【6】

 台風が襲来したかのような強風と、地震を思わせる地響きが、同時に襲いかかってきた。発信源は言わずもがな、あのビル怪獣からだ。

 普通なら身じろぐところだが、あまりに未体験過ぎる光景に、ピクリとも動けなかった。足がすくみ、手が震え、力が抜け、息が止まる。

 恐怖、どころではなかった。全身を、今までに経験したことのない畏怖という名の感情が支配していく。

「ん?あそこになんかいるぞ」

 まったく調子の変わらない声を上げ、アキラがビル怪獣の頭を指差した。震えながら、その先を見ると、クジラのような頭部の鼻先に、人間の上半身が生えていた。怪獣の体表と同じく、コンクリートのような灰色の肌で、ところどころにガラス片がささくれ立っている。

「誰だろ、あれ」

 と、アキラが呟いた瞬間、

「コノ街ハ私ノモノダアアアアァッ!!!」

 と、その上半身が叫んだ。

「ガアアアアアッ!ミンナ私ノイウコトヲ聞ケッ!私ハ、県知事ダゾッ!コノ街ノ誰ヨリモ、最上位ノ存在ナノダアッ!ヒレ伏セッ!」

 高らかに喚きながら、上半身は両腕を広げて掲げた。まるで、権力者が演説をするかのように。

「うひゃーっ!あいつ、ラスボスみたいだな!ありがちなデザインしてらあ!」

 最早、この状況をものともしないアキラに、怒りを通り越して呆れ果てた。なぜ、こんな悠長に振舞えるのだろう。狂ってしまっているのか?それとも、自分の方が狂っているのだろうか?

「ヌゥウウウ?」

 上半身がこちらを見下げた。怪獣が頭をもたげ、重低音が響く。

「ナンダァ、オマエタチハ。コノ街ノ若者カァ?何ヲシテイル」

「なあ!あんた、ホントに県知事なの?」

 アキラが子供のような質問をすると、怪獣が身を震わせ、地響きが足に伝わった。

「ナンダァ!ソノクチノキキカタハァ!貴様ラノヨウナ若造ガァ!コノ私ニタメグチナドキクンジャナイッ!」

「わあ、ごめんごめん!そんなに怒んないでよ!」

「ダイタイ!今ハ平日ノ昼間ダゾッ!イイ歳コイテ、フラフラト何ヲヤッテイルノダ!ロクデナシカッ!」

「なんだと!俺はろくでなしじゃないっ!俺には、ちゃんと夢があるんだっ!」

「夢ダトォ!下等ナ若造ガァッ!夢ナド見テナイデ、真面目ニ働ケッ!現実ヲ見ロッ!バカモノガァッ!」

「・・・なんだとぉ?」

 アキラが身構えた。ザワザワと、空気が張り詰めていく。

「いい歳こいて夢見て、何が悪いんだっ!」

 アキラが右腕を掲げ、人差し指を突き出した。

「ブラックバスターッ!」

 一直線に放たれた黒い閃光は、凄まじい速度で怪獣の鼻先をかすめた。まるでレーザーのように怪獣の皮膚が焼き切られ、シュウシュウと煙が上がる。

「グアァ!貴様、私ニ歯向カウ気カァッ!」

「うるせえっ!いくつになったって、夢を見る権利くらいあるだろっ!」

 アキラが啖呵を切ると、怪獣がまた全身を震わせた。鱗が逆立ち、ジャギジャギと不快な音が響く。

「なっ、何やってんだアキラっ!まさか、あいつとやる気なのか!?バカなのかよっ!?あんなのに勝てるわけねえだろっ!」

 ガクガクと震えながら諭したが、アキラは既に戦闘態勢に入っていた。全身に、黒いオーラを纏っている。

「・・・やってみなきゃ、分かんないだろっ!」

 と言うや否や、アキラは背中からバサッ!と翼を生やした。黒く、カラスに似た羽が、辺りに舞い散る。

「うおおっ!」

 翼をはためかせ、アキラが飛び立った。そのまま怪獣の目の前まで躍り出ると、右腕を掲げて再び閃光を放った。まともにくらった怪獣が面食らって、頭を大きく上にのけぞる。

「グァアア!若造ガァ!生意気ニ夢ナド見ヤガッテェ!貴様ラノヨウナ若造ハァ!我々ノヨウナ上ノ世代ノタメニ、犠牲ニナッテイレバソレデヨイノダアッ!」

 県知事が喚くと、

「ヴォアアアオオオオオォンンンンンッ!!!」

 と、怪獣が呼応するように大口を開けて吠えた。瞬間、怪獣の背中からバキバキと無数のトゲがそびえ立ち、大蛇のようにうねりながらアキラに襲い掛かった。

「うわあっ!くそおっ!」

 アキラは高速で逃げ回ったが、無数のトゲたちは止まらなかった。何度か黒い閃光が放たれ、いくつかのトゲが崩れていったが、焼け石に水だった。夥しい数のトゲが、アキラに迫っていく。

「あああ・・・」

 地面に降り注ぐトゲの残骸と、怪獣が身をよじる度に唸る地響きに、尋常ではない恐怖を感じ、思わず後ずさった。さっきの怪物やモンスタートラックどころではない。これはもう、天災の域だ。

「う、うわああっ!」

 いてもたってもいられなくなり、身を翻して必死に走った。

 あの怪獣から離れないと、命が危ない。逃げないと、隠れないとっ!

「うがあっ!」

 アキラの悲鳴が聴こえ、振り返った。いつの間にか、怪獣の下顎から髭のように、人間そっくりの腕が二本生えていた。その手に、アキラが握られている。まるで、洗濯物でも干すかのように、翼をがっちりと掴まれていた。

「捕マエタゾ、若造ガァ!散々私ヲコケニシヤガッテェ!」

「くそぉっ!」

 アキラはもがいて抵抗していたが、無駄なようだった。囚われたまま、怪獣の鼻先まで持って行かれる。

「うおおおっ!」

 アキラが突然背中に向かって手をかざした。瞬間、黒いオーラが炎のように湧き上がり、剣のシルエットを形作った。やがて、黒いオーラが溶けるように消え去ると、アキラの手には黒い大剣が握られていた。刀身に、包帯が巻かれている。

 そのまま、アキラが大剣を掲げようとした瞬間、

「ダイタイナンダ!ソノフザケタ格好ハ!」

 と、県知事が怒鳴った。

「なんだと!これは俺の夢だぞ!」

「夢ダトォ!ソンナフザケタ夢ガアルカァ!現実ヲ見ロッ!貴様ノヨウナ現実ヲ見ナイ輩ガッ!コノ日本ヲダメニシテイルノダァッ!」

「・・うるせえっ!俺はっ!」

「ヴォアアアオオオッ!」

 今度は怪獣が吠えた。と同時に、大口から煙が漏れ出たと思ったら、灰色の熱線がアキラに向かって放たれた。

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