第18話 したかったこと

「そのパソコン、わたし持たなくていい?」

「お気遣いありがとうございます。でも大丈夫ですよ。そこまで重くないので」

 時刻は18時40分。外もだんだんと暗くなり始めた頃。俺は美雨と肩を並べ、その歩幅に合わせながら自宅まで送っていた。

 本当はカフェまで車で来ているが、その件は言わずに……だ。もしこのことを言えば変に気を遣わせてしまう。仮に車で事故を起こしたりすれば責任は取れない。保身と彼女の安全。この二つを第一に考えた選択をしていた。


「あっ、美雨さん。もしかしたらご家族に連絡を入れておいた方がいいかもですね。普段よりも遅い帰宅になると思いますので」

「大丈夫。もう連絡は入れたから」

「そうでしたか。それなら安心ですね」

「遊びにいく時と、帰宅が遅くなる時と、帰宅した時はパパにメールするルールになってるの。パパは過保護だから」

「あはは、飛鳥さんからも聞きました。お父さまらしいですよね」

「そうだけど……少しは自由にしてほしいって思う。学校のみんなに言ったらビックリしてた。『普通はそんなのしないよ』って」


 帰宅した時にメール。確かに高校生でこのルールがあるのは少し珍しいかもしれないが、父親の目線で考えれば理由はなんとなくわかる。

「それだけじゃないよ。わたしやおねえちゃんがパーティで男の人と会話してたら嫉妬して、おうちで構わないといけなくなる。相手は同い年の男の人とかじゃなくて、別の父親なのに」

「あ、あはは……。って、ちょっと待ってください」

 苦笑いから真顔に変えて聞く。そのくらい不穏を感じた。


「なに?」

「あの……。よく通りましたね。そんなお父様が自分と二人でカフェに過ごす許可と言いますか」

「パパにはお友達とカフェにいくって言ってる。ほんとのこと言ったら、どうなるかわかってるから」

「そ、そうですか……。それはなんと言いますか、バレたらヤバそうですね……」

「うん。バレたらパパは一週間くらい寝込むかも。デ、デートしてるって勘違いして」

「で、ですよね」

「そして、回復したら怒ると思う」

「そうなりますよね……」

 今になって思う。彼女一人に連絡を任せるべきではなく、俺も俺でお父様に連絡を入れるべきではなかったのかと……。勤務時間外だからと完全にうっかりしていた……。美雨が誤魔化しの連絡を入れていることも考えるべきだった。


「……あの、これを言うのはなんですけど、助けたりは……」

「助けてほしい?」

「も、もちろん助けてほしいです。って、今からでも自分が連絡を入れた方が大事にはならな——」

「——それはだめ」

「駄目!?」

「うん」

「いや、ですが……」

「絶対だめ」

「……わ、わかりました」


 普段から気弱な彼女だが、この時ばかりは強い圧をかけられたように感じた。

 そして気のせいだろうか……。今の一瞬、ニヤリと口角を上げたような……。

 まるで作戦通りに進んでいるように……。


「わたしの言うこと聞いてくれたら、ちゃんと助ける」

「えっと、とりあえずその内容を教えてもらえますか?」

「……」

「み、美雨さん?」

 俺にできることならすぐにでも頷くつもりだが、内容を聞かないことにはわからない。ごく当たり前の質問をしたつもりだが、彼女は突然と黙った。


「……ぅ、そ、その…………」

「えっ?」

「てを……」

「てを? てをってなんですか?」

 き、聞き返せば聞き返すだけ顔が赤くなっているような気がする。いや、耳の根元まで真っ赤だ。

 先ほどの圧はどこにいったのか、風が吹けば飛ばされてしまうような小さな存在感担っている。


「み、美雨さん?」

「す、裾……。掴ませて」

「裾……? 裾って手首のここですか?」

 手首に面している箇所を指すと、コクンと首を動かした美雨。


「さ、最近、流行ってる。学校で」

「えっと、たったそれだけのことで助けてもらえるんですか?」

「っ!?」

「ど、どうされました? そんなに驚いて……」

「今、たった、、、って言った……?」

「は、はい」

「……」

 再度同じように答えるとさらに目を見開き、小さな口も開けて驚愕している。

 ただ、助けてもらうのに裾を掴ませるだけという条件なら誰だって俺と同じ言葉を出すだろう。

 変な反応をしているのは彼女の方だ。


「とりあえず裾を握ってください。この先、人も多くなりますからね」

 顔を赤くしながら裾を掴ませてと言ってきた意味。最初は理解できなかったが、ようやくわかった。

 はぐれないための手段を探していたことに。きっとこの年でこんなことを伝えるのは恥ずかしかったのだろう。

 一緒に帰っている分、はぐれて迷惑はかけたくなかったのだろう。本当に優しい性格をしている彼女だ。


「掴んでいいですよ?」

「ぁ、う、うん……」

 俺が左腕を美雨に近づけると、その指示通りに彼女は人差し指と親指で俺の裾をちょこんと摘んだ。

「それではいきましょうか」

「ん……」

 右手にはPCを。左には美雨に握られている。両手が使えない状態になってしまったが、これだけで助けてもらえるのだろうか疑問であり……感じる。


 背後から刺すような視線を。

 今、裾を掴んだ光景を見たからだろう……。『イチャつくなら場所を考えろ!』なんて気持ちが伝わってくる。

「少し我慢してくださいね。少ししたら人混みもなくなりますので」

「う、うん……」

 地面を見て顔を合わせてくれない彼女。こんな反応をしているために恋人だと思われているのだろうが、今の仲で出来るはぐれない方法を実行しただけ。

 それはわかってほしいところ。


「じ、純さん。一つ聞きたいこと、ある……」

 そんな気持ちに包まれていた時、彼女は問いかけてきた。

「聞きたいことですか?」

「うん……。純さんは今まで女の人と付き合ったこと、ある……?」

「あ、あはは……。いきなりですね。今までだと二回はあります。どちらも一年は続きました」

「一年間……? それなら、手は繋いだことある?」

 上目遣いでチラッと見てきた。……なんとも純情な質問を。

 一年間付き合って手を繋がないことはあるのか……。多分、これは全員の答えが一致することだとは思う。


「そ、そうですね。繋いだことは何度かありますよ」

「そっか。…………だから『たった』って言うことできたんだ」

「今なにか言いました?」

「う、ううん、なんでもない」

 小声で何かを言っていたような気はしたが聞き間違えのようだ。


「な、なら純さんにもう一つ……」

「はい?」

「手を繋いだ時、お、男の人と女の人の感触は違う……?」

「あぁ……。確かにそうだと思います。男性目線は柔い感触で、女性目線だと硬い感触になるとは思います」

「……お友達もそんなこと言ってた」

「あはは、間違ってないようでよかったです」

 こんな質問を聞くにお付き合いが気になる年頃なのだろう。なんとも微笑ましいことだが、彼女はまだ誰とも付き合ったことがないようなセリフに感じた……。



 そこから約15分間歩き続け、自宅近くまで着いた時だった。

「純さん……。実は今日、パパにはちゃんと言ってるから。純さんとカフェにいくって」

「……えっ!? そ、そうだったんですか?」

「うん。ルールはちゃんと守らないとだから」

 未だ純の裾を掴む美雨は本当のことを教えていた。


 なぜ今まで黙っていたのか……。

 それは〇〇をしてくれたら父親にバレた時に助ける。その取引を成功させるため。

 本当にしたかったことはできなかったものの、及第点のことはできた美雨であった。



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