第9話 姉妹の夜
「美雨―。まだご飯食べないの? そろそろ食べよう?」
コンコンと部屋のドアをノック。本日2回目の声をかけた姉、飛鳥は困り眉を作ってこのように誘い言葉を出していた。
「も、もうちょっと」
「そんなこと言わずに……ね? ほら、お姉ちゃんのためだと思って。もうお腹ペコペコなんだよう……」
「おねえちゃんほんとに高校三年生?」
「な、何度も説明してるけど、一人で食べれないわけじゃないんだからね? ただ一人で食べるのは寂しいから……。あっ、そうそうそう。美雨の大好きなカスタードプリン買ってきてるよ! あのちっちゃくて150円するの」
「っ」
一回目に断られた後、わざわざコンビニに足を運んでこの商品を買ってきた飛鳥なのだ。ここまで行動に移すのは、この手段が最有効であることを知っているから。
「プリン食べたい」
この通り。面白いくらいに釣られる美雨である。
「よしっ! じゃあ一緒にご飯食べよ?」
「……」
「あ、あれ?」
ここで訪れる静寂。
「で、でも……もうちょっと待ってほしいの。おねえちゃん」
「えっ、私と話しているのって本当に美雨……? 今まで好物に釣られなかったことなんてないのに……」
独り言を発しながら宝石のように綺麗な碧眼を大きく見開く。その状態でまばたきを連続させた飛鳥は、目の前に雷が落ちたような表情が浮かべている。
そのまま素直に待つこと待機すること数分。
カギを開け、ドアを開いた美雨が廊下に出てくる。ショートパンツが黄色のフードに隠れたその格好で。
「待たせてごめんね、おねえちゃん。ご飯いこ?」
「う、うん! いこいこ!」
こうして無事に合流した二人は長い廊下、次に階段を渡って一階にある大広間に移動する。
時刻は20時40分。父親はまだ屋敷に帰ってきてはいない。食事は二人で、家政婦が昼に作った作り置きの料理を普段から食べている。
そして、食事の準備も仲良く共同で行っている。
「美雨は飲み物の準備してもらっていい?」
「わかった。おねえちゃんはチンしてね」
「チン? チンって言った?」
「お料理をレンジで温めて」
「……ご、ごめん。謝るからそんな怖い顔しないで……。食事前でちょっと興奮しちゃっただけだから」
「別にいいけど、おねえちゃんはウブなんだから言わないほうがいい。学校の時とのギャップもすごい」
「ぐうの音も出ないなぁ……。ただ! 私よりもウブなのは美雨でしょ? 少女漫画のあの描写を見ただけで顔真っ赤になるくらいだし」
「っ、そんなことない。おねえちゃんの方が赤くなってた。わたしよりも年上なのに」
「いやいや、美雨だって」
「ううん、おねえちゃんだよ」
こうした身のない会話でも盛り上がる。こうしたところからも二人の仲の良さは垣間見える。
その後、『いただきます』を二人で交わしてようやく食事である。
「ふぅ……。やっとご飯だ……」
「おねえちゃん、今日の習い事はバイオリン?」
「うんうん、休憩15分のレッスンを3時間。しかも
「うわ……」
体を動かすことが苦手な美雨はちょっぴり引き気味の顔だ。自分にはできない、と伝えるように。
「ふふ、確かに大変だけど練習中は楽しいからあっという間だよ? それに文化祭も一ヶ月とちょっとだからカッコいいところを見せられるようにしないと」
「おねえちゃんの演奏、わたしも楽しみにしてる」
「ありがとっ。 頑張るね」
姉妹の微笑ましい会話は食事を和やかな空気にさせる。
「それでね、美雨。さっきからずっと気になってることがあるんだけど聞いていい?」
「なに?」
「今日、なにか嬉しいことでもあったの? 時折だけど
「……」
「ほら、またニヤけた」
実際、飛鳥の言うことは間違っていない。至るところで、至るタイミングで口に手を当てて嬉笑を隠す素ぶりをしていたのだ。
それでも完全に隠しきれていなかったのは無意識に表情に出てしまう部分があったから。
「さて、その嬉しいことをお姉ちゃんに教えなさい。……ん? あっ、その顔は私に教えるつもりだった?」
——コクコク。
食べ物を口に入れていたために、首を縦に振って返事をする美雨。
そのままもぐもぐを続け、ごくんと飲み込めばポケットからスマホを取り出し、電源を入れる。
「……美雨、食事中だよ」
「で、でも少しだけ見てほしい。画面を見せるだけだから……」
「少しだけって……。んー……。と、特別に今日だけだからね? 見せる以外には弄らないようにね」
家柄もあり、テーブルマナーは特に厳しく躾けられている二人なのだ。普段から父親がいなくともしっかり守っている二人だが、好奇心にはちょっぴり逆らえないもの。
「それで見てほしいのは……?」
「ここ」
ピンク色の爪をスマホに差し、その場所を示す美雨。
その小さな指の先にあるのは今日、たくさんの勇気を出したことにより達成することができた証。
「どれどれ……。って、え!? 純さんの連絡先!? も、もう交換できたの!?」
「うん。できた」
連絡先をしっかり見せた美雨はすぐにスマホの電源を切ってパーカーのお腹ポケットに戻し、驚いている飛鳥と視線を合わせた。
口角を少し上げ、眉を逆八の字に変え、控えめなドヤ! を見せて。
「しれっとお気に入り登録までしてるし……美雨」
「うん」
「羨ましい……。ってことで私にも連絡先ちょうだい?」
「だめ。わたしの独り占め」
小さな声ではあるも、容赦なく断ち切った美雨。
「えー!? それは私よりも意地悪だよ。これ純さんに報告だ」
「純さんが次に来るのは明後日。明後日は華道がおねえちゃんにはあるから報告できない」
「ねえー。一応アドバイスはしたんだよ、私。つまり対価があってもいいと思うんですよ、美雨さん」
姉と妹、完全に立場が変わっている。
「もうちょっとわたしのお願いを叶えてくれたら、純さんにおねえちゃんの連絡先をあげる」
「えっ、いいの!? そのお願いって?」
「……」
「み、美雨?」
途端、両手先を合わせながらもじもじを始めて言いづらそうにしている美雨。
それでも促したのは自分だ。チラチラと上目遣いで飛鳥を見ながら口ごもりながらも伝えたのだ。
「お、おねえちゃんから純さんに、わたしの英語を教えてもらうように言ってほしいの……。パパには、わたしからちゃんと言うから」
「えっ? つまり、『お仕事の空いた時間に美雨の英語を教えてもらえませんか』みたいに言ってって?」
「う、うん……。この約束してくれたら、ちゃんと純さんに連絡先をあげる」
「なるほどね」
事の詳細を聞き、目を細める飛鳥はこう返すのだ。
「——それはダメ」
「っ! な、なんで……」
頷いてくれると思っていたのだろう、美雨は困惑ながらに問い返す。
「だって
「で、でも……」
「自信を持って、美雨。一人で連絡先を交換することができたんだからちゃんと伝えられるよ」
「んっ……」
安心させるように柔和な笑みを見せる飛鳥は、美雨の頭に手を伸ばす。同じ色を持つその髪を優しく撫でながら言葉を続けるのだ。
「だからまずは頑張ってその気持ちを伝えてみよう? もし美雨が断られたらちゃんと私が助けてあげるから。もちろんお父さんにも協力してもらってね」
「……」
「もしここを頑張ることができたら、美雨はたくさんのこと甘えられるようになると思うよ。純さんにも。だから頑張ろう?」
美雨は口を強く結んで無言になる。その間も姉から頭を撫でられ続ける。
それが美雨を勇気付かせる力になるのだ。
「…………わ、わかった。わたし頑張ってみる……」
「よく言いました。じゃあご褒美に私のプリンも食べていいよ」
「っ、いいの……?」
「もちろん!」
「ありがとう、おねえちゃん」
「どういたしまして」
最後はほっこりと終わった会話。
『もしここを頑張ることができたら、美雨はたくさんのこと甘えられるようになると思うよ』
さらにはこの言葉が的を射ているからこそ、
* * * *
『いきなりすみません。おねえちゃんの連絡先を送っても大丈夫ですか? 迷惑じゃなかったら交換してほしいです……』
その1時間30分後。
『……あっ、美雨から。はいそうなんです。連絡先をありがとうございます。それでいきなりになってしまうんですが、純さんのお時間がある時に少しお仕事の件についてお聞きしてもいいですか?』
美雨はあの勇気をもらったお礼に前者のメールを。
飛鳥はあのお願いが実行できそうなのか知るためのメールを届けていたのだ。
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