【5】

 言葉が出なかったが、目の前の光景が、それはあながち嘘ではないと語っていた。

 まるで、少年漫画のような出来事が、実際に目の前で起こったのだから。

「な、なんだろ。なんか、俺、凄くない?」

 アキラが右腕を掲げてしげしげと眺めた。銀色の鎖がシャラシャラと意志を持っているかのように巻き付いていく。

「・・・嘘だろ」

 ようやく口をついて出たのは、そんな言葉だった。

「な、なんだそれ。どうなってるんだ?」

 近寄って眺めたが、奇妙さが増しただけだった。右腕だけが、謎の変貌を遂げている。

「あいつらの言ってた実現力って、もしかしてこういうこと?」

 アキラが素っ頓狂な声を上げた。白い光に包まれた時のことを思い出す。あの時、聴こえてきた謎の声。あれは、まさか、本当に・・・。

「ちょ、ちょっと待てよ。まさかっ」

 突然、アキラが駆け出した。

「お、おいっ」

 慌てて後を追いかけると、アキラはまだ辛うじて割れずに残っていたハローワークのガラス張りの壁の前で立ち止まった。

「もしかして・・」

 アキラは俯くと、足を開いて深呼吸した。そのまま、じっと動きを止める。

「あ、アキラ?」

 困惑していると、アキラの右腕に巻き付いていた鎖が、シャラシャラと伸びていき、肩から胴体に巻き付いていった。

「———!」

 息を呑んだ。

 鎖が這った先から、アキラの容姿が変貌していく。くすんだ小汚い黒のパーカーが、黒のレザーコートへと変わっていき、ダボダボのジーンズがこれまたテラテラと光る黒のレザーパンツに変わっていく。それらの所々に施された銀色の装飾は、悉くドクロと十字架を象っていた。

「うわー!なにこれ!スッゲー!」

 顔を上げたアキラが、ガラスに映り込んだ自分の容姿を見てキャッキャとはしゃぎだした。

「・・もう何がどうなってるんだ」

 まともに考えるのを放棄していると、アキラがポーズを取りながら、興奮気味に語りだした。

「なんだか分かんねえけど、あの声、実現力って言ってただろ?これって、もしかして、想像したことを現実にできるんじゃねえか?だとしたら、これって凄いことだぜ!自分が思い描いた姿に成れるってことだろ!だから、ほら、見ろよ俺の姿!これ、俺の書いてる漫画の主人公そっくりだ!スゲー!カッケー!うおーっ!」

 はしゃぐアキラを尻目に、取っ散らかったままの脳内で、とりあえず思考を整理する。

 あの謎の声が本当の事を言っていたとするならば、今、この街は未確認生命体の実験場となって、全員に武器が配られて、戦わされて、でも、争う争わないは自由とか、安全とかなんとか、次元がどうだのこうだの、ああ、わけが分からない!

 実現力?思い描いた通りの姿に成れる?何の話だ。ふざけたことを。馬鹿にされているとしか思えない。

「サトルも何かに成れるんじゃないか?」

 ポーズを決めるアキラが呑気に言うが、それどころではなかった。ハローワークの入り口を見る。一大事だ。職場が破壊されてしまった。これから、どうなるというのだ。今日の仕事は?休日扱いか?手当は出るのか?

「なあ、サトルっ」

「うるさいっ!」

 思わず怒鳴った。混乱していて、わけが分からない。脳が状況に追いついて行かない。

「落ち着けよ、サトル。よく分かんねえけど、あの声、俺たちに危害は加えないって言ってたから、大丈夫だろ。あっ・・、もしかしたら、あの怪獣もどっかの誰かだったのか?俺、倒しちゃったけど・・・。まあ、なんか元通りにしてくれるって言ってたし、大丈夫か。だとしたら、誰かはあの怪獣に成って暴れたかったのかな?ハローワークなんかぶっ壊してやる!みたいな発想で」

 早口で話すアキラに苛立ちを覚えた。なんでこんなにも、この状況に適応しているんだ。普通は戸惑うものだろ。こんな、わけの分からない状況。そう、まるで漫画のような・・・。

「ん?」

 ポーズを取っていたアキラが振り返った。

「おい、サトル、あれ」

「なんだよっ、今度は何だっ」

 振り返ると、通りの向こうのビルから、モクモクと黒煙が上がっていた。

「行ってみようぜ!何かが起こってる!」

 アキラが走り出した。呆然とその後姿を見ていると、駐車場の地面に直立しているペットボトルが目に付いた。アキラが飲んでいたメロンソーダだ。

 あれは、気がついた時には、倒れていて、中身を吐き出していて・・・。

 ———元通りになればいいのに。

 確かに、自分はそう思った。まだ半分以上残っていたから、もったいないと。

 まさか、自分の思い、いや、願いが実現したというのか?

「うわーっ!」

 叫び声がして、我に返った。アキラが、道路の真ん中でトラックと対峙していた。いや、あれは、トラックなのか?運転席があるはずの場所に、目玉のような形の窓が・・・。

「グァオオオオオッ!ドケエッ!死ニテエノカアッ!」

 トラックが喋った。信じられなかったが、トラックがバンパーを口のように開いて喋ったのだ。

 呆然と見ていると、トラックの車体がメキメキと音を立てて変形し、四つ足の怪物のようになっていった。タイヤから無数のトゲが生え、荷台がバキバキと隆起し、大ぶりな二対の筒が飛び出したかと思うと、その先からゴウゴウと炎が噴出された。

 あれは、・・・モンスタートラック?

「グォオアッ!ドイツモコイツモ、ノロノロ走リヤガッテ!道路ハ俺タチ運送屋ノモノダロウガッ!邪魔ナンダヨッ!ボケガァッ!死ネエッ!」

 トラックが唸りを上げ、トゲだらけのタイヤを回転させながらアキラに迫った。

「なんだこいつっ!うおおおっ!」

 アキラが手をかざし、またあの黒い塀を出現させた。さっきのものよりも、ずっと分厚くて大きい。

 ガギィンッ!

 と、モンスタートラックが黒い塀、いや、バリアーに突撃した。ガリゴリとタイヤを擦り付けて、打ち破ろうとしている。

「グゾガアアアアッ!!」

 モンスタートラックの気筒から、バーナーのような炎が激しく噴き出し、勢いを増した。ビクともしていなかったバリアーが次第に削られていき、アキラ側に傾いていく。

「うおおおおおっ!」

 アキラが両手をかざして踏ん張ったが、バリアーは見る見るうちに崩壊していく。

「あ、アキラぁっ!」

 思わず叫んだ瞬間、アキラが突然のけぞって右腕だけをかざし、人差し指を突き出した。まるで、拳銃を象るように。

 バキン!

 とバリアーが破られ、モンスタートラックが大口を開けてアキラに迫った。だが、アキラは微動だにせず、


「ブラックバスターッ!」


 と言い放った。瞬間、アキラの人差し指から黒い閃光が放たれ、モンスタートラックを一直線に貫いた。


 ボガアアアアンッ!


 と大爆発が起き、モンスタートラックが消し飛ぶ。あんぐりと口を開けていると、

「うおー!スゲー!必殺技出せた!ひゃっほーっ!」

 と、アキラが子供のように飛び跳ねた。

 よろよろと、よろめきながらアキラの元へ向かった。もう限界だ。理解を超える出来事が立て続けに起こったせいで、脳がとろけてしまいそうだ。

「見ろよ、サトル!俺、凄くない!?」

「・・・あ、ああ」

「すげーっ!俺、漫画のキャラになっちゃった!何でもできるぜ!うおーっ!」

 アキラが子供のようにはしゃぐ。格好は確かに漫画じみているが、身体はアキラのままなので、まるでコスプレイヤーのように見えた。

「なあ、サトルも何かに成れるんじゃねえか?思い描いた者にさ」

 アキラが興奮気味に言う。

 成りたい者?思い描いた者?

 自分の、かつての、成りたい、思い描いていた、理想の。

「・・・っ」

 歯を食いしばって、頭を振った。

 何を考えているんだ。あれは、もう忘れ去ってしまいたい記憶のひとつだ。

 あの頃の自分はバカだった。未熟過ぎた。何も分かっていなかった。叶いもしない理想の未来を追いかけようとしていた。

 やがて、目が覚めた。否が応でも現実が襲ってきて、追いかけるのをやめた。叶いもしないと分かった瞬間、恐ろしいほど早く熱は冷めてしまった。追いかけるのと違って、諦めるのは簡単だった。一瞬で、現実に呑み込まれてしまった。

 それ以来、追いかけている連中を見ると、嘲笑うようになった。どうせ叶いもしない理想の未来を追いかけている連中を、指差して冷たい笑みを浮かべるのが、無性に楽しくなった。

 本当は————。

「うわあっ!なんだあれ!」

 我に返ると、アキラが天を仰いでいた。

「・・・は?」

 ビルが、蠢いていた。わけが分からないが、ビルが蠢いていたのだ。

 通りの向こうということは、あのビルは確か、県庁舎だ。いや、税務署だっただろうか?確か、そういった建物だったはずだが、そのビルが今、重低音と共に蠢いている。コンクリートの外壁がうねり、ガラス張りの窓が割れてささくれ立ち、併設されているビルを巻き込んで、倒れていく。

「・・な、・・・何なんだ」

「・・・怪獣?」

 癪だったが、アキラの言葉が一番しっくりきた。割れた窓ひとつひとつが、ささくれ立った鱗のように見える。不揃いな動きで蠢くそれは、大蛇の体表を連想させた。

 気が付くと、ビルは近隣の建物を巻き込みながら、融合していった。ブルブルと表面を震わせながら、建物と建物が混ざり合っていく。それは、まるで胴体が手足を欲して、蠢いているように見えた。

 やがて、コンクリートが削れる音と、ガラスが割れる音が混ざり合った重低音が止み、ビル群は手足が生えたクジラのような姿の怪獣に成り果てた。

「うわあ」

 アキラが間抜けな声を上げた瞬間、クジラの顔に一文字にヒビが入った。バキバキと音を立てて形成されたそれが、ゆっくりと上下に開き、


「————ヴォオオオオアアアアアアォオオオオオオンッ!!!!!」


 と、聞いたことのない重低音で咆哮した。



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