07.遭遇

 草原をゆっくりと歩いて山の方向に向かう。

 足が重い。これは僕の気持ちが表れているんだろうな。

 向かっている方角は北だ。アイナさんに聞くまでは僕は方向すらも分かっていなかったな。

 北に向かう。結構あるらしいけど岩場があるそうだ。そこにいくつか洞穴があるんだと。

 狩猟で遠出した時に邑に帰れなくなった時があったそうだ。夜露を凌ぐために岩場に洞穴を見つけたそうだ。

 その洞穴を数度利用した事があると聞いた。

 この岩場は獣は住んでいないんだって。だから洞穴で生活しても獣に脅かされる事はないだろうと助言をくれたのだ。

 つまりこのあたりで生活してはどうかと間接的に薦めてくれたのだ。ライラさんの言い方は分かりづらい。

 一応僕の事を心配をしてくれたのだと思いたい。でも、ライラさんは直接的な言い方をしないんだよな。

 そもそも僕との接触を極力避けているような気がする。エスコ同様に嫌われたんだろうな。

 理由は分からない。余所者につめたい邑の風習に倣っているのかもしれないけど。本心は分からない。

 でも・・助言をくれるんだ。だから眼中に無いという事ではないと思いたい。

 だけども嫌われているんだろうな。弱い奴には興味ない感じだったしね。

 

 アイナさんとロッタは僕の事を最後まで心配してくれた。こちらの好意の理由も不明。だけどありがたい。

 少なくてもこの二人に安心されるようになりたい。独力でも生活できるようにならないと。

 アイナさんとロッタのため。それが今の僕が頑張れる理由だ。

 

 どうしようもない理由だな。

 

 でも行動にはなんらかの動機が必要だ。

 理由はそれぞれ。誰かが見ていてくれるだけでも力になる。うん。

 それほど今の僕には生きていく強い動機がない。

 なんだか生きていくことを諦めてもいい気分なんだ。自分でも認識はあるけど本当に投げやりだな。

 だから誰かが心配してくれているというだけでも力になる。少しは頑張れる気持ちになれるんだ。

 

 ・・・自分でも思うけど単純だよな。


 追い出されるまではかなり絶望していたんだ。死ねと宣告されたものだから。


 記憶の無い僕。

 戦闘力が無い僕。

 何者であるかも分からない僕。

 僕には明確に生きる意思はなかったんだ。

 

 だけど歩きながら考えて頭の中を整理する。このままではずっと後ろ向き思考になってしまう。

 

 目的はこれから作ろう。

 記憶はそのうち戻る。戻らなかったら今から再スタートすればいい。

 うん、そうだ。そうしよう。

 悲しい事なんて何もない。これから始めればいいんだ。


 少しはポジティブになった事にしよう。


 ソリヤ家の女性達にはお世話になりっぱなしだ。特にアイナさんとロッタは本当に助けになってくれた。

 いずれお礼をしないといけない。でも、その恩に報いるためにはやっぱり生き残らないといけない。

 それが彼女達への最初の礼だ。


 うん。

 まずは生き残る事が優先。

 

 ・・・衣食住だっけか。そこをまずなんとかしないと。


 衣はこだわりがないから今のままでも問題なし。なんとかなっている。もともと僕が着ていた服はあの獣にボロボロにされたようだ。代わりにソリヤ家から貰った一着。綿製のシャツとハーフパンツ。標準的な服らしい。

 住は洞穴を当面の住居にすれば良いと勧められた。そこで暮らせるなら問題ないだろう。

 問題は食だ。数日分は携帯食をもらっているけど、それからどうするかだ。

 木の実が主食になるのうだけど?それだけで生きていけるのか。邑の人達の主食は豆と肉だったな。岩場近辺には木の実程度しかないらしい。

 肉が食べたいなら狩りをするしかない。でもアイナさん見ていると僕には才能がなさそうだ。遠回しに頑張ってねとも言われているから期待しない方がいいだろうな。

 近くに川があると聞いている。だから魚取れないかな。釣り道具ができれば楽に取れるかもしれないけど。材料次第だな。

 やっぱり食事が最優先だ。

 もう少し岩場周辺で調達できる食べ物の情報を聞いておくべきだったかも。でもあの時にはそんな事聞く余裕もなかったし。猶予もなく追い出されたようなもんだ。仕方ない。

 

 まずは寝床とする洞穴の確保しよう。

 次に木の実や魚がどこで採れるかを調べるための周辺の調査だ。

 うん。まずはそれからかな。


 いつの間にか足元が険しくなってきたな。

 さっきまで歩いていた草や土でなく岩とか石が多くなってきたよ。目的地は近いのか?

 周囲を見渡すとごつい岩が増えている。

 ここあたりがが岩場なのだろうか?


 邑を出てどのくらい歩いたんだろ?太陽は既に傾いている。

 一日はだいたい二十四時間らしい。らしいというのは僕がまだ理解できていないからだ。僕も正確に二十四時間が分かるわけじゃない。なんとなくだけど同じかなという感じ。

 そもそもなんで二十四時間を基準と認識しているのかも分からない。記憶が無いのが疎ましい。

 ここでは時間という認識はある。聞いたけどあんまり覚えられなかった。鐘の音で判断なんて分かりづらい。だから僕の感覚で時間は測っている。

 朝には歩き始めたから多分十時間は経ったと思うんだ。歩きの速度が時速四キロ程度だとすると四十キロは歩いたんだろう。結構離れているな。あの邑からだと日帰りは厳しい距離というのは理解できるな。


 完全にごつごつした岩しかない場所に到着する。うん、ここが目的の岩場だと思う。

 遠目に盛り上がった崖のような場所が見える。多分あそこの下に洞穴があるはず。そう聞いているんだ。

 瓦礫のように崩れた岩が増えてくる。歩きづらいな。道がないから足元が不安定すぎる。足元を気にしながら歩かないと。

 ふと思い出す。

 なんかこんな場所を歩いた経験を僕はしているような気がする。歩いていてなんとなく思っただけだけど。

 体が覚えている。そんな感じだ。何か思い出さないかな。


 とにかく歩きづらい。それに遮蔽物も多い。突然、陰から何が出てくるのかも分からないな。獣は遭遇しないと言われていたけど絶対は無いんだ。慎重になるべきだろう。

 十分に注意だ。

 一応草原を歩いている時も注意はしていたけどね。

 遠目でスージだっけ?狼の群れが見えたんだよな。あれは緊張した。こっち来るなとお願いしたもんあ。結局遠回りして避けたんだけど。ずっと緊張しまくりだよ。

 だけど緩めるわけにはいかない。

 この岩場は視界が広くないし。万が一だけど何かに襲われたときに対応できないで死ぬのはゴメンだ。

 一応武器のようなものは作ってあるんだけど。

 餞別でもらったナイフを使って槍を作ったんだ。槍の柄となる木はアイナさんから提供を受けた。その先端にナイフを縛り付けて槍としたのだけど。どこまで通用するかは不明だ。

 何もないよりマシという程度だけどね。

 それを構えながらゆっくりと岩場を歩く。ライラさんは岩場を住処としている獣はいないと言ってくれた。だからそんなに危険は高くないと思いたい。

 でも注意しすぎる事は悪い事ではない。僕の命がかかっている。少しの油断で高い代償は払いたくないし。

 記憶は無いけど一度シッカという獣に酷い目に遭ったらしい。あの時はライラさん達がいたから僕は助かった。でも今は助けてくれる人はいない。油断できるわけもない。

 暫く崖下周辺を歩いたのだけど洞穴は見つからない。こりゃある程度の位置を聞いておくべきだったな。簡単じゃないぞ。

 色々準備不足だったと反省。だけど邑の人からすると常識なのかもしれない。本当分からないよね。ハハハ・・・。


 時間がかかったけどなんとか洞穴が見えてくる。まだ遠いからはっきりはしていないけどあれだといいな。

 見つけるまでどのくらい歩いたんだろ。岩場はとても歩きづらい。今日はたくさん歩いたと思う。

 疲れたよ。早く休みたい。

 と、考えていたんだけど・・・・。

 目の前の洞穴に何やら大きい何かが入っていったように見える。


 ・・・多分そうだと思う。


 え?何?


 洞穴まではまだ距離があるのだけど。何の物体だ?

 動きも早かった・・・と、思う。

 見間違いだといいのだけど

 

 獣か?何だったんだろう?

 

 ライラさんは獣は住んでいないと言っていた。冷たい態度をとるけど嘘は言わない人だ。となるとライラさんの知らない生態の獣がいるのか?

 いや~、う~ん・・・。

 

 ・・・これって不味くないか?

 

 今見たヤツがあの洞穴で暮らしている可能性があるぞ。

 

 そうだとすると・・・どう考えても安心して留まれる場所じゃない。

 確実にまずい。


 いきなり住がダメになる。他に洞穴を探すか?

 そもそも本当に獣なのか?

 獣の種類は分からない。はっきりと視認できたわけじゃないし。

 仮に獣の種類が分かっても僕では対処できないだろう。まだ怪我だって完全に癒えていないのだし。怪我を無しにしても僕には力が無いのだから。

 だけど太陽もそろそろ沈む。やがて夜になる。

 この場から逃げるのは良いとして・・・今日の野営はどうする?やばいな。

 ここで獣を見たんだ。他の個体もこの周辺にもいる可能性は高い。既に隠れて僕を監視している事も考えられる。

 

 危なすぎる。

 草原に戻るべきだろうか?

 ・・・いや・・・無しだな。草原にはスージの群れを見た。アレに襲われたら絶対に助からない。ヤツらから見れば僕は弱者だ。捕食の対象だろう。

 この岩場で安全な所は他にないのか?

 他の洞穴を探すにも途中で他の個体に出会うとアウトだ。

 仮に洞穴が他にもあったとしても。そこにも獣が住んでいるかもしれない。

 獣を見た以上無理だ。どこか樹上で一夜を過ごすしかないか。

 でも・・・そんな高い木は無いんだよね。低木はある。だけど樹高は一メートルも無い。これじゃ逃げられない。意味が無いや。

 厳しいな・・・。

 

 ともかくこの場からは立ち去るしかない。

 僕が見間違いをした可能性もある。でも自分の命と見間違いを天秤に掛ける力は僕には無い。

 諦めて安全な場所を探そう。

 

 立ち去ろうとした時にどこからか声が聞こえる。その声は・・・遠いような・・・近いような。

 

 どこだ?

 もしかしたら。目の前の洞穴のような気がする。

 

 これは・・・悲鳴?

 悲鳴だ。

 ・・・・それも女性の悲鳴?

 

 え?

 

 人が住んでいるのか?


 もう何が何やら分からない。

 ・・・マジか。

 

 再度悲鳴が聞こえる・・・・そんな気がする。

 声が聞こえたのは・・・・やはり洞穴か。

 どうやら目の前の洞穴から声が聞こえてくるようだ。あの獣らしきモノが入っていった洞穴だ。

 悲鳴の主はあの獣と遭遇した可能性が高い。おそらく人だよな。

 

 どうする?

 

 あの悲鳴が本当に女性だとする。そうなるとさっき見た影はやっぱり獣か。

 

 僕は僕の実力をわきまえている。獣相手に僕の勝ち目は全く無い。寧ろ邪魔にしかならないだろう。

 悲鳴をあげた女性には悪いけど僕の命を優先するなら、この場を立ち去る一手だ。

 

 仕方がないよ。


 悲鳴をあげた女性は僕には全く関係の無い人のはずだ。

 もしかしたら過去に僕が会っている人かもしれない。僕には記憶がないからな。断言できないのが弱い所だ。

 だけど助けにいく義理は全く無いと思う。

 どっちにしても現状の僕の実力を考えたらまともな判断だ。

 おそらく他の人に現状の判断をしてもらっても同じ判断をすると思う。

 僕が助けにいっても木乃伊取りが木乃伊になるだけで、良い事は何一つ無い。


 絶対に逃げの一手だ。


 それなのに。

 それなのに体は勝手に洞穴に向かって走っている。

 なんで僕の思いと違う行動になる?

 理屈ではない何かに動かされているのか?

 

 僕はまともな思考をしていないのか?

 そうだ。思考は逃げろと思っているのに。

 僕の何かが”向かえ!”と告げているようだ。

 そうじゃなければこんな無謀な事はしない。

 洞穴に向かうのは死地に向かうようなものだ。

 それも見知らぬ人を助けるために。

 

 良く分からないのだけど。

 僕の思考はいつの間にかある一点に凝り固まってしまう。

 死地の人物を助けろと。


 それは分かっている。

 その考えは正しい。

 でも僕はそれを実践する能力を持っていない。

 そんな事は分かっているんだ。

 

 なのに僕は洞穴に入っていく。

 

 どうしてだ!?

 

 分からぬまま洞穴の中を進む。もう足は止まらない。


 洞穴は結構狭い。

 入口が広かったから広大な洞穴を想像したんだけど。幅も高さも小さくなる。

 そんな事を確認できたのも最初だけだった。手元に必要な準備ができていない事に今頃気づく。

 洞穴だから暗いんだ。そうなんだ。灯りが必要だ。迂闊な僕・・・。何を慌てているんだよ。

 当たり前だけど周囲は結構暗い。ソリヤ家の人達に灯りに必要な火種を貰っておくべきだった。

 それでも周囲は辛うじて見える。今はこのまま進むしかない。


 案外、僕の思考は冷静なのかもしれない。

 でも、行動は無謀なんだけど。

 冷静な理由は地面に足跡がある事を確認しているからだ。結構落ち着いているよな、ほんと。

 一つは人の足跡だと思う。多分サンダルの足跡だ。小さいから・・多分女性かな。

 もう一つは獣の足跡だ。猫のような足跡か?う~ん。分からん。でも獣を見たのは見間違いで無かった事は確かのようだ。

 サンダルの足跡に獣の足跡が重なっている。女性が先に洞穴に入って獣が追いかけてきたのか?

 獣は女性を獲物と考えているのか?

 ペットだったらあんな悲鳴を出すわけがない。そもそも獣を飼育している人を見たことも聞いた事もないな。

 

 なるべく足音を立てないように注意しながらゆっくりと進む。

 

 さっき聞いた悲鳴はもう聞こえてこない。

 

 手遅れだったか?

 

 洞穴は今の所枝分かれはしていない。道を間違う事はないだろう。

 そのままゆっくりと進む。

 

 やがて何かの息遣いが聞こえてくる。

 体が緊張で固まるのが分かる。

 

 これは少なくても人じゃない。あの獣だろう。唸り声のようなものまで聞こえてくるし。

 

 マジか。

 ・・・・。

 

 ・・・確定だ。


 やっぱり獣だったんだ。

 

 かなり・・・・近い。

 緊張したまま慎重に曲がりくねった洞穴を進む。

 

 

 それは唐突だった。

 暗闇に目が慣れてきたとはいえ殆ど灯りはない。

 でも洞穴の壁はなんかのコケなんだろうか。うっすらと光っている。それでなんとか周囲を視認する事ができるのだけど。

 その中で何かが突っ込んでくる。


 瞬間、体中の毛穴が全部開いた!

 これはヤバいやつだ!


 躱さないと・・・・。


 でも・・・足が動かない。

 動け!足!


 

 躱せたのは偶然だと思う。でも完全には躱せなかった。


 証拠は体に刻まれた激しい痛みだ。

 そして息が詰まるような体当たり。かなり重量感のある物体!

 僕は弾かれるように吹っ飛ばされる。

 わけがわからない!


 あっけなくも、僕の意識は簡単に途切れてしまう。

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