第8話 手紙の件その②
時刻は18時過ぎ。無事に今日の仕事も終わらせた俺だが、まだ屋敷の外には出ていなかった。着替え室の中で美雨からもらった手紙の返事を書いていたのだ。
「仕事が終われば早く帰るようには言われていることだけど……」
これがわかっていてもこの行動を取ったのにはもちろん理由がある。
今日、手紙を返すことができなければ、次のお手伝いに来るまでにどうしても日が空いてしまう。
つまり、返事を待たせてしまうことになるのだ。そうなれば手紙をくれた彼女は『どのような返事がもらえるのか』その不安を抱えさせることになる。
『突然のお手紙ごめんなさい。
あと、字があまり上手じゃないので読みづらいのもごめんなさい。
あの、ご迷惑でなければ純さんの連絡先を知りたいです。
ほかには、わたしにもおねえちゃんみたいに崩した口調で話してくれると嬉しいです。
男の人とお話しするのはとても緊張するので、なかなか上手に喋れないです
が純さんと仲良くしたいです。
ゆっくりで大丈夫なのでお返事ください』
胸が暖かくなる手紙をもらったからこそ、嬉しかったからこそ、すぐにでも俺は手紙を返したかった。
『ゆっくりで大丈夫なので』
この文面が書かれていても、勇気を出して手紙を俺に渡してくれたのだから。
「それにしても美雨さん優しい人なんだな……。普通ならこの手紙に自分の連絡先を書いてもいいのに」
手紙を読んで最初はこう思った。もし連絡先を書いていたらすぐに連絡できたのに、と。
でも、返事を書いている時にわかったのだ。
『純さんの連絡先を知りたいです』と上の立場にいる彼女が受け身になっていることで、このお願いを断るにしても断りやすい内容にしてくれているのだと。
『純さんの連絡先を知りたいです。わたしの連絡先はこちらです』と促した文面と比べればはるかに断りやすい文面になっているは明白だろう。
「ふっ」
ここまで気を遣ってくれているのがわかると本当に微笑ましい。
そして、そんなところにも人見知りらしさが出ているような気がする。
「よし、書き終わった」
仕事内容をまとめるためにペンを離さず持っていてよかった。このペンがなければ今日、返事を出すことはできなかったのだから。
俺は書いた手紙を封に入れ、シールで止めるとすぐに渡しにいくことにする。
——二階に上がり、長い廊下を歩いて美雨の部屋の前に着き、
『コンコン』
ドアを軽くノックして言う。
「美雨さん、いますか?」
『わたしにもおねえちゃんみたいに崩した口調で話してくれると嬉しいです』のお願いを叶えるようにさん付けにして。
「……」
「……」
だが、呼んだ後に声が返ってくることはなかったのだ。
「美雨さん?」
寝ているのかな? なんて思いながらも確認のためにもう一度を声をかけるとようやく返事が来た。
「だ、誰……」
「純です」
声で理解されていないのはちょっぴり傷ついたが、『誰』と問われた理由をすぐに知ることになる。
「……そ、それはおかしい」
「えっ?」
「純さんはわたしのこと、美雨さまって言う」
「あっ」
「それに、純さんはもう帰ってる時間……」
「……」
言葉が出なかった。
確かに彼女の言っていることに間違いはない。間違いはないのだが、こんなすれ違いがあっていいのだろうか……。
ドア越しのやり取りであるために声色の判断になるが、明らかに警戒している。護身用のバッドを持って臨戦態勢に入っていてもおかしくない声だった。
ここは起点を効かせる以外に信じてもらうことはできないだろう。
彼女と俺しか知らない一つのことを伝えた。
「美雨さんにお手紙を渡しに来ました。中身を読ませてもらったのでこちらの呼び方にさせてもらってます」
「っ」
「ドアの隙間からお手紙を入れても大丈夫ですか? 渡しましたらすぐに帰りますので」
「……ま、待って」
「は、はい?」
「ちゃんと受け取る……」
「わかりました。ではお待ちしてます」
正直、予想外の回答だったがすぐに頭を働かせて焦らせない言葉を選んだ。
直に受け取ってくれるのは俺としても安心だ。確実に見てくれるという保証がついたものなのだから。
そうしてドアの前で待つこと少し。
『カチャ』
鍵が開けられた音がすれば、ドアノブが下がり……ゆっくりとドアが開かれれば部屋主の姿が見ることができた。
制服から着替えたのだろう。ゆるっととした黄色のパーカーを着て、顔を少し隠すようにフードを被った美雨を。
「お、お手紙……。受け取る」
「お願いします」
「……うん」
俺が両手で差し出すと、萌え袖になった手で受け取ってくれた彼女。フードに包まれた小さな頭は下を向いている。俯くような形でこの場で手紙をジッと見つめているのだ。
「あ、あの……」
「なんでしょう?」
「純さんはいいこと……書いてくれた? それとも、悪いこと……書いた?」
俺に視線を合わせることはなく、未だ手紙を見ながら伝えてくる。
この場で教えると手紙を渡した意味がなくなりそうな……。とは思ったが、彼女は手紙を見るのが怖いのだろう。
なにを書かれているのかわからない。これこそ手紙の醍醐味だが、ぷるぷるしながらも勇気を振り絞って俺に手紙を渡してくれたことはわかっている。
彼女にとってはこの不安を解消させるのが一番良いことなのかもしれない。
「そうですね。美雨さまではなく、美雨さんとお呼びしているところでどちらの内容なのかは判断していただけたら」
「……っ。わかった」
「では、お手紙を渡すこともできましたので自分は帰りますね」
「う、うん。あと……次はいつお手伝いに来る?」
「次は明後日の14時からですね」
「わかった。……気をつけて、帰ってね」
「ありがとうございます。それでは」
「うん。また……」
別れの挨拶を交わし、美雨は両手に手紙を持ったまま薬指と小指をちょこんと伸ばしてドアを閉めたのだ。
手紙を渡すだけになるかと思っていたが、最後はこんなに話すことができた。
以前と比べて大きな進捗。本当に喜ばしいことだが、もう少し欲を漏らすなら……目を合わせて話せるようになることができたら……と。
その夜のこと。メールアプリ、LEENには連続した通知が届いていた。
そこに『美雨』の名前が表示されていたのだった。
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