第21話 決意と決着

 十二月二日のこの日、ここ天原学園では予選トーナメントの最終試合が行われようとしていた。


 天原本島の屋内訓練場には報道陣のカメラも入り、選手の登場を今か今かと待ち構えている。


『さぁ、いよいよ予選トーナメントもこれで最後! Dブロック決勝戦、雨水風花VS雨水睡蓮。雨水家の美人姉妹対決だぁー! 司会兼実況はお馴染み、みんなのアイドル狛神斗亜がお送りするよー!』


『解説は私、狛神紫雲でーす!』


 実況席から世界的アイドルの双子たちがカメラに向かって手を振ると会場のファンたちから歓声が飛んだ。


『姉の睡蓮さんはかの神剣、符津御霊ふつのみたま真神人まがみととして有名だよね』


『でもでも妹の風花さんも学内では修羅姫の異名で知られる有名人だし、最近メキメキ実力を上げてここまで全試合一撃で勝ち進んできたから、試合の行方はまだ分からないよ!』


 司会の斗亜が話題を振れば、解説の紫雲が淀みなく試合の見どころを答えて会場の期待感を上げていく。

 前世から双子なだけあって、阿吽あうんの呼吸で繰り出される軽妙なトークが耳に心地いい。


『いずれにせよ二人の戦いから目を離せないね! さぁ皆さんお待ちかね、選手入場です!』


 斗亜がカメラに向かってウインクすると画面が切り替わり、訓練場の様子が映し出される。

 東と西、二つのゲートから姉妹が同時に入場すると、会場全体からわっと歓声が上がった。


 約一〇歩の間合い。お互い腹の底で渦巻く様々な感情を押し込め、姉妹が静かに見つめ合う。


 風花の脳裏に過ぎるのは、すでにAブロック予選を勝ち上がり、本戦への出場権を獲得した司の顔。

 今朝方、ようやく死んだ母と会うための準備が整ったと告げられたが、風花はあえてそれを断った。


 亡き母と言葉を交わすのは、姉を倒した後でいい。

 そうでなければ、姉を生かすために強くあり続けようという決心が揺らいでしまいそうな気がしたから。



 対する睡蓮は未だ迷いの中にいた。


 風花はもう手加減して勝てるような相手ではない。

 向かい合う妹から感じる神気の圧は、すでに真神人である自分とそう変わらなかった。


 母を手にかけた罪を償い、癒えることのない悲しみを終わらせるには、最愛の妹に刃を向けなければならない。

 神の加護すら斬り裂く必殺の刃を。


 できるのか。

 睡蓮は己の心に問いかける。

 最愛の妹に抜き身の刃を向けてまで、この悲しみを終わらせていいのか。

 自分に寄り添い、暗く沈んだ心を照らし続けてくれた婚約者を裏切り、死の安寧に逃げるのはあまりにも卑怯ではないのか。

 答えの出ぬ問いが何度も脳裏を過ぎり、胸を締め付ける。


 試合開始のカウントダウンがモニターに表示される。


 三 未だ答えは出ない。


 二 迷いをこころの奥に押し込め、刀の柄に手をかける。


 一 心がすっと冷えて、視界が大きく広がっていく。


 こんな時だけは、神剣としての自分の在りようがありがたかった。

 剣は余計なことなど考えない。ただそこにあり、振るう者次第で人を殺しも護りもする。

 戦いの気配に意識を傾ければ、そんな剣としての自分が浮かび上がってくる。


 試合開始のブザーが鳴ると同時、黒鞘と一対の小太刀が交わり、接点から吹き荒れた衝撃波が会場を舐め尽くす。

 風花を押し返そうと睡蓮が力を込める。

 だがまるで大岩を相手しているかのような安定感で受け止められ、風花の身体はビクともしなかった。


 神気の量が増えたことでそれに比例して素の身体能力も大幅に強化されたのだ。

 なにより重心の置き方が上手くなっている。司との修行の成果が表れていた。


「この期に及んで手加減とは、どこまで人を舐め腐れば気がすむんだッ!」


「がはっ!?」


 睡蓮の刀を押し上げた風花ががら空きの腹に蹴りを叩き込むと、くの字に折れ曲がった細い身体が砲弾のようにブッ飛んで壁に激突し、崩れた壁から土煙が上がる。


「立てっ! 刀を抜いて勝負しろ!」


「嫌。……あなたを傷つけたくない」


「ふん。そんな迷いに曇ったなまくら刀で何が斬れると言うんだ」


 と、風花が突然神器の具象化を解いて無手になった。


「何のつもり」


「お前に合わせて手加減してやったんだ。今のお前など、神器を使うまでもない」


 ニヒルに笑いかかってこいとばかりに風花が睡蓮を挑発すると、会場全体がざわめき立つ。

 真神人まがみと相手にただの神代が手加減するなど前代未聞。

 大胆不敵どころか恐れ知らずの蛮勇と取られてもおかしくない愚行だが、試合を盛り上げるパフォーマンスとしては最上だった。


『風花選手ここで大胆にも武装解除です!』


『うわー、すごい挑発してる。睡蓮さんクールっぽく見えるけど、実はすっごい負けず嫌いだからあれは効きますよ』


 紫雲の解説は正鵠を射ていた。

 直後、轟ッ! と土煙が吹き散らされ、静かな怒りを湛えた睡蓮が風花を睨み返す。


「訂正して」


 己の内に宿る誉れ高い神剣の霊格がプライドを傷つけられてかつてないほどざわついていた。

 やめて。私に剣を抜かせないで。そんな懇願交じりの視線を向けても風花は言葉を改めなかった。


「断る。そんな有様で何が神剣だ。笑わせるな」


 さらに煽るように両腕を広げ、風花が鼻で笑う。


「訂正してっ!!!! ……これ以上は、抑えきれない」


 泣きそうな声で睡蓮が叫ぶ。

 今にも抜刀しそうな右手を意思の力で抑え込む。

 これ以上神剣としての誇りを傷つけられれば、妹と言えど首を刎ねてしまいかねなかった。


「どうした。その刀はお飾りか? まあ、抜いたところで虫けら一匹殺せはせんだろうがな」




「────ッ!!!!」




 限界だった。

 刹那、必殺の銀閃が一直線に空を駆け、風花の残像を斬り裂いた。

 安倍流祓闘術【空蝉うつせみ】。この数ヵ月の修行の成果だった。


「やればできるじゃないか」


 背後からの声に刀を振り抜く。

 斬り裂いたのはこれも残像。

 直後、地面から飛び出した神力の鎖が睡蓮の足首に絡みつき動きを封じた。


 安倍流祓闘術【蛟縛みずちしばり】。

 予想外の一手に睡蓮の思考が一瞬フリーズする。


居太刀落いたちおとしッ!」


 天高く振り上げたかかとが斧のように振り下ろされ睡蓮の肩にめり込んだ。

 肉体的ダメージが島の加護で神気の消費へと置き換わり、神気を一気に削られた睡蓮が意識を手放しかける。



 ────戦エ!



 ドクン、と、誉れを傷つけられた怒りに燃える神剣の御霊が睡蓮の意識を叩き起こす。

 迫る風花の二の手を前に極限まで研ぎ澄まされた睡蓮の感覚は光も音も置き去りにして、世界から色彩が失われ音が遠ざかっていく。




千華繚剣せんかりょうけん




 無数の銀閃が無明の闇をジグソーパズルのように切り取り、瞬間、置き去りにされた光と音が知覚領域の闇を吹き飛ばすように溢れ出す!


 試合の様子をあらゆる角度から撮影していたカメラのレンズが同時に砕け散り、床と天井が轟音と共に崩落する。

 ほぼ無意識で放った睡蓮最大の一撃は会場を一瞬で大混乱の中に叩き落した。


 朗々と耳に心地よい歌声が響き渡り、瓦礫の崩落がぴたりと空中で止まる。

 観客たちが実況席へ目を向ければ、誰もが知る伝説のアイドルたちがマイクを握りしめていた。

 とっさに機転を利かせ斗亜と紫雲が歌い会場の混乱を鎮めたのだ。


『みんな落ち着いた?』


『見て! 試合はまだ終わってないよ!』


 斗亜と紫雲が心地よいハミングを口ずさむと切り刻まれた天井や床が逆再生のように元に戻っていき、会場の視線が決戦の舞台へと向けられる。



「今のはヒヤヒヤしたぞ」


「っ!?」



 全身血まみれになりながらも風花が不敵に笑う。

 安倍流祓闘術【転々流波】。

 肉体の表面に神気の流れを生み出し、自らも敵の攻撃の流れに逆らわず動き続けることで攻撃を受け流す奥義。


 受け流しきれずに全身の皮膚を裂かれてしまったが、あの絶死の剣戟結界の中にあって五体満足で生還できたのなら成果としては十分すぎた。


「構えろ。まだ勝負は終わっていないぞ」


「……っ」


 神気の消耗でフラフラになりながらも睡蓮が刃を鞘に納め抜刀術の構えを取る。

 出血多量で朦朧もうろうとする意識の中、風花は奥歯を強く噛みしめ一対の小太刀を具象化させ両手に握りしめた。


 条件的には五分と五分。次がお互い最後の一撃となるだろう。



龍血風刃りゅうけつふうじんッ!」


 風花の血を吸った二刀の小太刀が赤く閃き、衝撃波が風を吸い込んで龍のあぎとかたどり巨大化しながら睡蓮へ迫る。


須臾一閃しゅゆいっせんッ!」


 傍目はためには睡蓮が一瞬で風花の背後に現れたように見えた。

 直後、斬り裂かれた紅の龍が弾けて消え去り、風花がその場に膝から崩れ落ち────ドロンと煙を上げて消え失せた。


 直後、真上から。


 天上に張り付いていた風花が睡蓮に飛びつき、地面に押し倒してマウントを取り首筋に刃を突きつける。


「どうだ。まだやるか」


「……私の負け」


 もう指一本動かす気力も残っていなかった。

 本当の手詰まり。人生で初めての敗北だった。



『決着ぅぅぅぅっ! 勝者は雨水風花選手!』


『凄まじい激闘でした! 大方の予想を超えた大逆転勝利に惜しみない拍手を!』



 わっ! と会場から万雷の拍手と共に歓声が送られる。

 だが、とうとう姉を越えた風花の胸に去来したのは何とも言いがたい脱力感だった。

 視界がぐにゃりと歪む。周囲の音が遠ざかり、身体の感覚が失われていく。


(あ……ヤバ…………)


 姉を倒した余韻を噛みしめる間もなく、風花はばたりと意識を手放した。


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