第18話 Sクラス対抗トーナメント 前編
華やかな香りが鼻孔をくすぐり、微睡みの水底から邪魅の意識がゆっくりと浮上していく。
「あら、起きたわねん」
「うおぉぉっ!?」
目が覚めたらゴリラの顔が鼻先数センチの位置にあった。
ゴリラの鼻から噴き出した生暖かいラベンダーの香りが「ふすー」と邪魅の前髪を揺らす。最悪の目覚めにも程がある。
「な、なんだテメェ!?」
「うふっ、アタシは天原学園白衣のエンジェルゴリラ、ゲボ美・ゴリラップよん。よろぴくねん」
「僕らは
何一つ説明になっていないゴリラの自己紹介に混乱する邪魅に先に目を覚ましていた暁が横から現状を説明した。
「……ってことはここは天原島か」
「そゆこと。アンタたち全身の皮膚を剥がされてひどい有様だったのよ? ま、アタシが完璧に治したけどねん。鏡で確かめてみる?」
確かにゲボ美の言うとおり身体に痛みは無い。
それどころか今まで何年も頭の奥で鳴り響いていた禍ッ神の怨嗟の声までピタリと消えていた。
ベッド周りのカーテンを閉めゲボ美が持ってきた姿見で全身を確認すると施設にいた頃の古傷まで綺麗さっぱり消えており、あんまり綺麗すぎてなんだか自分の身体じゃないみたいだった。
「……終わったんだな。全部」
「舞台から降ろされた、の方が正確だけどね。
邪魅の呟きをカーテン越しに暁が拾う。
「……クソが。情けでもかけたつもりかよ」
「あの時の感じだと多分やった本人も予想外だったんじゃないかな」
「ケッ、だったら嫌味の一つでも言いに来いよクソが」
元は一つの存在だったとはいえ、長年邪魅たちの中に封じられた禍ッ神はすでに別の神へと変質している。
一柱抑えるだけでも気が狂いそうなほどなのに、それを一人で三柱も抱え込もうなんて到底耐えきれるとは思えなかった。
「これからどうしようか」
暁がカーテン越しに邪魅に問いかける。
夜堂から逃げ出し、内なる神の声に苛まれながらもその声を打ち消すため、夜堂への復讐を誓い今まで生きながらえてきた。
だが、いざその声が聞こえなくなってみれば、二人の胸に去来したのはどうしようもない虚無感だけ。
「……知るかよ」
病人服を着直して邪魅が投げやりに答える。
まるで内なる神と一緒に心まで抜き取られてしまったようで、最早何に対しても興味を持てそうになかった。
「大丈夫。アンタたちが自分の生きる道を見つけるまでアタシらが面倒見てあげるわよ。なんたってここは学園ですもの」
二人のカルテを眺めつつ急に先生っぽいことを言い出したゲボ美に、邪魅と暁の顔に少しだけ笑顔が戻った。
二人が今まで出会ってきた大人の中で一番まともなのが喋るオネェゴリラとは悪い冗談にも程がある。
「すぐに決める必要はないわ。今のアンタたちに必要なのは心と身体を休めること。ほら、もう寝なさい。身体は治っても体力はまだ戻ってないんだから」
ゴリラのウインクを手で払い除け、疲れの残った身体を柔らかいベッドに沈めれば二人の意識はすぐさま眠りの園へと落ちていった。
★
邪魅と暁が再び眠りについた夜更け過ぎのこと。
天原島へ戻ってきた司は一人火結嶽の山頂を目指していた。
『────殺せ【壊せ。憎い】許さない《奴を許すな『どうしてお前だけ』恨めしい》お前に愛など不要だ。【あんな小娘殺してしまえ】父を憎め。憎しみを絶やすな』
いくつも折り重なって頭の中で反響する禍ッ神の声。
邪魅と暁の中に封じられていた禍ッ神を取り込み、司の内なる神は更なる化物へと変化を遂げようとしていた。
「黙れッ!! 貴様の言葉に貸す耳などないッ!! 大人しく引っ込んでろッ!!」
母の封印をこじ開け鎧の隙間から溢れだそうとしてくる禍ッ神を意思の力で押さえつけ、喉が裂けんばかりに司が叫ぶ。
悪魔のように禍々しく変質した鎧は禍ッ神の力を抑えるどころか纏っているだけで力が無限に溢れてきて、今にも身体が爆発してしまいそうだった。
湯水のように湧き上がる力と破壊衝動を必死に堪え、司は禹歩を踏み締めながら山を螺旋状に駆け上って行く。
徐々に白み始めたに焦りつつも一歩も踏み外すことなく山頂へたどり着いた司は、上り始めた朝日を背に大きく広げた五指を自らの腹に押し当てた。
「五行八相封印!」
司のへそを中心に光の五芒星陣が広がり、そこへ吸い寄せられるように島中の神気がうねり集まってゆく。
ここまでわざわざ遠回りして登ってきたのは島の神気を自らの身体に引き込むように術を組み上げるため。
莫大な自然界の神気が荒ぶる神の邪気を身体の奥底へと押し込めていく。
『これで終わると思うな【殺してやる】《お前が死ねばよかったのよ【苦しい】助けて》憎しみを忘れるな…………』
頭が割れそうなほど響いていた声は波が引くように小さくなり、意識しなければ気にならない程度の雑音になった。
母の声に似せて怨嗟の言葉を延々と囁かれてはいくら司でも参ってしまう。
ようやく自分なりの答えを見つけた風花に余計な心配をかけさせないためにも、今彼女に弱い姿を見せる訳にはいかなかった。
だから彼女が寝ている夜の内に出かけ、日が昇る前にすべてを終わらせる必要があったのだ。
「……っ、はぁ、はぁ……。つら……」
精神的に疲れ果てその場に倒れ込んだ司は、日の出前の薄紫の空をぼんやりと眺め珍しく弱音を漏らした。
自分の血から生じた禍ッ神は残り五柱。
邪魅と暁がそうだったように、恐らく残りの禍ッ人たちも内なる声に導かれいずれ拳を交えることになるのだろう。
その時、自分は果たして人のままでいられるだろうか────。
「無茶しすぎじゃないのか」
と、声のしたほうへ目を向ければ眠そうな顔で腕を組みあくびを噛み殺す学園長の姿がそこにあった。
「いつからそこに」
「ついさっきからだ。山の上で巨大な神気のうねりを感じて様子を見に来たらこれだ。……まったく、放っておいたら死ぬまで無茶するタイプだろお前。誰かさんにそっくりだ」
「……どうせいつか人は死にます。その時になって後悔したくないんですよ、俺は」
何も護れず大切なものを奪われるのはもう嫌だから。
今回は助けられたが、次も助かるとは限らない。
だから強くなろうと決めたのだ。
「その無茶で死んだら笑い話にもならんぞ。お前はもう少し周りを頼れ」
「……すいません」
「謝らんでいい。今度から辛くなったら私に言え。封印が解けるのを遅らせるくらいならできるからな」
学園長が司の頭をくしゃくしゃ撫でると耳障りな雑音がさらに小さくなってゆき今度は完全に聞こえなくなった。
「今日の授業は出られそうか?」
「出ます。休んでなんていられないですから」
差し出された手を掴みどうにか起き上がった司が強がって「にっ」と笑ってみせた。
「まったく男の子め。アソコが疼くじゃないか。あんまり無茶するようなら無理やり私のベッドに連れ込むからな。性も根も尽き果てるまで搾り取ってやっから覚悟しとけ小僧」
「それだけはマジで勘弁してください」
「なんなら雨水とヤる前の練習に一発どうだ。私の枕はいつでもYESだぞ♡」
「はっはっは、それ以上寝言ほざいたらマジでブン殴りますからね。じゃあ、また後で」
サッと片手を上げて走り去っていく司の背を眺め、ますますアイツの若い頃に似てきたなぁと学園長はここにいない幼馴染の顔を思い浮かべるのだった。
★
その日の午後の授業は一週間後より行われる予定の予選試合を意識したトーナメント戦だった。
猛は現時点ですでに大会の運営側に回ると宣言しており、今日は大会予選の準備のため欠席している。
学園長が組んだ対戦表に従い睡蓮が決勝シード枠に収まり、下級生同士の戦いが幕を開けた。
「こうして風花と直接手合わせするのは初めてですわね」
「そうだな。お互い手加減は無しだ」
予選一回戦。アリー対風花。
屋外演習場のコート内に立った両者の神気が高まっていく。
阿部良明の一件以来、迷いの晴れた風花は司との修行でも絶好調だった。
神気の伸びも目を
「始めッ!」
学園長の合図と同時、風花が動いた。
うねる風を纏わせた小太刀を閃かせると風の刃が乱れ飛び、空中で軌道を変えた風の刃がアリー目掛けて殺到する。
だが風の刃はアリーに届く前に突然あらぬ方向へねじ曲がり、アリーの身体を掠めることもなく彼方へ飛び去って行った。
「ふふっ、私が運命を司る神なのを忘れてしまったのかしら」
確率操作。僅かにでも外れる可能性がある攻撃はアリーには決して届かない。
「なら接近戦で仕留めるまでだッ!」
刹那、アリーの懐へ踏み込んだ風花の二刀が鈍色の軌跡を残して閃き踊る。
だが風花の刃に手ごたえはなく、斬り裂いたはずのアリーの身体は煙のように解けて消えてしまった。
これは阿部流【空蝉】!? 本体はどこに────。
「毎日横で見ていたんですもの。私が司の技を使えないとは思ってませんわよね?」
風花が次の動きへ移ろうとして、指先一つ動かせなくなっていることにそこで気付く。
いつの間にか全身に絡みついていた運命の糸が風花の動きを封じていた。
風花の背後に回り込んでいたアリーが糸と繋がった指先を軽く動かすと、風花の首が僅かに締まる。
「……参った。降参だ」
遠距離攻撃が効かないことを先に見せつけ、罠を張り巡らせた懐に誘い込まれた。
まんまと掌の上で踊らされた悔しさに奥歯を噛みしめるも、風花は素直に自分の負けを認めた。
「えいっ♪」
「むにゅ!?」
糸の拘束を解いたアリーが風花の正面に回り込み両手でほっぺをむにゅっと挟んだ。
「にゃ、にゃにを!?」
「最近ちょっと力み過ぎですわよ風花。右足、少し痛みがあるのでしょう? さっきもちゃんと踏み込めていれば空蝉で次へ繋げられたのに」
「……まったく、アリーには敵わないな」
「親友ですもの。ちゃーんと見てますのよ」
ここ最近、大会予選が近いということもあって風花はただでさえハードだった修行の内容をさらに増やしていた。
おかげで実力はかなり伸びたものの、無理の代償は確実に彼女の身体を蝕み始めていた。
「とにかく、予選トーナメントの本番までは足を治すことに専念すること! いいですわね!?」
「わ、わはった! わはったはらやめへふへ!?」
有無を言わさぬ気迫でほっぺをもにもにされてしまえば如何に修羅姫と言えど反論はできないのだった。
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