第4話

 母が悪いのだ。こんなだらしのない男に惚れたから。

 そのだらしのない男をそのままにした正妻も悪い。せめて、母より先に子供の一人でも産めば、こんなことにはならなかった。そうすれば好奇の視線に晒されることもなかったし、血のつながりをさほど感じない男を、看取ることもなかった。

 不義を働いたのは、私ではない。私は不義の結果であって、不義そのものではない。

 この男は、二人の女に愛されて幸せだったかもしれない。二人の女も、幸せだったかもしれない。

 しかし、私は全く幸せではない。葬式の準備が進む。遺産なんて欲しくもない。大人気ない大人に全部くれてやる。

 愛人のわび住まいに、今更金が入っても仕方がないもの。

 色白い。もう随分前から調子が悪いから、外にちっとも出ていないのだ。

 かさかさに乾いた唇が、動いた。

 醜いと思いながら、私はそれを眺めている。この醜悪な死に様を眺めるのが、不幸な私の仕事なのだ。

「・・・」

 死に掛けの声が呼んだのは、誰の名前でもなかった。

 結局この男は、誰も愛してはいなかったのではないか。或いは夢見がちの少女がするように、恋に恋していたのではないか。

 最後の最後に気にかけるのは、古びた橋のことなのだから。

 だらしがない男は、私に頼んだ。自分が頼まれたことなど、ちっともやらなかったくせに。私たち一家には、もう関わらないでっていったのに。

『はしにいってくれ。まもってくれ』

 そのように、私は読み取った。きっとそういった。数日前まだ少し元気だった頃に話したのも、橋のことばかりだったから。

 だらしのない男が、二人の女とであった橋。その恋の犠牲者に、よくそんな口が聞けたわね。

 今すぐ殺してやりたい。この男が元気な頃ならそう思ったけれど、死にかけでは軽蔑しか浮かばなかった。

 よっぽど橋が好き。その橋に惚れる男に惚れる女がいたのだ。この男は、初めから誰かを娶るつもりなどなかった。彼の本妻ですら、愛人。

 初めから心は橋にあって、女は女の勘でそんな事とっくに知っていた。互いに愛人でしかないとしっているから、本妻と私の母はさらりとした水のような関係だったに違いない。

 二人の女は愛人で、男の恋を守るためにいた。橋での出会いは男の理想で、恋の始まる橋が彼の求めるものだった。

 橋姫であり続けた二人は舞台を下りた。その任を私に継げというのだ。

 守る必要も消えるのに、今度は私にあの橋を守れというのだ。

 何て不幸なんだろう。

 私は、あの橋の近くの愛人のわび住いに住み続けるのに。

 そうして知らず知らずに、このくだらない遺言を守らされるのだ。

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