第12話 嵐を呼ぶ男

「────……間一髪だったな」


 学園長の声に司がハッとすると、そこは火結嶽山頂の舞台の上だった。

 直後、遠くで爆轟が鳴り響く。

 見れば海の向こうで砲撃に晒された壁が今まさに崩れ落ちていくところだった。


 周囲に目を向ければあの場にいた全員がここに転移してきたようだった。……連れ去られた風花ただ一人を除いて。


「……すまない。ギリギリ間に合わなかった」


 学園長が悔しげに顔を伏せ拳を握りしめる。


「っ! すぐに追いかけ……ない……と……」


 学園長に掴みかかろうとした司の身体から急に力が抜け、その場に倒れ込む。

 連戦に継ぐ連戦ですでに司は体力も神気も使い果たしていた。

 今まで気力だけで持たせていたのが、緊張から解放されて一気に疲労と痛みが押し寄せてきたのだ。


「無理をするな。そんな身体で何ができる」


「でも……っ! 風花がっ!」


 最後に青い怪人が放った、原点オリジナルという言葉。

 司に似た鎧を持つ、二人の怪人。どうにも嫌な予感がした。

 早く風花を連れ戻さなければ、取り返しのつかないことになりそうな、そんな確信にも似た予感が。


「おいおい、海入道は一柱だけって話だっただろ。なんでぇありゃ。世界でも焼き尽くそうってのかい」


「叔父貴!?」


 ここにいるはずのない声に司が視線だけ向けると、海の向こうを見据える叔父の横顔がそこにあった。


 四十路がらみの色気のある男だ。

 総髪を後ろで結わえてまげにしており、肌はよく日焼けして黒い。

 派手な柄のアロハシャツを着こなしまるでサーファーのような出で立ちだが、その身に纏う武人然とした気迫が不思議な魅力を醸し出していた。


 嵐堂らんどう義久よしひさ

 御三家の一角、素戔嗚すさのおに連なる嵐堂家の現当主であり、世界でも七人しかいないSS級の特級戦力。

 言わずと知れた大和最強の男である。


「久しぶりだな義久。まさかお前が来るとは思ってなかったぞ」


「頼火ちゃんも元気そうで何より。可愛い甥っ子の危機と聞いてね。無理言って代わってもらったのさ」


 学園長が冗談めかした口調で言うと、義久は司の頭をクシャクシャ撫でてへらりと笑い返す。


「よっ、司。ちょっと見ない間に随分といい面構えになったじゃないの。さては好きな子でもできたな?」


「叔父貴……」


「大丈夫。後は俺に任せとけ」


 義久が力強く微笑むと、安心した司は糸が切れたように意識を手放した。

 甥っ子が眠りについたのを見届け、義久は海の向こうに意識を向け、懐から取り出した煙草に火をつけた。


「そんで、状況は?」


「見ての通り大ピンチだ。それと生徒が一人、謎の二人組に攫われた。雨水家の妹の方だ」


「姉の方ならまだ分かるけど、なんで妹?」


「分からん。二人組はどちらも子供で、神器とは別の変身能力を備えていた。形状こそ違ったがお前の甥っ子を原点オリジナルと言っていたところから推察するに同系統の何かだろうな」


「なんだかキナ臭いねぇ。分かった、家のもんに調べさせとく」


「助かる。お礼にいつでもヤらせてやるぞ」


「相変わらず冗談キッツイなぁ。俺はもう誰とも結婚するつもりはないよ」


「じゃあ責任取らなくていいから種だけ寄越せ。お前の子なら喜んで産んでやるから」


「後で絶対面倒になるからヤダ」


「ちっ、ヘタレイ○ポ野郎め」


「言っとけ淫乱変態ババア」


 こんな悪態が吐けるのも幼馴染同士だからこそ。

 お互い顔を合わせたのは数年ぶりだが、会えばこうしてすぐに昔の気楽な関係に戻れるくらいには連絡は取り合っていた。


 義久が苦笑を深めて、煙草の火を踏み消す。


 すると義久の手の中に、刃が無数に枝分かれした奇妙な形の剣が現れた。

 奇妙な形の剣を海原に向け水平に構えた義久は、その身に宿る莫大な神気を解放する。




十束剣とつかのつるぎ大蛇崩おろちくずし』」




 それはまるで、この世の終わりのような光景であった。


 天から絶え間なく降り注ぐ轟雷が暴風に荒れ狂う海を白く焼き尽くし、無数にそびえ立つ巨大な竜巻が黒く濁った海からけがれを吸い上げ、黒雲を引き裂き、吹き散らしていく。

 うねりを上げる波間に呑まれ、海入道たちは成す術もなく水底へと沈んでいった。


 嵐がけがれを沖へと連れ去り、海が元の輝きと静けさを取り戻すと、義久はようやく肩の力を抜いた。


「じゃあ、ひとまず追えるとこまで追ってみるから、司が起きたらこれ、渡しといて」


 風花を連れ去った二人の神気の痕跡を探りつつ、義久が懐から巻物を取り出し学園長に渡す。


「わかった。気をつけろよ」


「俺を誰だと思ってるのさ。んじゃ、行ってくる」


 大気中に微かに残された痕跡を見つけた義久は、気楽な調子で片手を上げると、転移の術でどこかへと去っていった。




 ☆




 風花の意識が水底から浮き上がるようにぼんやりと覚醒していく。

 まず鼻を突いたのは、むせ返るほどの鉄の臭い。血の臭いだ。

 ぼやけた視界に映るのは、地獄めいた赤い光を放つ血の池。


「……っ!? くそっ、動けない!?」


 悪夢めいた光景と吐き気を催す悪臭に一気に意識が現実へと引き戻される。

 血の池の中央に浮かぶ小島の上、身じろぎしようとした風花の手足を繋ぐ鎖がじゃらりと鳴った。

 風花が視線を巡らせると小島の中央には不吉な気配のする岩があり、今自分がその岩に鎖で縛り付けられているのが分かった。


「気が付いたか」


 風花の目の前に突然、フードを被った老人が現れる。


「誰だっ!?」


「……ああ、見れば見るほど唯花によく似ておる。まさに生き写しじゃな」


「っ!? なぜ私の母の名を!?」


「娘の名を忘れる親がどこにおるかね」


「娘……だと。じゃあまさかお前、いや、あなたは……っ!」


 老人がフードを取り素顔を晒す。

 皺枯れた、しかしどこか血のつながりを感じさせる凛々しい顔立ちの老爺だった。

 豊かな長い白髪を後ろで一つに纏めており、優しげな目元とは裏腹に、全身から滲み出る老獪な気配が油断ならない雰囲気を醸している。


「初めましてだな。儂は阿部あべの良明りょうめい。血縁上ではお主の母方の祖父にあたる」


「あり得ない! 母方の祖父は母が生まれてすぐに死んでいるはずだ!」


「戸籍上ではな。家を守るべく長らく国の暗部に仕え、すでに亡霊となった身の上。お主が知らぬのも無理はない」


「……私をどうするつもりだ」


 小島の縁を囲うように刻まれた呪言と、岩を中心に結ばれた五芒星。

 どうにも嫌な予感がした。


「復讐じゃよ。儂からすべてを奪ったこの国と、邪悪な呪法で娘の命を弄んだ夜堂へのな」


 表情は変えず、良明が静かに怒りを吐き出す。


「お前は白面の者が偶然唯花に憑りついたと思うかね? 雨水氏も阿部氏も、古くより神術や呪術を扱ってきた家系。手遅れになるまで禍ッ神の気配に気付かぬなど、そんなことがあると思うか?」


 言われてみれば確かにその通りだった。

 なぜ今までそんなことに気付けなかったのか。そこに思い至り、風花の中で一つの仮説が組み上がっていく。


「まさか、母さんは禍ッ人だったのか!?」


「ほう、すでに夜堂の小僧から聞いておったか。左様。お主の母は生まれたその日に夜堂の術によってその身に白面の者を封じられ人柱にされたのだ。……儂の裏切りを防ぐための保険としてな」


「なっ!?」


「ある日突然刺客を差し向けられ、儂は追われる身となった。長いこと暗部に身を置き、この国の裏側を知り過ぎた儂が邪魔になったのだろう。そして儂を炙り出すため、唯花の封印は解かれたのだ」


 血が滲むほど強く拳を握りしめ、良明が語気を荒げて怒りを吐き出す。


「こんな裏切りがあるか!? 己を殺し、最愛の家族とも会うことを禁じられ、それでも身を粉にして働いてきた儂への仕打ちがこれか!? ふざけるな! 許せるはずがない!」


「……もしその話が事実だったとして、あなたは何をするつもりなんだ」


 風花が問うと、怒りに染まっていた良明の顔が狂った愉悦に歪んだ。


「唯花が死んだあの日、お前には白面の者の欠片が入り込んだ。お前も感じているだろう? 母を殺した姉への憎しみを。それはお前の憎しみではない。唯花と共に滅ぼされた白面の者の怨念がお前には宿っているのだ」


「……うそだ。そんなの嘘だッ!」


 認められるはずがなかった。

 唯一の拠り所だった憎しみが自分のもので無かったとしたら、自分に残るのは修羅だけになってしまう。

 そんなものは人ですら無い。母の死を言い訳に闘争に明け暮れ、戦いの高揚を貪り喰らう化物だ。


 母を殺して涙を流していた姉の顔を思い出して、頭が割れるように痛んだ。


「……違う。違う違う違う! これは私の意志だ! そんなはずないっ!」


「お前が信じようと信じまいと関係ない。儂はお前の内に宿る白面の者の欠片を使い、そこの殺生石から九尾の本体を復活させる」


 風花の顔を掴み岩に押し付け良明が嗤う。

 復讐の狂気に取り憑かれ昏く淀んだ瞳が風花の瞳を覗き込む。


「そして、完全復活した白面金毛九尾を天原島へ解き放つ。伊弉諾いざなぎ伊弉冉いざなみ、生と死のバランスが崩れれば島の加護は命あるものを蝕む呪いへと転ずるだろう」


「や、やめろ……! 島には関係のない子供たちも大勢いるんだぞ!」


「それが狙いよ。子供の魂は純粋だからな。一度呪いへ転じればいつまでも呪いを吐き出し続ける。島で生まれた呪いはやがて本土を蝕み、かの地から一切の命はうしなわれるだろう」


「外道め! それではあなたを陥れた連中と変わらないじゃないか! いいや、それ以下だ!」


「なんとでも言え。儂はやる。もう決めたのだ」


 良明が片手で素早く印を組み、人差し指で風花の額に呪言を書き記す。



 直後、ドクン! と、風花の中で何かが目覚めた。



「がぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 骨が焼けた鉄のように熱くなり、内側から焼き尽くされるような痛みに風花の身体が大きく跳ねた。

 すると鎖がさらに風花を締め上げ、その身体が背後の岩へゆっくりと沈み込んでいく。


「さあ目覚めよ白面の者よ! 復活の時だ!」


「嫌だ! お前は誰だ!? 私の中に入ってくるな! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だあああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!」


 風花の身体がみるみる殺生石の中へと取り込まれていき、小島の縁に刻まれた呪言が赤黒い光を放ち、場に濃密な邪気が満ちていく。



 た す け て



 助けを求めるか細い声は岩の中へと押し込められ、昏く冷たい闇に呑まれて風花の意識はそこで途絶えた。

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