【7】

 熱線はアキラを呑み込み、姿をかき消しても尚、ゴオゴオと止まることなく吐き出され続けた。

「あ、アキラぁっ!」

 やがて熱線が止み、怪獣は両腕を振り回して叩きつけるようにアキラを放り投げた。黒い影が頭上を飛んでいき、ハローワークの壁にぶつかって落下していく。

「アキラっ、アキラぁっ!」

 慌てて駆け寄ると、アキラの全身はボロ雑巾のように成り果てていた。衣服はズタズタに破れて焦げ、身体は火傷で酷い有様になり、髪はボサボサどころではすまないほど焦げ乱れ、眼鏡が割れてひん曲がっている。

「・・へへ、無理だった」

 アキラが力なく笑った。肩を抱えようとしたが、アキラは起き上がる力もないのか、ピクリとも動かなかった。

「アキラっ、なんで・・」

 アキラの傍らには、ズタボロの大剣が打ち捨てられていた。刀身には、包帯が巻かれたままだ。

 これを解き放てば、どうにかなったかもしれないというのに。

「・・・サトルの言う通りだよ。本当は分かってるんだ、もう手遅れかもしれないって。いい歳こいてまだ夢見てるなんて、馬鹿げてるってさ。いい加減に現実見なきゃって思って、ハロワに来たんだ」

 ズタズタの衣服が、魔法が解けたかのように元に戻っていく。レザーコートは黒のパーカーに、レザーパンツはダボダボのジーンズに。

「あのおっさんに言われて、思い出しちゃった。多分、実現力って強く思い続けないとダメになっちゃうんだろうな。その剣、抜けなかったんだ。俺が、現実を見ちゃったから・・・」

 アキラはすっかり元通りになったが、なぜか大剣は消えずに留まっていた。燻るように、黒いオーラを発し続けている。それはまるで、まだ諦めたくはないと大剣自身が願っているように見えた。

「ヴォオオオオアアアアオオオオンンンンッ!」

 怪獣が、四本の足を不器用に動かしながら、地響きと共に迫ってきた。このままでは・・・。

「サトル、これ・・・」

 アキラは震える手で、大剣を指差した。

「これで、アイツを・・」

「・・・え?」

「サトルなら、・・できるよ。サトルの想像力なら・・」

 そんな、まさか、戦えというのか。あんな怪獣と。

「む、無理だよ。それに、俺は・・・」

「でも、どうにかしないと、アイツが街を・・」

 確かにそうだ。このままではいずれ、二人ともあっけなく踏み潰されてしまう。

「サトル、ヒーローに・・・」

 それだけ言うと、アキラは突然ぐったりと目を閉じた。

「あ、アキラっ!どうしたんだよっ!アキラぁっ!」

 肩を揺すったが、アキラは目を開けなかった。

「くそっ、くそっ・・」

 地響きが、アキラの眼鏡を揺らして落とした。辺り一面に影が差し、背中に強大な威圧感を感じる。

 立ち上がり、振り返った。怪獣が、もうすぐそこまで迫って来ている。

 やるしかないというのか。

 実現力?どうすればいい?成りたい者を、心の中で思い浮かべるのか?

 目を閉じた。

 成りたい者。今の自分が、成りたい者。

「・・・っ!」

 肌に風を感じた。まさか、今、自分の身体は、変貌を遂げているというのか?

 目を開ける。

 何が起こった?どうなった?

 腕を見る。別に、何も変わっていない。いつも着ているスーツの袖だ。

 向き直り、ハローワークのガラス張りの壁を見た。映り込んでいる自分の姿は、さっきと何も変わっていなかった。肩を落とし、くたびれたスーツを着ている。

 まさか、自分には、実現力が無いというのか?いや、そもそも、あの声の言っていたことは嘘っぱちで・・・。

 困惑していると、ふと、目に付くものがあった。自分の首に、いつの間にかストラップが掛かっている。

 視線を下げた。ストラップには、カードケースが取り付けられていた。手に取り、眺める。

 それは、社員証だった。ハローワークのロゴと住所、電話番号、社員番号、そして、自分の名前が印字されている。その横に、自分の顔写真があった。

「・・・こんな」

 写真の中の自分は、無表情でこちらを見つめていた。

 こんなものなのか?俺の成りたい者は。ハローワークの正社員。そうだ、最近の自分は、それに成りたいと願っていた。

「・・・こんなもの」

 どこまでも自分が情けなくなった。心の中でタガが外れ、堰を切ったように押さえつけていた感情が溢れ出す。

 

 ————違う。


 俺は、こんな者に成りたかったわけではない。こんな者を目指していたわけではない。

 俺だって、かつては見ていた。途中で諦めてしまったが、俺にだって、追いかけていた理想の未来があった。

 現実が襲ってきた?違う。自分の目で、現実を見たのだ。自分の手で、諦めたのだ。自分から、現実に呑み込まれに行ったのだ。そっちの方が、ずっと楽だったから。

 呑み込まれない連中を、指を差して嘲笑った。冷たい笑みを浮かべて、どうせ無理だと現実の側に立って。

 本当は、本当は羨ましかったのだ。諦めずに、追いかけている連中のことが。

 憧れていたのだ。悔しかったのだ。踏み込めなかった自分のことが情けなくて、許せなくて、たまらなく憎かったのだ。

 本当は、現実など、見たくなかった。ずっと、ずっと。


 ————俺は、夢を見たかったのだ。


 社員証を引き千切って捨てた。目を閉じ、心の奥底から、かつての自分を掘り起こす。

 厨二病だった頃の自分を。


「うあああああああっ!!!」


 叫んだ、と同時に、爆発が起こったような衝撃が全身から発せられた。

 目を開ける。

 そこには、かつて夢見た自分の姿が映り込んでいた。

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