第1章 野本の合戦 6


 陣の外から剣戟と怒号が聞こえてくるのを認めた扶が歓喜を抑えきれぬ様子で号令を上げた。

「見よや、僦馬の連中が将門奴を見つけたようじゃぞ! 者共、弓掛けの用意を致せ!」


 

 扶方の匍匐兵による撹乱、更に四方から騎馬による奇襲を繰り出す異様の敵兵に翻弄され、将門勢は方々の茂みに追いやられながらも何とか巻き返しを試みていた。

「一体何じゃ、この覆面の奴らは⁉ こんなすばしっこい連中が源氏の手勢におるとは聞いておらぬぞ!」

 鍔迫り合いに持ち込めば力押しで切り崩せると押し込み掛かるが、相手もそれを見越してか、なかなか間合いに留まらぬ。

「くそっ……このっ!」

「ぎゃああっ⁉」

 埒が明かぬと将門が繰り出した捨て身の突きが覆面の兵士の胸を突き破り、悲鳴を上げて膝をついた。

「っ! おまえ……?」

「う……く、けほ」

 戸惑いの声を上げる将門の前で、自身の身体に突き刺さった鉾に手を伸ばしかけた小柄な兵士が、がくりと首を垂れて絶命した。

「兄上、無事か⁉」

 弟の呼びかけに、深く息を吐きながら将門が答える。

「だいぶ手こずったが無事じゃ。そっちはどうじゃ?」

「なんの、軽い掠り傷じゃ。敵も討ち取った」

 その声に安堵した将門が辺りを見回す。

 未だに止まぬ覆面の者達を相手に奮戦する遂高や経明達、真樹、白氏や郎党らの剣戟が聞こえる。

「美那緒……美那緒は何処じゃ?」

 慄然として将門は顔色を変えた。


 ――美那緒の姿が見当たらぬ!



 視界の利かぬ葦原での相打ちを危ぶんでか、将門方の兵達は端から弓を用いず近接戦闘で応戦していた。

(ほう、戦を知っておる相手じゃ)

 この時代の武芸の基本は騎射三物といわれており、武器の主要は弓であった。未だ大陸の洗練された兵法も一般的に浸透していないため、戦い方ははどうしても慣習に陥りがちである。にもかかわらず弓矢頼み一辺倒に偏らず、状況に応じ得物を変えて迎撃に応じるとは機微を弁えている。

(敵の大将、将門といったか……)

 感心しながら鉾を手に徒で葦原を音もなく分け入っていた頭目が、ふと足を止める。

「……隠れておっても無駄じゃ」

 ばっ、と茂みから飛び出した美那緒が振るう白刃を紙一重で躱す。

「御前様!」

 遅れて茂みから這い出てきた萩野が主を庇うように縋り付いた。

「萩野、お前は逃げて!」

 相手を強く睨みつけ懐刀を構えたまま侍女に呼び掛けるが、萩野は泣きじゃくりながら首を振る。

「死んでも御前様から離れませぬ!」

 主従の遣り取りに、思わず頭目は頬を緩ませた。

「は、お前が源氏の御曹司が言っていた将門の女房か!」

 これはついている。生かして捕らえれば褒美に色が加わるぞ!

 内心ほくそ笑みながら美那緒を見つめていた頭目であったが、その目がみるみるうちに驚愕に見開かれる。


「……お前は――⁉」


「賊奴! 美那緒から離れよ‼」


「っ⁉」

 突如横合いから斬りかかってきた将門の太刀を咄嗟に鉾で払うが、余りの斬撃に鉾が弾き上げられ、踏鞴を踏んだ頭目は二三歩よろめき尻餅をついた。

(……何という一撃じゃ、この俺が踏鞴を踏むとは!)

 鮮やかな一太刀に身を庇うことも忘れ、頭目は言葉を失い将門を刮目する。

(それに何という見事な二頭筋じゃ! それに三角筋、前腕二頭筋も! あのような逞しい腕で繰り出される斬撃をまともに受けたとしたら――嗚呼っ!)

 覆面の下で頭目が頬を上気させる。何やら怪しい雲行きである。

「美那緒、無事か!」

 それには目もくれずに馬から飛び降り妻の元へ駆け寄る若侍の後ろ姿を、地べたにへたり込んだまま呆然と見つめていた頭目がふと声を上げた。

「……将門、思い出した。俺はお前のことを知っているぞ!」

 美那緒の無事を確かめた将門が怒りの込もった眼差しで頭目を振り返った。

「俺はお前のことなど知らぬ。会うたこともないわ!」

 刃を光らせる将門に対し、頭目も立ち上がりながら鉾を構える。

「主様!」

「下がっておれ!」

 美那緒達を背後に守りながら、ぎりりと柄を握り締める。

「貴様等、さては噂に聞く僦馬の一味か!」

 恐らく扶が雇ったか。油断ならぬ相手であることは先程の格闘は勿論の事、以前京で滝口警護の職に就いていた時に聞き及んでもいた。どんな手を使ってくるか知れぬ。

 ざわざわと周囲の葦が風に波打った。

 その音を耳にしてハッとしたように頭目が呟いた。


「風が――」


「お頭ァっ!」

 その時、頭目の馬を釣れた配下の騎馬がこちらを呼びかけながら近づいてきた。

「ちぃっ! 新手が出たか!」

 思わず将門が悪態吐く。流石の将門といえども、徒で騎馬を相手にしては勝ち目がない。万事休すである。

「萩野、早く逃げなさい!」

「嫌でございます! うわあああん!」

 いよいよ絶体絶命と見て美那緒は頭目に小刀を向けたまま声を荒げるが、侍女は女主にしがみついたまま涙に咽びながら叫んだ。

 しかし、頭目は配下が駆け寄るのを見て取ると、鉾を下ろして将門へ背を向けた。

「おい?」

 怪訝な表情を浮かべる将門へ、鉾を肩に担ぎ上げた頭目がチラリと振り返り告げた。

「我らはここで手を引く。……この勝負、預け置くぞ」

 そこへ、息せき切って駆け付けた配下の騎馬が馬上から報告する。

「お頭、本陣が一斉掃射の用意を始めたようだぜ。巻き込まれねェうちにトンズラしねえと――て、おい、こいつらは⁉」

「構うな。退くぞ」

 頭目と向かい合っていた相手の素性に気づいた配下が仰天しているのを他所に、頭目は馬に跨ると口笛を鳴らし他の配下達を率いて去っていった。


「……お頭、良いのかよ。あいつらとっ捕まえて本陣に突き出せば褒美は天井知らずだぜ?」

「この仕事はこれで仕舞いじゃ。首をいくら手土産にしたところで褒美にはもうありつけぬ」

 馬を並べながら腹の底から名残惜し気な配下に、素っ気なく頭目が答える。


「風向きが変わった。――源氏は負ける」



「殿、御無事か⁉」

 引き上げていく黒裏頭の一党らを油断なく見送っていた将門の元に遂高達が駆け寄って来た。

「あの黒覆面の連中、引き揚げていきましたな。大事ござらぬか?」

「心配はいらぬ。美那緒達も無事じゃ。皆はどうか?」

「幾人か損なったものの、態勢は崩れておりませぬ。それよりも、敵陣が弓手を正面に動かし始めておりますぞ!」

 顔を向けると、盾を担いだ歩射兵らがぞろぞろと陣幕の最前へ布陣し、その背後へ騎射兵が弓を手に馬を並べ始めていた。

 辺りを見回すと、襲撃をやり過ごした将門の部下や真樹とその郎党らが騎乗し自軍の態勢を整えつつあった。

 一際強い風が枯野の葉を鳴らす。

(追い風か。……勝機あったぞ!)

 一人頷くと将門は吠えるような声で配下に号令を放った。

「総員弓の用意を致せ!」

 


「兄ちゃん、僦馬の連中が引き揚げていきますぜ」

 たった今まで乱戦を繰り広げていた葦原から四方八方に散って去っていく黒僦馬らを指さす弟に扶は頷いて見せる。

「将門一味を炙り出してくれただけでも十全じゃ、ようやってくれたわ! 茂よ、弓手の用意は整っておるか?」

 兄の確認に「応!」と答える茂が将門らの一陣を仰ぎ見る。その視線の先では雌伏の構えを解いた将門勢が藪の中から続々と姿を曝け出し攻撃の態勢を取り始めていた。

「彼奴等も騎射の陣形を取りつつありまする」

「面白い。ならば将門奴と弓比べじゃ!」

 愉快そうに肩を揺らす扶が、俄かに強まる北西の風に馬の鬣を靡かせながら太刀を振り上げる。

「我らは弓手だけでも優に敵の十倍以上じゃ。一人残らず五体の形を保てぬほどに射潰してしまえ。間違っても姫には当てるなよ! ――撃ち方用意!」



「殿、一番二番撃ち方用意宜しい!」

 早くも奇襲の混乱から立ち直った将門勢は騎射を前列に横列隊形を組み、前後二段構えに居並び弓を構えた。

経明の報告に配下達を見渡した将門が敵陣弓隊を強く睨み据えながら頷く。

「宜候。――一番より構え!」


 双方が号令を発したのはほぼ同時であった。



「――撃ちィ方始めっ!」「放てェっ!」


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