立方体
「ああ、疲れた。歩くことがこんなに疲れることだなんて女と出会ったばかりのあの頃は知らなかった。もう止まってしまおう。どこに向かった歩いているかもわかりゃしないんだ。」
木にもたれて眠りにつこうとした。しかし、とある思考が眠りを妨げた。
もしかしたら俺は歩かなくてもいいのかもしれない。これからは走ったり、スキップをしたり、時には道に寝転んでいびきをかいて眠るのもいい。そう考えるとこの森を進むことが楽しいことのように思えてきた。
「俺は自由なんだ。」
そう気づいてからは、歩きたい時は歩き、食べたい時は果実をむしり、眠りたい時は横になった。自由というものは、局部に突き刺さったガラス片も、足元から繋がったパイプも、胸にまっすぐ突き刺さる赤黒い剣も、ひとときの間忘れさせてくれた。
その自由な時間は
「やあ、僕は美しいだろう」という声で中断させられた。声をかけてきたものは四角く切り揃えられた立方体だった。
「美しいもんか。ただの立方体がなぜ美しいんだ」
「見なよ、この綺麗な形を」
「ところどころ血が滲んでいるではないか。汚らしい。それでお前はなんの用だ。」
「ああ、君も立方体にならないか?周りを見てごらんよ」
見渡すと、至る所に立方体があった。形は一緒だが、血の滲み方はそれぞれ違うようだ。
「断る。俺は自由に進むんだ。この足でな。」
「そうかい、それは残念だよ。」
「ああ、悪いな。」
立方体たちを無視して進んだ。自由に愉快に進んだ。
今まで、どうしてこうしてこなかったのだろう。女も紳士もかえると鶏もこうすればよかったんだ。
そう考えていると立方体が追いついて近づいてきた。
「見てられないな。君はその局部と胸から出ている血は拭かないのか。その痩せこけた体は?それをどうにかしようとなぜ思わない。君も切り揃えられると楽になるぞ。」
「嫌だね。俺はこのままでいい。」
「そうか。それでも尚、君の進み方は気に食わないね。」
話しかけてきた立方体の後ろから綺麗に整列したたくさんの立方体が現れた。
合図のようなものを一人の立方体が出すと、五つの立方体が解け始め、鎖の形になった。
その五つの鎖はそれぞれ、両手、両足、胴へとまとわりついた。
「はっ、進めないようにするのなら一緒に縛ったらどうだ。これじゃ俺は進み続けられるぞ。」
鎖は、動きに制限がないように、独立してそれぞれ体にまとわりついていた。
「君を進めなくしようとしているわけではない。しかし、立方体にはなりたくないという。ならばせめて歩調は合わせてもらいたいものだね。」
そういうと、立方体はどこからか歯車を取り出して、俺の臍の裏側の位置にあたる背中へ埋め込んだ。
五つの鎖の一端がその歯車に結びつくと、歯車がゆっくりと動き出す。
「なんだこれは」
そう言った時には、俺に話しかけてきた立方体は、列に入ったのかいなくなっていた。
ぎぎぎぎという音を立てて歯車が動いている。
その音とともに俺の体は歩いていた。自由を手にする前と同じ速さ、同じ歩幅。
それに伴って、俺の体中にある傷が再度痛み始めた。
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