【1】
眠い。明るい。朝か。
けたたましく鳴る携帯のアラームを止め、気怠い身体を起こす。
のたくった布団をのけて、目をこすると、テーブルの上の空き缶が目に付いた。昨日の夜飲んでいたアルコール度数の強い缶チューハイだ。どうやら、片付けないまま寝落ちしたらしい。
「・・・クソッ」
起き抜けに独り、悪態をつくと、ベッドから起き上がった。アルコールに汚れた身体を引きずるように動かして、空き缶を片付ける。
平日の朝だ。始めなければならない。
何も始まらず、何も終わらない、灰色で平坦な一日を。
「うーん、これだとなあ」
「何か、問題がおありですか?」
「うーん、給料低いなあ・・・」
ボヤボヤと不満を垂れる客を見る。容姿からして明らかに年上だったが、思わず怒鳴りつけてやりたくなった。
「しかし、掲示された条件の中では比較的、良い方だと思いますが・・」
「うーん、ちょっとなあ。もう少し他の会社も見てから考えるよ」
「そうですか。では、またどうぞ」
求人検索端末ブースへトボトボと向かう客を事務的に見送った。
”うーんじゃねえよ、真面目に現実を見ろ、いい歳こいて怪獣がプリントされたシャツなんか着やがって”、という言葉を喉元でこらえながら、頭を下げる。
視界から客の姿が消え去り、ふう、とため息をついた。
ハローワークの窓口担当になってから、もう二年が経つ。正社員ではない。非正規雇用だ。
別に、就きたくて就いた職ではなかった。大学を卒業してから、就職活動に失敗し、ふらふらと無気力に漂っていたら、なぜかここにいた。ただそれだけのことだ。
非正規雇用、いわゆる派遣社員だが、だからといって待遇が特別悪いわけではなかった。似たような境遇の先輩派遣社員から、
「俺たちはまだ運がいい方だよ」
と言われたこともある。どうやら、非正規雇用と言えど、ハローワークの職員というのは世間にとって体裁がいいらしい。スーツ姿で出社し、行政機関で働く、という行為が、周りから見れば、まるで立派な公務員のように映るからだろうか。所詮は公務員の真似事をしているだけだが。
実際、何不自由なく暮らせるほどの給料はもらっている。贅沢はできないが、いつでも気兼ねなく外食できるほどの金が、常に財布の中に入っているからだ。
だが、不満がないと言えば、それは噓になる。
そもそも、内向的な性格の自分に窓口相談員なんて向いていないのだ。見ず知らずの人間と会話するだけでも嫌気がさすというのに、職歴や保有資格を聞き出して審査するなんてことは、苦痛で仕方がない。
それに全員が全員ではないが、窓口に尋ねてくる人間の中には、不快な態度や言葉遣いをしてくる者もいる。一度、恰幅の良い中年男の失業者から、
「なんだ、上からものを言いやがって。お前ら公務員は良いよなあ。人様が払った税金でメシが食えるんだからなあ」
などと怒鳴られたこともあった。
”自分だって、非正規雇用なんですが”。
その言葉を必死に喉元でこらえて、頭を下げた。あの時ほど、この職を辞めてやりたいと思ったことはない。
だが、辞めたところでどうなると考え直し、今もここにいる。苦痛で仕方がないが、ここを離れたところで、自分が目指す場所など、どこにも無いからだ。
だが、ここにいつまで惨めにしがみついていられるかも、分かったものではない。
運よく二年目も再採用されたものの、三年目も再採用された、という話は周りで聞いたことがない。来年の今頃は、どうなっているかも分からない。また、やりたくもないことをやらせてくださいと、作り笑顔で言い続ける日々が来るのだろうか。そう思うと、不安で仕方がなかった。
ふう、とまた、ため息をついた。正社員共から見えないようにスマホを取り出すと、SNSアプリを立ち上げて、トレンドニュースに目を通す。
”米大統領がまたも失言。ヘイトスピーチにあたると炎上”。
”国産メーカーの意地。日本企業が今年度も世界販売首位”。
”子猫が母猫に対してとった可愛すぎる行動とは?”。
”日本の上空に未確認飛行物体が出現。目撃談によると、謎の発行体が・・・”。
”100均アイテムが大活躍。収納のススメ”。
規模が大きすぎて、自分にはうまく理解できないもの。わざわざ取り上げるほどの事かと思うほど、ちっぽけでくだらないもの。大小さまざまなニュースが画面上に現れては消えていく。どれも、大して興味をそそられない。
何かないかと、画面をスライドさせていくと、ふと、その中の一文に目が留まった。
”大人気漫画、ついにアニメ化!豪華声優が集結!”。
「・・・」
画面を閉じた。黒い板切れと化したスマホをポケットにしまう。
行き場のない苛立ちを覚えながら、目をこすった。胸の奥で、冷たい怒りが湧き上がっては消えていく。
何を考えてるんだ、今更。お前にはもう無関係なことだろ。
そう自分に言い聞かせた瞬間だった。
「あのう、窓口ってここですか?」
ハッとして前を向くと、眼鏡をかけた男が、頭を搔きながら佇んでいた。
「あっ、すいません。こちらが相談窓口になります。どういった御用件でしょうか?」
「ええと、この会社についてなんですけど・・・ん?」
男は、眼鏡をクイッと上げて、しげしげと顔を覗き込んできた。
「あれ?サトル?」
「・・え?」
ふいに名前を呼ばれ、戸惑っていると、頭の中で随分と使っていなかった引き出しを開けたかのように、埃を被っていた記憶が蘇った。
「・・・アキラ?」
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