声が細い路地に響き渡った。




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