第14話 天地の書
暗い。
空気は泥のように重く身体に纏わりつき、呼吸すらままならない。
────助けて。
これは、この声は────……。
「……風花ッ!」
助けを求める声に司が手を伸ばすと、そこはベッドの上だった。
つんと鼻を突く薬品の臭いと、ベッドを囲う白いカーテン。
司は初めて来たが、どうやらここは保健室のようだ。
「司! よかった、丸三日も目を覚まさないから心配しましたのよ」
と、ベッドの横で糸を手繰り器用にリンゴの皮を剥いていたアリーがホッと胸を撫で下ろす。
「傷の調子はどうかしらん? どこか痛むとか違和感とかなぁい?」
と、ベッドを囲うカーテンを開けて声をかけてきたのは白衣を着たゴリラだった。
ゴリラに似た、という意味ではない。そのままゴリラが白衣を着て喋っているのだ。
「ゴリラ!? なんで、えっ、えっ!?」
「はじめましてぇん。ゲボ美・ゴリラップでぇーっす。天原学園のマスコット兼保険医よん。よろしくねん」
妙にくねくねしながら自己紹介してくるゲボ美。
稀に動物に転生する神もいるが、ゴリラの神代を見るのは司もこれが初めてだった。
流石に何かの冗談かと思い、司がアリーに助けを求めるような視線を向けるが、困ったような苦笑いで返されてしまう。
どうやらこのゴリラ、本当に学園の保険医らしい。
「砲弾の爆圧で内臓はズタズタ。骨も数か所粉砕骨折してたのよアナタ」
「その割には痛みも違和感もないんだが……」
「そりゃあちしがばっちし治したもの。また怪我したら遠慮せずここに来なさいな。生きてさえいれば元通り治してアゲルわよん」
特大の注射器の神器を担いで得意げに分厚い胸板を叩くゲボ美。
ぽこっ! と太鼓を叩いたような軽やかな音は、立派なオスゴリラの証である。
「って、風花は!? あれからどうなったんだ!?」
丸三日も眠り続けてしまい、すっかり浦島太郎状態だった。
気を失う前、義久は「俺に任せろ」と言ってくれたが、先程まで見ていた夢のせいか事態が良くなったとはとても思えなかった。
あれはただの夢ではない。
修行の日々で混ざりあったお互いの神気が、夢を通じて司に風花の危機を伝えてきたのだ。
「なんだ、起きていたのか。丁度いいタイミングだったな」
「学園長! 風花はどうなったんですか!?」
「落ち着け。今から話す」
タイミングよく司の見舞いに訪れた学園長が、事の成り行きを順を追って司に説明した。
「あれから義久は謎の二人組の痕跡を追い敵のアジトを発見した。だがアジトには強力な結界が張られており条件を満たさない者以外は入れないようになっていたらしい」
「条件と、言うと?」
「その身に邪気を宿した者。つまり禍ッ人だけが入れるようになっているらしい。義久の見立てでは結界を外側から強引に破壊することは不可能とのことだ」
「そんな! じゃあ風花はまだ……」
あの暗闇の中で助けを待っている。
そう思うと居ても立ってもいられず、司はベッドから跳ね起きた。
「どこへ行くつもりだ」
「風花を助けに行かないと! 俺なら結界に阻まれないはずです!」
保健室から出ていこうとする司を学園長が平手打ちで止める。
「落ち着けっ! 一度ボロボロに負けて死にかけたんだぞ。今のまま突入してもまたやられるのがオチだ」
助けを待っていることは分かっても、助けられるだけの力がない。
何もできない己の不甲斐なさに司は歯噛みした。
「……叩いて悪かった。お前の叔父から預かり物だ。ひとまずそれを読んで頭を冷やせ」
学園長が一本の巻物を司に投げ渡す。
「こ、これは! 天の巻!?」
「なんですのそれは」
「天地の書、天の巻。安倍流祓闘術の奥義書だ。地の巻は複写されたものがいくつも出回ってるけど、天の巻は歴史の闇に埋もれて行方知れずになっていたんだ。まさか実在したとは……」
天地を紐解き修むる者、万難祓う天下無双の力得たり。
地の巻の最初に書かれたその一文をあてに、今まで数多くの神代たちが探し求めてついに見つけられなかった伝説の書が司の手の中にあった。
「幸い敵にまだ動きはない。私の神器を使えば修行の時間も多少は確保できるだろう」
「……ありがとうございます」
「礼はいらん。本来なら子供を助けるのは大人の役目なんだからな」
複雑な顔で自嘲ぎみに学園長が鼻を鳴らす。
半ば強引に押し付けられた立場とはいえ、大人として何もできないことに思うところはあるようだ。
「今はあちしたちにできる最大限のサポートをするしかないわ。いい? 行くなら絶対生きて帰ってきなさい。生きてさえいればあちしが元通りに治してアゲルから」
張られて赤くなった頬に優しく手を添えてきたゲボ美に頷き、司は巻物の紐を解いた。
絵図に沿って注釈が添えられた書かれ方は、地の書とそう変わらない。
書かれた字も癖はあるものの、すでに地の書を解読した司はスラスラと読むことができた。
「……なるほど。そういうことか」
「何か分かりましたの?」
「ああ。アリー、手伝ってくれるか。君の力が必要だ」
「もちろんですわ!」
司に頼られ、アリーがぱっと顔を輝かせる。
三日前は何もできないまま眠らされてしまっただけに、次こそは何か役に立ちたいという思いが彼女をやる気にさせていた。
「時間が惜しい。すぐに修行を始めるぞ。二人とも掴まりなさい」
司とアリーの手を取り、学園長は転移の術を使い修行場へと飛んだ。
☆
ドクン……ドクン……。
血の池に浮かぶ小島の上で、風花を取り込んだ殺生石が心臓のように脈を打っている。
一つ脈打つごとに邪気が濃くなっていく殺生石を遠巻きに眺める
「経過はどう?」
「順調だ。このまま行けば明日にも復活するだろう」
流石に嵐堂義久が出てきたのは予想外だったが、風花を手に入れる段階でアジトの場所がバレてしまうのは元々織り込み済みだ。
概ね計画通りに事は進んでいる。あとは九尾の復活を待つばかりだ。
「彼、来るかな」
少年がウキウキと声を弾ませる。
まるで遠足の日を待ち望むかのようなその声音に、老爺は僅かに口元を緩めた。
「さあ、どうだろうな」
良明は、司が間違いなく風花を助けに来るだろうと確信していた。
彼もまた夜堂の闇に人生を捻じ曲げられた犠牲者。仲間に引き込めるならそれもまたよし。
だが、もし敵対するようなら容赦するつもりもなかった。
「来るなら来るがいい。哀れな夜堂の子よ」
☆
嵐堂本家の自身の書斎で、義久は部下から上がってきた報告書に目を通していた。
「ここ数年の間に各地から持ち去られた殺生石の欠片に、連れ去られたのは八年前の白面金毛九尾事件の現場にいた雨水家のお嬢さん。どーにもヤバイ臭いがプンプンするねぇ、こりゃ」
疲れの溜まった眉間を強く揉み、新しい煙草に火をつけようとして煙草が切れていることに気付き溜息が零れる。
見れば灰皿の上は吸殻で山盛りになっていた。
と、そこへ書斎のドアを叩く音。
「はいはい、どうぞー」
溜息交じりに義久が適当な返事を返すと、三つ揃いの紳士服を着こなす麗人が書斎に入ってくる。
「失礼します。例の件でご報告が」
「おっ、仕事が早いねぇ。もう分かったのかい」
「いえ、詳細はまだ。ですが義久様のお耳に入れておくべきかと思いましたので。司様にも関係することです」
眠たげだった義久の目が険を帯びた。
鋭い視線を向けられ僅かに息を飲んだ三つ揃いの麗人が軽く咳払いして報告を続ける。
「夜堂家の家系図を調べたところ、司様には腹違いの弟と妹がいらっしゃることが分かりました。二人とも只人だったようですが、数年前にどちらも事故死しています。また同時期に分家筋の子供たちも何人か事故死しているようです」
「へぇ。本当に事故死だったのかい?」
「診断書に怪しい点は見当たりませんでした。……ですが、事故を担当した検死官は診断書を書いた翌日から行方不明になっています」
「口封じって訳かい。いかにもお夜堂さんがやりそうなことだ」
「……まだ憶測に過ぎません。不用意な発言は控えられた方がよろしいかと。どこで誰が聞いているとも限りませんから」
「怖いねぇ。つぐちゃんも気をつけなよ」
「僭越ながら、この件についてこれ以上の詮索はやめておいた方がよろしいかと」
三つ揃いの麗人が腕を
しなやかな細腕に刻まれた呪いの跡。
腕に絡みつく蛇のような紋様が心臓にまで達した時、相手を死に至らしめる古の呪術だ。
「今朝起きた時にはすでにこうなっていました」
「警告って訳かい。分かった分かった、もうやめとこう」
あっさりと引き下がった義久に三つ揃いの麗人が意外そうに目を丸くした。
「よろしいのですか?」
「どうせこれ以上探っても証拠なんて残ってないでしょ。リスクにリターンが見合ってないよ」
優秀な諜報員を無駄な腹の探り合いで失うなどあまりにも馬鹿馬鹿しい。
彼女はこんな場面で使い潰していい駒ではない。冷静に考えてここが引き際だろう。
と、ここで義久のスマホにメールが届いた。
「おっ。司、目覚ましたってさ。今から早速修行するって」
「大事が無くて何よりでした」
「んじゃ、俺はちょっと寝るわ。司の修行が終わったら起こして」
「承知しました。では失礼いたします」
ぐっと腕を伸ばして大あくびする義久に頭を下げ、三つ揃いの麗人が部屋を出ていこうとする。
「あ、ごめん。ついでにもう一つ。煙草買ってきてくれない?」
「はいはい。いつものでいいですね?」
「ん。よろしく~」
変な
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