第5章 秀郷奇襲 2
一方、下野国府を通過した秀郷らの軍勢は下総と国境を接する結城・猿島方面を目指して馬を進めていた。
集結の際に度々妨害を受けたという将門勢とは対照的にこちらはこれと言った足止めもなく順調という他ない行軍であり、行く先々で熱い歓待を受けるばかりでなく、取り立てて召集を掛けずとも続々と討伐軍に志願を申し出る者達が後を絶たず、当初三千余りであった配下の軍勢は四千を優に超えるほどに膨れ上がていたのである。
「将門勢の蹂躙を受けた地である故、彼奴に恨みを抱いている者らは多いにしても、間もなく耕作に手のかかる時分にこれほど自ずから兵が集ってくるとは、いったいどういう事じゃ?」
疑問を口にする貞盛に、馬上で相変わらずの薄ら笑いを浮かべながら秀郷が答える。
「はは、確かに貴殿にはピンと来ぬかもしれぬのう。こ奴らの家や糧を奪われ焼かれた戦の炎は未だこ奴らの胸の内で身を焦がし続けているという事じゃ。ほれ、貴殿の弟君や常陸の御曹司に同じく問いかけてみるがよい。俺なぞよりも余程的を得た答えを返してくれるであろうよ。肉親を奪われ生活の全てを失った人間の恨みつらみというものは、受けた当人にしかわからぬ。人の憎しみの炎というものは端からでは測り難いものじゃ。明日の糧より目先の仇をと人の目を暗くしてしまう。だから戦は無くならぬのじゃ。まことに人間とは愚かで哀しいものよな。まあ貴殿は余程稀有な人柄であるということよ」
「長口舌痛み入るが、要はこ奴ら将門憎さに田畑の耕作どころではない、ということか」
うんざりしたように要約を返す貞盛に再び秀郷は笑って返した。
「とはいえ兵力増員は願ってもないこと。あの将門相手となればいくら兵が増えても増えすぎて困るという事はあるまい。大切に大切に扱ってやらねばなるまいて」
「はっ、我が精鋭達や下野国府の騎馬を常陸那珂で捨て駒にした男が良く言えたものじゃ!」
と、じろりと睨みつける。
「待て待て、此処から先は連携が肝心ぞ? 今からそのように因縁を吹っ掛けられては勝てる戦も勝てぬではないか――」
貞盛を宥めようとする割には軽薄な口振りの秀郷のすぐ耳元をヒュ、と矢羽根の音が掠める。
「うむっ⁉」
「御館様⁉ ――ぎゃっ!」
咄嗟に身構える秀郷の傍に慌てて駆け寄った従卒が脛を射られて蹲った。
「大丈夫か秀郷殿っ!」
「敵襲! 敵襲っ!」
流石の貞盛たちも顔色を変えて馬を寄せ、他の従卒達も全軍へ声高に警告を発した。
俄かに走る緊張の中、すぐさま本隊を護るようにぐるりと盾隊が取り囲み、騎馬らが周囲に目を光らせる。
「……今ので打ち止めか。俺を狙って射掛けてきおった」
今までの人を食った表情から一変して眉間に険しい皴を寄せて弓手の居所を探る秀郷に、「いたぞ、あそこじゃ!」と指さし叫ぶ者がいる。
見れば、遥か向こうの丘陵に騎馬と思しき影が三騎、既にここから走り去ろうとしているところであった。
「ええい、くそっ! 直ちに引っ捕らえて参れ!」
「ああ、あの足の速さでは追っても追いつけぬ。只の乗り手ではないな」
怒りに任せて怒鳴り声を上げる為憲であったが、射掛けられた当の本人はこれといった感もなさそうに呟くばかりであった。
そこに、怪我をした従卒の手当てをしていた兵士の一人が怯えの入り混じった報告を伝えに来た。
「御館様、只今矢を受けた者の様子が尋常ではありませぬ!」
「なに?」
馬を降りて駆け寄ると、痙攣する身体を数人がかりで押さえつけられた従卒が、紫色に変色した顔を苦悶に歪め口から泡を噴きながら悶絶していた。
「おい、しっかりせんか! それ、見てみい、浅い矢傷じゃ!」
「もしや神経に障ったか? たまに傷は浅くとも錯乱する奴はおるが」
励まそうとする者、不安そうに首を傾げる者らの介抱の甲斐なくすぐに従卒はこと切れた。
「そんな、足を射られただけでコロリとくたばるとは……一体何じゃこの矢は!」
蒼白になった兵士の一人が動かなくなった従卒の足から矢を抜こうとするのを「待て!」と秀郷が鋭く制した。
「その矢を抜くならくれぐれも鏃に触れるなよ。これは猛烈な毒矢じゃ」
「毒矢ですと⁉ おのれ卑劣な手を!」
憤慨する兵士達を余所に、しゃがみ込んでまじまじと矢を見つめる秀郷の元に貞盛たちも歩み寄る。
「敵は毒矢を使ってくるか。厄介なことになるな」
「そうじゃな。これは非常に厄介な相手じゃ……」
貞盛の言葉も上の空に、秀郷はぶつぶつと独り言を呟く。
「鴉羽の黒い矢羽根、先程の弓手の馬の足の速さ……間違いない、今の斥候は百足の一味じゃ。百足が将門に加勢しておる」
この言葉に繁盛が目を剥いた。
「百足だと? 貴殿が討ち亡ぼした化け物のことか? 以前貴殿が語ったところによると、中央の命令で討伐された只の人間だとのことだが、こんな物騒な矢を用いてくる連中か?」
「しかし、おかしいではないか。百足は貴殿が近江の地で根絶やしにしたというはず。それが何故こんなところに突拍子もなく姿を見せてくるのか」
「天孫降臨以前から日ノ本に巣食っていたと言われる古の民じゃ。そう簡単に根絶やしになどできるものかよ。今でもそこら中に隠れ潜んでいるだろうて」
疑問を投げかける為憲に対し、普段なら皮肉の一つでも飛ばしてくるところであろうが、秀郷は厳しい面持ちを崩さぬまま顎を撫でながら死骸に刺さった矢を見つめながら返した。
やがて立ち上がると、険しい眼差しを三人に向ける。
「……お若い方々よ。国境を越えたら、一旦陣を四つに分けるぞ。相手は相当手強い上、この秀郷への怨み骨髄ときておる。下手を打てば初手から崩れることとなるぞ!」
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