第20話 飛鳥と美雨と帰宅後と

「あーあ。どしたの美雨ちゃん。死んだ魚のようになっちゃって」

 時刻は19時30分。右手にバイオリンケースを持って帰宅した飛鳥はこんな声をかけていた。

 ソファーにうつ伏せ。脱力した状態でテレビを見続けている美雨に向かって。


「って、本当に顔が疲れてるね……。あ、ほっぺ触っていい? 今プニってなってるから」

「……だめ」

「私もダメ」

 うつ伏せで顔を横にしているからか、頬に盛り上がりができている美雨。否定するも強引突破する飛鳥は人差し指でツンツンと突いて柔らかさを実感している。

 この間、睨むように視線を動かす美雨だが、攻撃行動と言えばそれだけ。体は全く動いていない。されるがままであった。


「えぇ……。美雨ってばそんなに疲れてるの? マッサージしようか?」

「おねえちゃんは痛くするからいい」

「今の状態を見たらさすがに意地悪はできないよ。変に負担はかけたくないし」

 そう言って荷物を床に置いた飛鳥は、マッサージしやすい位置に動く。美雨の体勢を見て肩に伸ばして手をふくらはぎまで下ろすと優しく揉んでいくのだ。

「ぅ、ありがと……。でもなんか、優しくて怖い」

「失礼な妹だなぁ。飛鳥おねえちゃんは優しいんだぞ? それでこんなに疲れてどうしたの?」

 心配する気持ちが伝わったのか、美雨は渋ることもなくなにがあったのかを伝える。


「ん。今日ね、たくさん質問されたの……」

「質問? あー、なるほど。もうわかったよ。それでこんな風になっちゃったのか」

「うん」

「私のところにもいろいろ来たよ。『美雨ちゃんが彼氏を作って密会してたー』とか。その相手って純さんでしょ?」

「うん……」

 この姉妹にとって異性として浮かぶのは純だけ。飛鳥はパーティーで知り合った異性と連絡先は交換しているが、ただそれだけ。


「それでちゃんと誤解は解けた? 解けたならもう明日からは大丈夫だとは思うけど」

「解くことできなかった……」

「へ゛?」

「恥ずかしいことたくさん聞かれたから。て、手は繋いだとか、キ、キスはしたとか……そんなこと言われて……」

 このワードを口に出しただけで耳が赤くなっている美雨を見て大きな息を吐く飛鳥だ。

 こんな様子を誰だってこうなってしまうだろう。


「美雨さぁん。それはさすがに純粋ウブ過ぎじゃない? ……え、えっちなこと聞かれたら言えなくなるのはわかるけど、手を繋いだとか聞かれたくらいでそれは。普通は小学校、中学校で経験することなのに」

「そんなこと言って、おねえちゃんだって男の人と手を繋いだことないくせに……」

「あ、ありますけど?」

「小さい頃にパパとでしょ?」

「……すみません。見栄を張りました」

 マッサージの途中だが、どうしても顔を合わせたかったのだろう。むくりと起き上がってジト目を作った妹に言い負かされる姉。

 仮に二人が女子校ではなく、共学校に通っていたらもっと別のやり取りがされていただろう。男が放っておかない容姿に性格をしている姉妹なのだから。


「ま、まぁ……。話を戻すけど恥ずかしいことを言われた結果、誤解を解くことができなかったと」

「うん……。ちゃんと否定したのに、照れ隠ししてるって言われて……」

「もしかしてだけど、手で顔を隠したりした?」

「した……よ? 顔が赤くなってるのわかったから」

 美雨の性格からすれば仕方のない反応だが、これは悪手である。


「んー。そんなことしたら照れ隠ししてるって思われても仕方ないよ。その状況だとしたら『文化祭に呼んでよ』ってことも言われたでしょ?」

「言われた。みんなキャーキャーしてた……」

「私たちは全然実感ないけど、この家柄ってすごいらしいからね……。そのお相手ってなれば期待値は上がるよね」

「っ」

 その通りだと言わんばかりに息を呑んだ美雨。


「ちなみに文化祭には招待するつもりなの?」

「ううん、呼ばない。純さんが迷惑すると思うから」

「もったいない……。それじゃあ文化祭の日は私だけで純さんと回ることになるよ?」

「な、なんで……。予定はまだわからないよ?」

 目を丸くして聞き返す彼女だが、話を通しているのが飛鳥なのだ。


「純さんに聞いたら文化祭の日は空いてるらしいから。お父さんはいつも通り仕事だから来れないらしいけど」

「おねえちゃん、ずるい……」

「そ、それはごめん。ただバイオリンの演奏日でもあるから褒めてもらいたくって……。もちろん上手に演奏できたらだけどね」

「……」

 ニヤリというわけではなく、髪をいじりながら苦笑いを浮かべている飛鳥に美雨は嫉妬の声を出さなかった。

 それなら仕方がない……。と、ほんのり微笑むだけ。


「気持ちはわかったけど、独り占めは許さない」

「もちろんそれはわかってるよ。ちゃんと美雨にも譲るから」

「それなら、うん。いい」

 モヤモヤとした気持ちはこの言葉によって晴れる。彼女とて一緒に回りたい気持ちがあったのだ。


「ふふ、嬉しそうだね美雨」

「っ、わ、悪い?」

「ううん、別にー。ただ、文化祭に呼ぶならいろいろ気をつけとかないと、誰かが純さんにツバつけられちゃうかもね」

「そ、そんな一日で好きになる人いない」

「だってあの九条さん気になってたみたいだし」

「え……。なんで九条先輩が……? 男の人、嫌いって有名だよ?」

「人見知りの美雨にあの噂が出たらそうもなっちゃうよ。私も美雨も九条さんとは仲良しだから」

「……」

「もしかしてライバル登場かな?」

「う、うるさい……。からかわないで」

 こんな軽口に震えた声で言い返す美雨。

 彼女にとっては純の存在がどんどんと大きくなっていた。

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