70話

(……マジかよ、太一!)


 味方の太一のゴールなのに、俺はむしろ『してやられた』という感覚を覚えた。

 喜びを押し殺したような太一のドヤ顔があまりにムカついたからだと思う。




「やりやがったな、コノヤロー!」


 でも太一の見事なゴールを一番に祝うのは……絶対に俺じゃなきゃだめだった!

 真っ先に駆け寄って、栗色のネコっ毛の髪をわしゃわしゃとかき混ぜてやる。普段は汗なんか一滴もかきそうにない雰囲気の太一だが、胸元まで汗でびっしょりだった。


 もう一度試合の再開を急ごうと翔先輩がゴールネットのボールを取りに行ったところで、武井さんのホイッスルが一際長く鳴った。


 試合終了だ。俺たちの勝ちだ!俺たちが勝ったのだ!




「ふふふ、正洋。敵を欺くならまず味方からでしょ」


 近寄っていった太一はそう言ってドヤ顔を決めた。


「嘘つけ!お前もギリギリじゃねえかよ……」


 太一は明らかに立っているのがやっと……というほどにふくらはぎがプルプルと震えていた。

 まったく、コイツは究極の負けず嫌いだな。

 ……まあそうか、そうでなきゃ将棋でプロを目指そうなどとは思わないだろうし、未経験のサッカーにこれだけ気持ちを乗せることは出来ないだろう。


「やったな!」「なんだ、最後のはクロスが入っちゃったんだろ?」

 他のメンバーも皆駆け寄ってきた。


 ああ……今まで味わったことのない気分だ。こんなに最高の気分を味わって良いのだろうか?




 俺は高校で普通にサッカーがしたいと思っていた。でも色々な要因があってそれは叶わなくて……先輩たちとモメてサッカー部の存続を賭けた試合になった時は「自分は何てツイてないんだろう……」って何度も思った。

 でもそれがあったから、こうして最高の気分を味わえているのだ。

 何より俺たちは勝負に勝ったのだ。

 努力にはそれだけで素晴らしい価値がある。それは間違いない。でも勝たなければこんなに最高の気分は味わえなかったことも間違いない。




「お前ら……卑怯じゃね?」


 翔先輩が近付いてきた。

 口調は落ち着いたものだったが、それゆえに俺は怖さが勝りまともに顔を見ることが出来なかった。


「……すいません」


 思い当たる節がありすぎて、俺はそれしか返せなかった。


「ま、負けは負けだし……しょうがねえか」


 ふと見上げると、呟いた翔先輩の顔に俺たちへの怒りはなかった。悔しさはもちろんあったが、それよりもいい試合を最後までやりきれた、という清々しさが溢れていた。


「なあ、中野?」


 少し遅れて中野先輩も近付いてきた。


「まあ……約束は約束だしな。仕方ないが、約束も守れない男と思われるのは癪だしな」


 ふざけんな!もう一回試合だ!とブチ切れるかと思った中野先輩だったが、その表情は翔先輩と同じく清々しいものだった。先輩たちもこの試合を楽しんでくれたのだろう。


 別にこれは俺や太一の功績ではない。

 サッカーボールが持つ魔法の力なのだ。真剣勝負の面白さを知ってしまったら、誰もがもう一度その喜びを味わいたくなってしまう。


 その時俺たちのもとに誰かが駆け寄ってくる気配がした。

 長いポニーテール、甘い制汗剤の香り。朝川奈緒だった。

 彼女は瞳を潤ませ両手を伸ばし、今にも抱きつきに来ようかという体勢で俺に近づいてきた。

 ……え、ウソだろ。ちょ待って。いや、もちろんイヤじゃないけど、俺今めちゃくちゃ汗臭いだろうし。

 

 ……もちろん彼女が飛びついたのは俺ではない。

 俺の後ろに立っていた、兄の翔先輩だった。

 周りの目も気にせず、彼女は無言で翔先輩の肩に顔を埋めた。


「昔のお兄が帰ってきたみたいで嬉しかった……すごく嬉しかったよ……」


「ちょ、奈緒。やめろって!」


 対する翔先輩は見たこともないくらい狼狽していた。いつもクールで、でもどこか自信に満ちている翔先輩のそんな顔は一度も見たことがなかった。


「何?お前ら家ではそんな感じなの?」


 中野先輩がじとーっとした目で二人を見つめていた。

 呆気に取られていた皆もこの一言で解れたようで、ようやく笑い声が上がった。




「ねえ、吉川君。奈緒が自分のところに来なくて残念だったね」


 俺は後ろから声を掛けられて、心臓が止まるかと思った。

 振り返ると、奈緒と一緒にずっと試合を観戦していた桐山さんが立っていた。


「いや、そんなわけないじゃん!」


 俺は必死に否定したが、桐山さんの顔には全てお見通しとばかりの意地の悪い笑顔が張り付いていた。

 まったく……俺の周りには意地の悪い人間ばかりが集まっているようだ。



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