第7話 手紙の件その①

「あとはこことここをして……。よし、今日はなんとか時間が余りそうかな」

 時が経つのは早いものでこの屋敷でお手伝いを始めて何十日が経った。

 この日、アドバイスもらったことや、その日の掃除箇所に使った時間などをまとめたメモを見ながらふと俺は自身の成長を感じていた。

 今現在の仕事の進捗状況と照らし合わせて見るとやっぱり効率的に動くことができていたのだ。


「って、喜ぶのはまだ早いか……」

 上には上がいるというのはその通りで、長く務めている家政婦にはまだまだ手も足も出ないのが現状。

 室内の清掃をこなすことができたら、次は庭の手入れ方法を学ぶことになっている。そちらに取り組むためにもまだまだ時間に空きを作らなければならない。


 現在の時刻は17時前。そろそろ娘さんの美雨が帰ってくる時間だ。恐らく俺に気づかれないようにこっそりと。

 この行動を取っているだけに、彼女からしたら俺がお手伝いに来ている日の帰宅はビクビクしているはずだ。バレないように部屋までたどり着けるか……と。

 警戒心から直接の対面をしたくないのだろう。

 こんなことがあるからこそ、変に負担をかけ続けさせないためにも——、


「ちょっとずつでも仲良くなれたら嬉しいな……」

 上手な対処法も見つけられていないからこそ、その願望が大きく前に出る。

「っと、そろそろ仕事に戻らないと」

 18時まで残り1時間。それまでにきっちりと終わらせなければならない。

 掃除の終わった応接室のドアを開けて廊下に出る。その瞬間だった。

「ッ!?」

「……」

 俺はとある人物と目が合ったのだ……。


 曲がり角、その壁を上手に使って体を隠し、頭だけを出して俺を見ている女の子……。カスタード色をしたロングウエーブの髪。キリッとした鋭めの碧眼を持ったこの屋敷の妹さん、美雨と。

 この応接室の前に置いていたゴミ袋を見て俺がここにいると判断したのだろうが——。

「……」

「……」

 な、なに!? なんて言葉は驚きによって出ない。普段は自室のドアを使って監視しているはず。それなのに今日は盾とも呼べるドアをなしに俺を睨……ではなく見ているのだ。

 さすがにドアと壁を間違えたりはしないだろう。なにか目的があってあのようにしているはず。


 それにしても、それにしても……。

「…………」

「…………」

 会話がない。時が止まったような、お互いが石にされてしまったような静かな時間が続いている。

 ど、どうしよう。彼女がなにを考えているのかわからない。ただ表情がどこか強張こわばっているような気がする。いや、怒っている?

 も、もしかして俺が盗みを働いたとか勘違いしてる……?

 マズい……。あの顔だとなにも読み取れない。一体なにを考えているんだ……。

 彼女は未だ話す素ぶりも見せない。ここは勇気を持って俺が動くしかない。本当に予想外の状況だ。


 俺は手に持っていた掃除機を壁に立てかけ、廊下でゆっくりと体を下ろしていく。子ども相手によくする行動である。これでどうにか警戒心を薄めさせることができたらと思ったのだ。

「……ど、どうかなさいましたか? 美雨さま」

「……う、うん」

「で、ではどのような件で……」

 7、8メートルほど離れた距離で行われる会話。美雨の声は弱々しくちょっぴり聞こえづらい。


「て、て、手紙……渡したい」

「て、手紙ですか?」

 コクリと頷かれる。

「受け取って……ほしい」

「そ、それでしたらもちろん受け取らせていただきますよ?」

「あ、ありがとう。そこで待ってて……」

「は、はい。わかりました」

 こう言い終わった途端、壁からぴょっこり出ていた小さな顔が消えた。そして静かなこの空間にゴソゴソとカバンを漁るような音が聞こえてくる。

 人見知りでなかなか俺と話せないために手紙という手段を取ったのだろうが、一体どのような内容が書かれているのかわからない……。


 緊張したままその場で待ってると、口を横に結んだ美雨の全身が現れたのだ。

「……ッ」

 数十日とこの屋敷で働き、初めて見る彼女の全身像を。

 細身の体に、身長は150センチほどの体型。

 学校から帰宅してそのまま俺を待っていたのだろう、チェック柄のスカートに、白いセーラー服、青色のリボン。学校の制服を着用していた。

 そんな美雨はゆっくりこちらに近づいてくる。一歩、また一歩と小さい歩幅で。


 そして、手渡しできる位置まで来るとおずおずと口を開いたのだ。

「は、はい……。これ」

 勇気を出しているのだろう、耳の付け根まで真っ赤にして……。

 それだけではなく、震えた声で、ぷるぷると両腕を伸ばしながら。

「……」

「……」

 独特な空気に包まれ、一瞬、思考が止まる。

「す、すみません。受け取らせていただきます」

 それでもすぐに我に返り、両手先に握られていた花柄の手紙を受け取った。

 どこか偉いところの招待状が入っているような、立派な封に入れられた手紙を……。


「じ、じゃあ読んで……ね。頑張って書いた、から……」

 もじもじしながら目を伏せ、この一言を伝えてきた彼女は——、

「あっ……」

 目を瞑りながら体を回転させ、パタパタと足音を鳴らしながら走って逃げていった。


 そこから一人っきりになる廊下。

「こ、これって……も、もしかして……」

 真っ赤になった顔。緊張した様子に勇気を出した渡し方。

『相変わらず真面目なことで。その様子だと逆にお前が藤原姉妹を惚れさせたりするんじゃね? なんか女子って真摯な男が好きらしいし』

 先日、旧友との電話での内容。

 漢字二文字、『告白』の文字が刷り込まれたように頭に浮かぶ……。

「——って、そんなわけないか」

 俺はスッパリと切った。現実的に考えれば当然こうなるのだから。

 とりあえずこの手紙は一旦保留にする。今は仕事に集中しなければならないのだから。

 もらった手紙を内ポケットに入れて残り仕事に打ち込むのだった。




『突然のお手紙ごめんなさい。

 あと、字があまり上手じゃないので読みづらいのもごめんなさい。


 あの、ご迷惑でなければ純さんの連絡先を知りたいです。

 ほかには、わたしにもおねえちゃんみたいに崩した口調で話してくれると嬉しいです。

 男の人とお話しするのはとても緊張するので、なかなか上手に喋れないです

が純さんと仲良くしたいです。


 ゆっくりで大丈夫なのでお返事ください。


 藤原美雨』


 仕事終わり、屋敷でその手紙を確認した俺。

 そこには返事用の手紙と一緒に、まんまるとした可愛い文字でこの手紙がつづられていたのだった。

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