【3】

「うめー!ありがとな。やっぱメロンソーダ美味いわ」

「いいよ、別に」

 メロンソーダをありがたがるアキラに辟易しながら、ベンチに座った。ブラックコーヒーのプルタブに爪を立てながら、ため息をつく。ここなら、誰の目にもつかない。正社員共に見られることもないだろう。

 横に座り、メロンソーダを飲むアキラを眺める。ダボダボのジーンズに黒いパーカー。ボサボサ頭に黒縁メガネ。昔から、何も変わっていない。いや、成長できていないのだろう。社会経験の無さが、ボヤボヤとした表情に滲み出ていた。

「っていうか、お前さ。まだ漫画家目指してたのか?」

「ん?ああ、ずっと目指してるよ」

 呑気に言うアキラを見て、口元が緩みそうになった。ブラックコーヒーを飲み、苦みを口に含んで冷笑をごまかす。

「それで、結果は出てんの?」

「それがさあ。何回も描いちゃあ応募したり、持ち込んだりしてるんだけどさあ。まったく相手にされないんだよなあ」

 その危機感のない物言いに、胸の中で静かに怒りを感じた。

「絵は褒められるんだけどなあ。肝心の設定とか、ストーリーがてんでダメだってさ。俺、そういうの考えるの、得意じゃなかったからなあ。あ!見る?俺の漫画」

 アキラはカバンから透明なファイルを取り出した。中に、ホチキスで装丁された紙束が丁寧に保管されている。

「読んでくれよ。感想聞かせてくれ」

 差し出され、手に取った。表紙らしきページに、黒いコートを着て剣を構える少年の絵が描かれている。

「・・・いいよ。俺、漫画読まないし」

 ページをめくらないまま、差し出し返した。心のどこか、弱みともいうべき場所が、チクチクと疼く。

「えー、残念だなあ。ってか、サトル、漫画読んでないの?サトルといえば、漫画みたいなとこあったのに」

 また痛い所を揺さぶられる。思い出したくもない過去の記憶が蘇ってくる。まだ何も分かっていなかった、バカで未熟な頃の記憶が。

「そうだよ!思い出した!昔さ、サトルと二人で漫画書いてたよな!俺が絵を描いて、サトルが設定考えてさ。ほら、中学生の頃、覚えてない?」

「・・・あんまり覚えてないよ」

「そう?でもさ、俺、思うんだよね。あれが俺の漫画人生の原点だったんだよ!俺、絵を描くのは好きだったけどさ。それにストーリーを付け加えるのは上手くできなかったんだ。でも、中二の時に、クラスで一緒になったお前が話しかけてきてくれてさ。今でも覚えてるよ。俺の絵見て、褒めてくれたこと。こいつはどんなキャラクターなのって聞かれて、それから色々設定を考えるようになったんだ。嬉しかったなあ。あの頃、俺の絵を褒めてくれたの、サトルだけだったんだ」

 過去をまくしたてるアキラに、沸々と怒りが込み上げてくる。手に握っているブラックコーヒーの缶が、メコリと凹むのを感じた。

「なあ、覚えてる?二人で考えたキャラクター。この漫画の主人公もさ、あの時二人で作ったキャラクターが原型なんだよね。楽しかったなあ、あの頃。そうだ!なあ、サトル。もう一回さ、俺の絵にストーリーを足してくれないか?今の俺に足りてないものってさ、サトルみたいなストーリーとか設定を考える力だと————」

「いい加減にしろよっ」

 喉元に押さえつけていた怒りが、とうとう口をついて出た。

「お前さ、いつまでくだらない夢見てんだよ。いい加減に年齢考えろよ。もう27だぞ。いつまでフラフラできると思ってんだよ。さっきの窓口でも、不満ばっかり垂れやがって。大体、大して職歴もないフリーターにまともな会社を紹介できるわけないだろ。たまに窓口に来るんだよな、お前みたいなヤツ。目先のくだらないものばっか見て、自分のこと一切見えてないヤツ。俺、そういうヤツ見るとイライラするんだよ。自分の置かれてる立場も考えないでさ。現実見ろよ。どうせ叶いもしない、くだらない夢ばっか見てないでさあっ!」

 押さえつけていたものを勢いに任せて、全て吐き出した。久しぶりに感情的に話したせいか、肺と喉と舌が震えている。

 下を向き、荒くなった呼吸を整えていると、急激に心臓が冷えていくのを感じた。

 今、自分は、何をした?

 罵ったのだ。久しぶりに再会した友人を。酷い言葉で。

 見る見るうちに、後悔という感情が全身を支配していった。心の中が冷たくザワついていき、ズキズキと疼きだす。

「・・・分かってるよ」

 顔を上げると、アキラはファイルを握りしめながら、俯いていた。

 しまった、と感じたが、もう遅かった。自分が吐き捨てた無責任な罵倒が、アキラの心に深く突き刺さってしまったのを、確信した。

 いたたまれなくなり、思わず目を逸らすと、ガラス張りの壁に、反射した自分の姿が映り込んでいた。

 くたびれたスーツ姿の自分が、肩を落としてこちらを見つめている。物言いたげな表情を浮かべるもう一人の自分は、本当はこんなはずじゃなかっただろ?という視線をこちらに向けていた。

「・・・じゃあな」

 アキラはファイルをカバンにしまうと、立ち上がった。俯いたまま、トボトボと駐車場の方へ歩いていく。片手に握られたメロンソーダは、まだ半分以上残っていた。

「あ、アキラっ」

 慌てて呼びかけたが、アキラは振り返らなかった。その丸まった背中は、酷く寂しげに見えた。

「待ってくれ、アキラっ」

 後を追いかけて、駐車場に出た。曇り空が広がり、辺り一面に冷たく白い光が差していた。

「アキラっ。ごっ、ごめん。俺っ・・・」

 言葉に詰まる。謝らなければならないというのに、舌が震えて言うことを聞かなかった。

 アキラは呼びかけに応じて立ち止まったが、振り向くことはなかった。天を仰ぎ、灰色の空を見上げていた。

「・・・アキラ、ごめん。俺———」

「なんだぁ、あれ?」

「え?」

 素っ頓狂な声を上げるアキラにつられて、空を見上げると、謎の物体が白い光を放ちながら、上空をふわふわと漂っていた。

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