第6話 交換したい美雨

「パパ。明日は純さんくる? いつも通り14時から18時?」

「おっおお! 美雨じゃないか……って、そ、そうだよ。純くんは……そうだよ」

 数日が経った日のこと。ソファーでくつろいでいる父の背もたれからちょこんと小さな顔を覗かせた美雨はこの件を聞く。

 そして、男である純の話題に相変わらず複雑そうな表情で答える父でもある。


「じゃあパパは明日何時に帰ってくる? 18時には帰ってこない?」

「な、なんだいそのパパは18時までには帰ってこないでね。みたいな感じは」

「……」

「……」

「パパは18時には帰ってこない?」

 図星だとわかるような2秒ほどの無言。

 そこから今さっきの話題を抜いたようにもう一度聞く彼女。十何年と面倒を見ている父はこうなった時の場合に素直に答えることが一番だと知っている。

 ここで『なんだいそのパパは18時までには帰ってこないでね。みたいな感じは』、とはもう聞かないのだ。


「……そ、そうだな。ど、どうしても22時くらいになっちゃうなあ」

「あと聞きたいことがもう一つある」

「おっ!? なんだい!?」

「純さんとはどのようにすれば連絡先を交換することができるの?」

「なっ!? ち、ちょっと待ってくれ美雨。連絡先をこ、ここここ交換……?」

「うん。他のお手伝いさんとは連絡先を交換してるから、交換したい」

 彼女がこのように聞く理由は二つ。

 純以外のお手伝いさんは皆、女性であるために同じような感覚で交換できないこと。

 もう一つは——。


「おねえちゃんが言ったの。男の人のことはパパに聞くのが一番だって。あと、パパなら優しく教えてくれるよって」

「ぐぬッ……」

 姉の飛鳥はアドバイスの方法も、立ち回らせ方も上手うまかった。

 娘には嫌われたくない父の弱点を突くように『パパなら優しく教えてくれる』、との言葉を出したのだから。

 もしここで断れば美雨からの強い反感を買うのは想像できるだろう。つまり、お断りの道を完全に塞いでいるのだ。



「そ、そんなに知りたいのか……。美雨は」

「知りたい」

「そんなに……か」

『コク』

 愛娘には男を近づけたくない父に反して大きく頷く美雨。

 そう、父にはこの意向があるため屋敷に男性のお手伝いさんを雇ったことはなかったのだ。が、今回は事情が事情だったのだ。


 出産を控えることになった家政婦の代わりを見つけることができず、別の家政婦の負担をかけさせるわけにもいかず、さらには信頼できる相手をすぐに雇える条件で見た場合、男の純しかいなかったという理由で。

 周りにとっても一番良い選択をしたことには違いないが、その副産物として恐れていた事態が起きたわけである。

 美雨がその異性のお手伝いさんに興味を持ってしまったということが……。


(ど、どうするか……。ここはどうにかして話を逸らしたいところ……)

 このような父の思考は一瞬で潰されることになる。

「教えてくれないなら、パパ嫌いになる」

「ッ!! よ、よしわかった……。わかったから教えるから嫌いにならないでおくれ」

 鋭い視線から放たれた強烈な言葉。これでハッとなる父なのだ。


「そ、そうだな……。パパから連絡先を交換するように言うのはどうだ?」

「だめ。パパに頼んだら純さんに命令するから。『交換しろ。してくれるよな』って」

「そ、そんなことはないぞ!?」

「じゃあ逆に『連絡先だけは交換させないからな』って純さんに言う」

「ッ!?」

 ジトリと目を細めて二択を突きつけた美雨だ。

 彼女とて父とは十数年間、一緒に生活しているわけである。どのような行動を取るのかはある程度わかっているのだ。


「だから、わたしが一人で頑張る」

「ふむ。頑張る……か。その覚悟が決まっているなら邪な気持ちを捨てるべきか……」

「最初から捨ててよかった」

「す、すまんすまん」

 完全に割り切り、覚悟を決めたカッコいいセリフは正論にして一蹴される。それでもすぐに調子を戻す父だ。

「それでなんだが……連絡先を交換する方法を挙げるなら手紙を渡すのはどうだろうか。それなら美雨でもできるだろう?」

 人見知り、、、、の美雨を考慮して、しっかりとしたアドバイスをかけるのだ。

 直接伝えるという難易度の高い行動は避けて。


「個人の意見ではあるが、顔を合わせて渡す手紙は言葉より想いを伝えられるものだと思っている」

「……ほんとに?」

「ああ。もちろん声に出して伝えてほしいと言う相手もいるが、これは人それぞれな分、純くんが好きなのか判断はできん。ただ、伝えたいその気持ちがあればきっとどちらの渡し方でも喜んでもらえることだろう」

「そっか。わかった」

「もう相談ごとはいいかい?」

「大丈夫。もうお部屋に戻るね」

「ああわかった。手紙を書くのはいいが、勉強も引き続き頑張るんだぞ」

「うん」

 この相談も終われば要件も終わり。大広間から出ようとする美雨は最後に言う。


「……パパ、ありがとう」

「ッ!」

 父はそのお礼の言葉を聞いてすぐに振り返るも、もうそこに彼女はいない。

「んんぐぅぅ」

 お礼を言われ、踊りたくなるほどの嬉しい気持ち。そして……これから純に向けて美雨が手紙を書く複雑な気持ち。

 その二つが混合した結果、苦虫を噛み潰したような歪んだ表情で小さくガッツポーズをする父だった。



  *  *  *  *  



 父との会話が終わり部屋に戻った美雨は、椅子に座って引き出しから複数の便箋びんせんを取り出していた。

「どれにしよう……」

 机の上にそれを広げると縮こまるように背中を丸くして熟考する。碧眼の瞳を細めて難しい顔を作る。


「可愛いのがいいのかな。それともオシャレなのかな。それともカッコいいのかな……」

 お嬢様学校と呼ばれる女学院に通っている美雨は、便箋を使ったやり取りも多くする。そのために数種類の紙を持ち合わせているのだ。

「んん……」

 そうして頭を悩ませること15分。美雨はようやく一つの便箋に決めた。花柄がたくさん描かれた可愛い用紙である。


 そこからシャープペンシルを持つと、何十分も時間を使って手紙を完成させる。その大事な手紙を付属の封に入れて渡す準備を整えた。

「これで……大丈夫」

 ぼそっと呟く美雨はスマホを取り、メール&通話アプリを開く。

 そこに表示される友達の数は241人。

 ——そして、その人数の中にいる異性は家族である父、一人だけ。


 今までに父以外の異性とは連絡先を交換していない美雨だからこそ、姉の飛鳥の言葉を頼りにアドバイスを求めにいったわけでもある。

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