全てを失った僕は生きていけるのだろうか？

08.境界線

　薄れゆく意識の中で何故か考え事が出来ている。これは一体？

　否、まずは思考だ。

　どうやら僕を襲撃した獣は待ち伏せしていたようだ。とっくに僕の行動を把握していたんだろう。

　僕はそれにも気づかなかった間抜けだということだ。

　曲がり角から出てきた僕に獣は問答無用で突っ込んできたんだろう。

　その衝撃に弾かれるように僕は吹っ飛ばされた。

　耐えられるわけもなく僕の意識はとびそうになる。

　薄れる意識を激痛が戻してくれた。

　いてぇ！

　お陰で意識を失う事はなかったのだけど。

　ありがたいような、ありがたくもないような。

　壁に左半身をしたたかに打つ。

　そのまま地面を転がる。

　態勢を整え様子をうかがう。

　えげつない突進だった。

　・・・・洒落にならない。

　多分気づいていたとしてもあんなの避けられない。

　よく生きていたなと自分に感心してしまう。

　今獣はどこにいるんだ？

　洞穴の中は暗いけど全く見えないわけじゃない。唸り声は聞こえる。

　・・・多分まだ遠いと思う。近くにはいない。

　体が痛い・・・砕けたかと思ったくらいだ。

　しかも・・・これは吐き気？

　息が詰まって苦しい。

　それでも止まってられない。

　もう逃げられない。

　今は命を懸けた戦いだ。ぼんやりしていられない。

　痛みをこらえて立ち上がろうとするのだけど。

　足がもつれてしまった。

　脳が揺れているか？

　そのまま前に倒れこむように前転する事になってしまった。

　くそっ！

　突然、背中に削られるような痛みが襲ってきた。

　悲鳴を上げたくなるが辛うじて堪える。

　獣の攻撃を受けたんだ。

　どこからだ？

　すばやすぎる。

　これ、足がもつれてなかったら終わってたぞ。ラッキーではあるけど。

　動け！この体！

　まずは・・・距離を取らないと。

　転がった勢いを利用して逃げるように距離を取る。

　幸い、獣の追撃は来なかった。

　と思ったら直ぐに何かが飛び込んできた。空気を裂くような音が聞こえる。

　獣だ！

　・・避けきれない！

　獣の速度が速すぎるんだ！

　右の顔面が弾ける！

　目に熱い棒を突っ込まれたような激しい痛みだ。

　！！。

　痛すぎて悲鳴も出ない。

　勢いを殺す事ができない。追撃を左肩付近に受ける。

　勢いのまま飛ばされる。

　これは殺す気がないのか？

　嬲られるまま嬲られている気がする。

　意識が・・・遠くなる。

　でも転がる度に襲ってくる激痛が遠くなる意識を取り戻してくれる。痛みをありがたく思うなんてなんてこった。

　痛いしか考えられない。痛みで意識が保てている感じだ。体の力が入らない。・・・耐えろ。

　ヤバい。前言撤回だ。

　・・・逃げよう。無理だ！

　・・・・・・・勝てない！

　そもそも悲鳴の女性はどこにいるんだ？

　今の所枝分かれが無い道だ。だから奥にいるはずだ。

　僕の聞き間違いだったのか？

　いや、獣は僕を待ち伏せしていた。

　そうなると女性は既に殺されていると思う。

　そして次の獲物である僕に気づいて襲い掛かってきたんだろう。

　あくまでも推測だ。

　女性が本当にいたのかも結局確認ができていない。

　いたとしても、既に殺されているのならば・・・・僕のこの行動は全くの無駄という事になる。

　無駄死だ。

　・・・・やっぱり逃げよう。

　が、僕は既に死地に足を踏み入れてしまった。簡単には逃げられない。

　考えが浅はかだった。

　浅はかな考え？

　何故こんな事考えているんだ？

　僕は今獣に襲われて逃げているんだぞ。こんな事考えている程余裕はない。

　でもなんでだ。できている？

　今だって後ろに転がりながら立ち上がるまでの瞬間に近い時間だ。

　しかも獣の位置を探しながら考えていたんだ。

　自分でも驚く位短い時間での思考だったのか？

　走馬灯だっけ？あれなのか？

　もしかして僕はもう死んでいる？

　死んでも痛みは続くものなのか？

　馬鹿な事まで考えている。

　走馬灯でなければ、火事場の馬鹿力というヤツなのか？

　死ぬと分かってリミッターが外れたのか？わからん。

　考えるといえばあの森で獣に襲われた時の記憶も未だに無い。

　あの時僕はどしていたのだろう？

　いずれにしても思わぬ力が出ている。これは今の僕にとって少しでもプラス要素になる。

　だからといって現状は攻撃を避けるだけで精一杯なのだけど。

　攻撃方法を考える暇もない。

　ダメージの確認は怖いからしていない。

　分かり切っている。

　僕は相当な重傷を負っている。

　痛すぎてどこまでが負傷なのかも分からない。全身くまなく痛い。

　酷い箇所は流石に把握できるけど。そんな暇も本当は惜しい。

　でも行動に支障がでているからきちんと把握しないといけない。

　特に右目は見えていない。

　目玉が動いている感覚が無い。あるのかって感じだ？

　触って確認するのが怖い。

　次は左腕。

　感覚が無い。痛みすら感じていない感じか。もげてはいないから神経が全部千切れたのかもしれない。

　体が引っ張られる感覚があるときには左腕のパーツが壁の隙間に挟まっている。それに気づけない。感覚は完全に無い。

　痛みをこらえて動きが鈍る都度、獣の攻撃を食らってしまう。

　幸運にもギリギリ致命傷にならないように避けられている・・はず。

　痛いのに慣れたのか麻痺しているような変な感じがする。

　でも、致命傷になっていないのか。獣の攻撃がこんなにぬるいはずがない。

　これは・・・やっぱり嬲られているのか。

　あの初撃の凄まじさを考えれば・・・だ。

　止めを刺すなら既にできているはずだ。

　コイツ楽しんでいる？

　ちょっとだけ苛々した。せめて一泡吹かせてやりたいと思った。

　このままでは悔しい。

　少しは一矢報いたい。このまま嬲り殺しは嫌だ。

　突然。

　妙な事に気づいた。

　何故か獣の姿や動きが少し見えるようになった気がする。

　火事場の馬鹿力ってヤツはどこまで出るんだ？

　どこまで継続するんだ？

　実際に獣の攻撃の瞬間が分かるような気がする。

　ほんの少しだけどそれが致命傷を避けられている要素かもしれない。

　それにしても役に立たなくなった左腕の処置をなんとかしないと。現状動きの邪魔にしかなっていない。かといってもぎる度胸まではない。

　ひとまず槍を添え木代わりにする事にした。それを右手と口で縛る。

　うん。少しはましになった。これで邪魔にならない。

　その処置の間に獣が襲ってこなかったのは幸運だった。

　攻撃の頻度が落ちている気がするな。

　もしかして警戒しているのか？

　否。

　それは無いか。

　獣から見たら僕は餌だろう。大した苦労もなく食べる事ができる餌だ。

　明らかに実力差はある事は認識しているはず。残虐な性格なのか、嬲る性格なのか。どっちにしても碌なヤツじゃないな。

　いつでも殺せると思っているんだろう。そこは否定できない。僕も敵うとは思ってないし。

　そうなると油断しているのか？だけど、獣に油断があるかまでは僕には分からない。

　でも少しだけでも時間が取れたのは事実だ。

　僕は適度な距離を取って獣を睨む。ようやく全体像を観察できる余裕が少しできた。

　それで獣の身体特徴に気づく。

　こいつ・・・目が赤く光っている。

　暗闇で鈍く輝く赤い目は車のテールランプのようだ。テールランプ？ん？なんだ？いや・・・後にしよう。

　ここでアイナさんに注意を受けた事を僕は思い出す。

　その話を思い出す。

　思い出した事と照らし合わせると。目の前の獣は獣じゃないと言う事だ。

　種類は分からないけど魔物だ。魔物の獣だから魔獣という事になる。

　体は黒い体毛におおわれている。四つ足で足が太い。爪は赤黒く光っている。即死級の鋭い爪だ。

　体高は一メートルちょっとか。体長は正確には分からない。二メートル以上はあるだろう。

　顔は狼に近いのか？そこまで詳しくは分からない。赤く光っている目だけが異常に目立っている。

　体重も結構ありそうだ。最初の突進の衝撃を覚えている。相当な衝撃だった。受け止める事はほぼ不可能だ。

　これは・・・魔物・・・。

　魔物じゃないか。

　魔物は遭遇すべきではない相手といわれた。

　ましてや人の居住地域近辺に出てくる魔物は相当強い個体らしい。この魔物と戦う事を考えてはいけないと。

　即、逃げる事。そもそも逃げる事すら容易ではないらしい。

　魔物一体で邑を全滅させる事ができるといわれているそうだ。

　僕一人で勝てる相手ではない。

　最悪だ・・・・。

　獣より何十倍も強いといわれている魔獣。こんな相手に勝てるわけがない。

　詰んだ。

　相手の魔獣は僕を嬲り殺すつもりなんだ。即死じゃないのがその証拠だ。

　従って逃がす気は毛頭ないだろう。

　完全に死地だ。

　最初に思った通り逃げるべきだったんだ。

　最初の決断に後悔する。

　なぜこんな場所に飛び込んでしまったんだ？

　柄にもなく人助けという使命に燃えてしまったのか？

　自分の面倒も自分で見れない癖に増長してしまったのか？

　それとも誰かの役に立ちたかったのか？

　結果、僕は無謀にも魔獣に挑んで死にかけているんだ。

　当然後悔はある。

　じゃぁなんで？という事を説明できない。自分でも説明のしようがない。衝動的な行動だと思う。

　結果当たり前な状態。僕の命は後少しだろう。

　僕は魔獣に殺される。

　僕の人生はこれで終わる。

　これはゲームじゃないんだ。

　死んで復活する事は無い。

　自分の判断が分からない。

　諦めが早い？見切りの速さがおかしい。投げやりになっている？

　生に執着していないような気がしてきた。

　確かにそうかもしれない。

　もともと色々あって拾った命だ。

　もう少しあがいてみよう。死を選ぶのはとても簡単だ。

　もう少しでも生きていたければ・・・。この現状を打開する手段を考えないと。

　この体で何ができるのか？

　考えてみる・・・・。

　まずは現状把握。

　息を大きく吐く。

　乱れた呼吸が戻ってくる気がする。

　落ち着こう。

　足の震えも今は無い。いきなり遭遇したんだパニックになるさ。でも今は震えていない。別の震えはあるけど。

　死中に活を求める。

　そんな言葉が頭に浮かんできた。

　でたらめだ。敵いっこない相手なんだぞ。

　僕の体はボロボロだ。

　周囲には血の匂いが満ちている。これは僕の血だ。相当出ている。このままでも失血死確実だ。

　口の中も変な味。肺が傷ついたのか血が上ってくる。変な塊も出てくる。これは窒息死の可能性もあるな。

　右目は既に潰れてしまって見えない。眼球が動いている感じが全くない。残った左目も血で時折見えなくなる。洞穴の暗闇だから殆ど見えないから今は良い。

　魔獣の唸り声をやっと認識できた。不快な音だ。そして不安な気持ちを増長させる。魔獣の威圧なのか分からないが気を強く持たないと。

　左腕はもう動かない。痛みすら感じない。痛みが無いという事が信じられない。まだ体にはくっついているんだけど。

　右腕は動くけど激しい痛みがある。でもまだ動く。

　下半身はフラフラするけど大丈夫だと思いたい。

　魔獣は変わらず距離を詰めてこない。嬲り殺しにしても慎重すぎないか？

　このまま放置されても死ぬだけだ。無策で戦っても死ぬ。

　今の所なんの策も思いつかない。空っぽの僕には経験が無い。経験も無い状態で策を考える事は難しい。

　せめて一太刀だけでも魔獣に与えて死ぬか。少しは致命傷にできるとう良いのだけど。無駄死にはしたくないな。

　女性は生きているだろうか？せめてあの女性のためと考えてみよう。

　誰かの役に立ちたいとは思っていないけど、何の意味もなく死ぬのも嫌だ。

　激動だ。

　目が覚めたら記憶が無くなっていた。全く何も思い出せない。知り合いもいない。偶々助けてもらえたけど追い出された。

　それでも親切にしてくれた人はいた。だからちょっとだけど生きていく望みができた。

　そして目の前の死地だ。僕は今、魔獣に殺されようとしている。

　良い事が殆どなかったな・・・・。

　だけど簡単に死んでやるものか。

　ちっぽけな僕にも意地がある。

　残っている左目の視界がぼやけてくる。

　血はさっき拭ったから顔についている血は乾いているはず。

　これは・・・涙？

　なぜ泣いているのか分からない。

　悔し涙なのかもしれない。

　空っぽのまま死ぬことになる自分に。

　誰の力にもなれない無力な自分に。

　こんな死に方しか選択できない自分に。

　涙の意味は分からなかった。

　悲しい感情の証では無いと思いたい。