第15話 突入

 火結嶽山頂の舞台の上、学園長が放った式神たちが夜の闇を斬り裂いて四方八方から司に襲い掛かる。


 肌に感じる熱と空気の流れ、音やニオイ、相手の僅かな挙動。

 世界に自分の感覚を馴染ませるように五感のすべてを開いていくと、そんな細かな一つ一つの動きがよく見えてくる。


 敵の動きをつぶさに観察し、絶えず流動する安全地帯へ身を置きに行く。

 それはさながら死の演舞。自分と相手、どちらの呼吸が乱れても成り立たない一つの極致。


 司が大地を踏みしめる度、励起れいきした場の神気が和太鼓のような音を立てて、ひらりと受け流した敵の足踏みさえも合いの手に変え、戦いのビートはさらに加速していく。


無縁弧月むえんこげつ!」


 ダンッ! と、一際強く足を踏みしめ、励起させた場の神気を蹴りに乗せて解き放つ!

 刹那、蹴りの軌跡は大きく弧を描いて広がり、司の周囲を囲んでいた糸人形たちの胴を一薙ぎで断ち切った。


 ────息をゆっくりと吐き、残心。


 直後、式神たちが一斉にちりと化し、海原の向こうに朝日が昇る。



「……見事」


 司の技の冴えに学園長が感嘆の声を漏らす。

 神器の力で時の流れを操り、一晩を一週間に引き伸ばしての修行は、司の天地体得を以て完成を見た。


「やりましたわね!」


「ありがとう。ここまで早く習得できたのはアリーのおかげだ」


 駆け寄ってきたアリーに司が額の汗を拭い笑顔で礼を言う。

 実際、ここまで早く天の巻を習得できたのは、アリーが司の身体を糸で操り、眠っている間も動きを覚え込ませたところによるものが大きかった。


 司の手を取ったアリーが、紡いだ糸を司の小指に巻き付け、手の甲に軽くキスをする。


「おまじないですわ。私が紡いだ運命の糸を手繰り寄せて、どうかあなたの望む未来へ」


「……ありがとう」


 友人から託された思いを受け取り、最大限の感謝を込めて礼を言う。


 地の巻に記されていたのが隠遁術や封印術など防御寄りのものだったのに対し、天の巻の内容は神ならざる身で禍ッ神を祓うために考案された、より実戦的かつ攻撃的な術の数々。


 禍ッ神を祓えるのは、神代の持つ神器だけ。

 その常識を覆してしまう内容を思えば、天の巻が歴史の闇に葬られたのも頷けた。

 場の神気を攻撃に転用可能になったことで、より広範囲に高威力の技を出せるようになり、司の経戦能力も大幅に上がっている。

 天下無双の技を体得し、運命の女神の加護も得た。

 あとは捕らわれの姫を連れ戻しに行くだけだ。


時配時計クロノスクロック加速アクセラレート』」


 ガチン! と、時計の針が動く音がして、司とアリーの意識が一瞬だけ遠のく。

 すると次の瞬間には身体に溜まっていた疲労が嘘のように消えていた。


「肉体の時間を加速させて回復を早めた。体感時間で一週間、寝ている間も修行漬けだったんだ。疲れて負けましたではつまらんからな」


「ありがとうございます」


「では行くぞ」


 二人の手を取り、学園長が敵のアジトの入り口付近まで転移の術で飛ぶ。

 瞬間、蒸し風呂のような熱気が司たちの頬を撫でた。

 活火山の火口付近、白いガスが煙る岩陰に隠れるように注連縄しめなわがかけられた洞窟があった。


「おっ、来たな」


 洞窟の入り口前で待っていた義久が軽く手を上げて司たちを迎える。

 その後ろには嵐堂家お抱えの術士たちがずらりと並び、その中に猛と睡蓮、茂利雄に来人、三日月の神器『夜叉丸』の姿もあった。


「叔父貴! それにみんなまで、なんでここに?」


「予備戦力に立候補したのさ。やられっぱなしでは立つ瀬がないし、なにより風花ちゃんは未来の義理の妹だ。助けに行かない理由はないよ」


 と、猛が勇猛に笑い、その横で睡蓮が静かに頷く。

 二人の全身から漲る神気が大気を震わせ、山がビリビリと静かに鳴いていた。

 どうやら彼らも司が眠っていた三日の間に修行を積みパワーアップしたようだ。


「本当は坊っちゃんも来たがってたんだがな」


「ヒヒヒッ! 高等部以下の学生は危険だってんで、今回は双子ちゃんに混ざってリモート参加だぜェ」


 茂利雄がやれやれと肩を竦め、来人が一枚の呪符を渡してくる。

 神気を介して遠くの音を届ける呪具の一つで、電波の届かない僻地へきちでの通信手段として重宝されている代物だ。

 渡されたそれを司が腕に貼り付けると、双子たちの歌がまるですぐ側で歌っているかのような迫力で聞こえてきて、全身から力が漲ってくる。


『やっほー! 聞こえてるー?』


『私達は学園からリモートで応援するからね!』


『絶対みんなで帰ってこいよ! 失敗したら許さないからな!』


 双子たちの歌に混じる三日月坊っちゃんの涙声に、司は思わず苦笑した。

 普段こそ強がって強い言葉を使っているが、なんだかんだ根は良い子なのだ。


「司と夜叉丸には中で結界の起点を探して破壊して来て貰いたい。そうすりゃ俺たちも入れるようになるはずだからな。術師たちには敵が転移で逃げないように周囲一帯に結界を張ってもらう」


 と、義久が作戦の概要を簡単に説明する。


「俺は分かるけど、夜叉丸も入れるのか?」


 司が怯えたようにカタカタ震えていた夜叉丸に訝しげな視線を向けると、夜叉丸がハッとして「がしゃ!」と敬礼してきた。

 どうやら結界が弾くのは邪気を持たない「人間」だけだったらしく、人間ではない夜叉丸なら問題なく入れてしまうようだ。


「夜叉丸には先行調査ですでに何度か洞窟内に入ってもらっている。おかげで内部の構造や敵の人数もおおよそだが把握できた。大手柄だよ」


『ふふん! 俺様の夜叉丸は凄いんだぞ!』


 義久に褒められ三日月坊っちゃんが得意げに鼻を鳴らすと、夜叉丸も嬉しそうにくるくる回る。

 見た目は怖いがどこか愛嬌のある動きに場の空気が僅かに和んだ。


「頼りにしてるぞ。じゃあ、行ってきます!」


 黒鎧を纏い駆け出した司に続いて夜叉丸が「がしゃ!」と敬礼し、注連縄を潜り洞窟の中へと潜入して行った。



 ☆



 しばらく一本道を駆け下り、やがて無数の横道が並んだ体育館程の広間に出る。

 鋭角に削り取られた壁は、ここが人工的に作られた場所であることを示していた。


「さて、どっちに行けばいいんだ?」


 司が訊くと、夜叉丸がある方角を向き『あっちだよ』と指を差した。


「あっちか」


 自信ありげに頷いた夜叉丸を信じて、司は横道の一つへと入って行く。

 道中何度も分かれ道があったが、夜叉丸の案内で迷うことなく奥まで辿り着けた。


 そこは学校の校舎が丸々収まってしまいそうな程の広大な空間だった。

 近くに溶岩の溜まり場でもあるのか凄まじい熱気が立ち込めており、空間の中央には濃密な邪気を放つ木の柱が天井と床を繋ぐように突き立っている。


「また来たのかいポンコツ君」


「ったく、ホント懲りない奴だな」


 柱の影に隠れていたフードの少年と少女が呆れ交じりの溜息をついて姿を現す。

 これで通算五度目の邂逅ともなればうんざりするのも頷けた。


「風花はどこだ!」


「お、今回は君も一緒か! ガラクタの相手ばかりで飽き飽きしてたんだ」


「げっ、生きてやがったか。なんでこの前ちゃんとトドメ刺しておかなかったんだよ!」


 少年と少女がそれぞれ正反対の反応を示して、ローブのフードを下ろして素顔を晒す。

 少年は一二歳くらいだろうか。蒼く輝く瞳が神秘的な雰囲気を放っており、ザンバラの黒髪と顔立ちがどこか司に似ていた。


 少女の方は一四歳くらいで、肩まで伸ばした紅蓮の灼髪しゃくはつ金眼きんがんは、愛らしい顔立ちに仁王の気迫を与えていた。


「改めまして自己紹介だ、原点オリジナル。僕は戸張とばりあかつき。血縁上では君の腹違いの弟になるのかな」


「……ケッ、いいぜ名乗ってやるよ。黄泉縁よみぶち邪魅じゃみ。今からテメェを殺す者の名だ! 冥土の土産に持ってきな!」


「なっ!?」


 暁と邪魅がばさりとローブを脱ぎ捨てると、次の瞬間には蝶の羽を持つ青い怪人と、人間戦車じみた赤い怪人へと変身していた。


「君には感謝してるんだ。君が死の運命を捻じ曲げてくれたおかげで、僕たちは自由を得られたんだからさ」


「……? どういう意味だ」


「君は死の淵から蘇り、禍ッ人としての運命を捻じ曲げて儀式の場から逃げ去った。けど、それなら君の命と共に消えるはずだった禍ッ神の怨念はどうなったと思う?」


「っ! まさかっ!?」


 それは司が頭の片隅で懸念していたことだった。

 だがまさか自分の父もそこまで外道ではないだろうと心のどこかで信じたかったのかもしれない。

 だから無意識の内にその可能性を思考の外へと追いやっていた。


「流れ出た君の血は新たな禍ッ神となって儀式場を破壊した。凄まじかったそうだよ。七つの山を更地に変えて、一帯を生き物の住めない死の土地へ変えてしまうほどだったらしい。大勢の犠牲を払ってどうにか大半は祓えたみたいだけど、一際大きかった七柱だけは祓い切れず封印するしかなかった」


「そうしてテメェの血から生まれた禍ッ神を封じるため、夜堂の血筋から七人の人柱が選ばれたってわけさ」


「っ!」


 司が奥歯を強く噛みしめる。

 自分が生き永らえたせいで、関係のない子供たちまで荒ぶる神を鎮めるための人柱にされてしまったのだ。

 返す言葉など見つかるはずもなかった。


「勘違いしないで欲しいんだけど、僕たちは決して君を怨んじゃいない。むしろ感謝してるくらいさ」


「……チッ。狂った殺人マシンになるよかいくらかマシってだけじゃねぇか」


「なんだって?」


「そのままの意味さ。分家筋の子は五歳の誕生日までに神代として目覚めなければ、とある施設に送られるんだ。お国のためなら命すら厭わない冷酷な暗殺者を育成するための施設にね」


「この世の地獄ってのはあそこのことさ。思い出すだけで吐き気がするぜ」


 怒りを押し殺しながら話す邪魅の瞳の裏に映るのは、五歳になったその日から過ごしてきた狂気に満ちた施設での日々。

 まずは小動物を殺すところから始め、徐々に生き物を殺すことへの抵抗感を奪い、最終的に同じ人間同士で延々と殺し合いをさせられる。

 あの施設はまさに蟲毒の壺だ。

 最後まで生き残った毒虫だけが大人になれる、人を怪物に変える恐るべき呪術場。

 だが、二人は怪物になる前に施設を抜け出した。それはなぜか。


「君の血から生じた禍ッ神をこの身に封じたことで、僕たちにはある変化が起きた」


「鎧と神器、二つの力が同時に発現しやがったのさ。理由は知らねぇけどな」


「そうして力を得た僕たちは夜堂から逃げた。皮肉だよね、内なる神の怨念のおかげで、自分たちが狂った場所にいたことに気付かされるなんてさ」


 青い怪人が皮肉っぽく肩を竦める。


「他の五人はどうしたんだ」


「知らねぇ。それぞれバラバラに逃げたからな。人の寄り付かない辺境で野生化したか、あるいはどこかの組織に潜り込んだか」


「僕らは偶然この奥にいる爺さんに拾われてね。復讐に憑りつかれて狂ってるけど、居場所の無かった僕らに寝床と温かいご飯をくれて、優しくもしてくれた」


 青い怪人と赤い怪人がそれぞれ構えて戦闘態勢に入った。


「その恩に報いようってわけか」


 応じて、司と夜叉丸も構えを取る。

 場の空気がヒリヒリと張り詰め、緊張感が高まっていく。


「恩だぁ? ケッ、んなもん一ミリも感じちゃいねぇよ。ウチらの中にいるテメェの欠片がよぉ、毎晩毎晩ザワつくんだよ。夜堂薊を殺せってなぁ!」


「よく言うよ。一番懐いてたくせに」


「うるせぇ! 余計な事言うなバカッ!」


「そんな訳だから僕たちはあの人に協力してるのさ。あの人の目的が果たされれば、僕たちの内に巣食う神の怒りも収まるかもしれない」


「チッ……。ま、そういうこった」


「だからさ、僕たちの邪魔をするっていうなら」


 赤と青、二人の怪人の邪気が爆発的に膨れ上がる、


「君にはここで死んでもらうよ!」

「テメェにはここで死んでもらうぜ!」

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