第7話 禍ッ人

 焼け付く炎が赤々と燃え盛り周囲を照らしている。

 古い、自分ではない誰かの記憶。

 だがどこか自分の忌々しい記憶と通じるものがある。


 これは誰かの憎しみの原点だと風花は直感的に理解した。


「……さん! 母さん!」


 炎の中で少年が物言わぬ母の亡骸なきがらを揺さぶる。

 周りの炎はこんなにも熱いのに、腕の中で横たわる母からはどんどん熱が失われていく。


 流れ出る血の赤と冷たいむくろ

 それを照らす炎の赫熱かくねつが母の死をより克明に浮かび上がらせ、少年の心を黒く焼き焦がしていく。


 殺された。誰に。

 見上げた視線の先、炎の中に揺らめく影が嗤う。


「俺が憎いか」


 少年の胸倉を掴み持ち上げ、男が問う。

 感情の籠っていない、どこまでも平坦な声音だった。


 自分の妻をその手にかけておきながら、その瞳からは一切の感情が感じられなかった。

 少年を嘲うような表情も相手の感情を煽るのに最適だからそうしているだけのような、どこか作り物めいたものを感じる。


「……莫迦ばかな女だ。封印に細工をして息子を生き永らえさせようなどと」


 男が少年を乱暴に投げ飛ばす。

 無様に床を転がる少年をガラス玉のような瞳が一瞥し、足元に横たわる女の頭に足をかけた。



「やめろぉぉぉ────ッッ!!!!」



 骨が砕ける嫌な音。零れ出た命の赤が床にじわりと広がってゆく。

 


「あ……ああっ…………ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」



 少年の瞳に憎悪の炎が宿り、その身体がみるみる化物のそれへと変化し、膨れ上がっていく。

 湧き上がる怒りに皮膚は焼け爛れ、滲み出た血が肉の表面を蚯蚓みみずのように這いまわり絡まり合って、歪な手足を形成する。


 憎い。殺してやる。


 黒い憎悪が熱したなまりのような熱を帯びて、風花の中に流れ込んでくる。



(────違う。これはこの子だけの憎しみじゃない……?)



 感情の激流に呑まれながら、風花は直感的にそう思った。

 もっと何か別の、少年の奥深くに潜むおどろおどろしい邪悪の塊。

 少年の怒りを呼び水に、その『何か』の意志が漏れ出している……?


「そうだ。憎むがいい。恨むがいい。母の死を糧に今こそ禍ッ人まがつびととして目覚めるがいい」


 身を焼く激痛にうずくまっていた少年が跳ね起き、獣の如き俊敏で影に飛びかかる。

 すでにその身体は醜くも悍ましい怪物へと変わり果てていた。


 だが男はそれ以上の疾さで怪物の首を掴み軽々と持ち上げ、口元を歪めて怪物を嘲笑う。


「どうした。お前の憎悪はその程度か。この父が憎かろう。もっと怒れ。殺戮の愉悦に身を任せろ」


「ガァアアアアアアアッ!!!!」


 怪物が牙を剥き吼える。

 瞬間、怪物の体表を覆う血の鎧が蛇のように蠢き、男の腕に巻きついてぐしゃりと握り潰した。

 だが腕を握り潰されても男はつまらなそうな視線を投げかけるだけだ。


 何度も。何度も何度も何度も何度も。

 怪物が腕を振り回し男を殴りつけ、引き裂き、握り潰す。

 だが怪物の怒りを引き出すためだけに貼り付けた嘲笑の仮面には傷一つ付かない。


「もっと憎しみを吐き出せ。その身を以て神のけがれを祓い、護国の人柱となれ。神の御霊を宿せず生まれた哀れな我が子よ。それだけがお前に残された夜堂として死ねる最後の道だ」


 怪物の穢血が絡みついた腕を自ら引き千切り、すぐさま腕を再生させた男が怪物を目にも止まらぬ疾さで滅多無尽に切り刻む。


 肉を削がれ、骨を断たれ、その痛みが更なる憎しみを沸き上がらせて、怪物の肉がボコボコと泡立ち目まぐるしく変化していく。

 すでに少年の意識は無く、俯瞰ふかんして見ていたはずの風花も、怪物から流れ込んでくるどす黒い感情に曝されすでに限界寸前だった。


「終わりだ」


 音もなく。

 ずるりと怪物の首がずれ落ち、どす黒い血を噴水のように噴き出して怪物が動かなくなる。

 世界から急速に色が失われ、すぐに何も見えなくなった。


 昏い闇の底へと少年の魂が落ちていく。



 ────死なないで。



 すると温かな光が闇を斬り裂き、少年の魂を鮮やかに照らし出す。



 ────大丈夫。母さんはここにいるわ。



 優しい手が黄泉の国へ落ちかけていた少年の魂を常世へと掬い上げていく。



 ────これからはいつまでも側に…………。



 黄泉の国へ少年の魂を引きずり落とそうとする招き手を眩い光が焼き払い地の底へと押し返す。

 やがて世界は天から降り注ぐ光に包まれ白く染まり、風花の意識はそこで途絶えた。



 ☆



 風花が目を覚ますとそこは学生寮の布団の上だった。


「目が覚めたか」


 枕元で胡座をかいて様子を見ていた司がホッと胸を撫で下ろす。

 どうやら試合の後に気を失い、そのまま司が寮まで運んでくれたらしい。


「夢見が悪いはずだ……」


「怖い夢でも見たのか。落ち着くまで抱きしめてやろうか?」


「ええいやめろやめろ! 顔を寄せるな暑苦しい!」


 ぐいぐい顔を寄せてくる司を引き剥がし、ぜぇせぇと息を荒らげる風花。

 心底残念そうな顔でしょんぼりする司は、夢で見た少年と同一人物とはとても思えなかった。


「……お前は何者だ? 禍ッ人まがつびととは一体なんだ」


 風花が司に問う。

 聞くべきか悩んだが、聞かずにはいられなかった。

 すると司は心底驚いたとばかり目を見開き、それから深々とため息をついた。


「……俺の神気に混じって記憶も一緒に流れ込んだか」


 神代は周囲に存在する自然界の神気を取り込んで回復するが、その際、稀に近くにいる神代の神気を取り込み、夢の中で他者の記憶に繋がってしまうことがある。


 疑念に揺れる風花の瞳を前に、司はどこから話したものかとしばし悩み、やがて己の知るすべてを白状した。


「夜堂の秘術で禍ッ神をその身に宿し、その血と命を代償に神のけがれを禊ぎ清める人柱。それが禍ッ人だ」


「……やはりそうなのか」


「風花がどこまで知ってしまったのか知らんが、俺も禍ッ人だ。夜堂の直系に生まれた只人は禍ッ人として人柱になる。……何百年も続いてきた忌まわしい悪習だ」


 司が腕にだけ黒鎧をまとい、調子を確かめるように手を握ったり開いたりする。

 本来であれば、禍ッ人となった者は怒りと憎しみに囚われ、破壊と殺戮の化身となってしまう。

 実際、司も一度はそうなり、実の父の手で殺されている。


「俺は一度父親に殺された。けど俺の魂が黄泉に落ちる寸前に母さんが拾い上げてくれたんだ。その時俺は母さんの御霊と混ざり合って、神代になった。こいつは鎧であると同時に、禍ッ神の破壊衝動を封じる拘束具。最後まで俺を護ろうとした母さんの想いの具現化なんだ」



 生前に偉業を為した人物が死後に祀られ神となり、時を越えて神代として転生してくることは稀にある。

 だが死者の魂が別の魂と混ざり合い神代になった例など、風花は聞いたことが無かった。



「……なら、どうしてお前は笑っていられるんだ」


 知れば知るほど、不思議でならなかった。

 自分と同じ復讐者。否、それ以上に過酷で残酷な幼少時代を過ごしてきたにも関わらず、どうして────。


「母を殺した父が憎いんだろう!? ならどうしてそんなに毎日ヘラヘラしていられる!? 本当に誰かを殺したいほど憎んでいるなら、そんなふうに笑うことなんてできないはずだ!」


 一日だってあの日のことを忘れたことはない。

 寝ても覚めても母の死に顔が脳裏の片隅にこびり付き、母を殺した姉のことを思うだけで怒りと憎しみでどうにかなってしまいそうだった。


 だから修業した。

 姉を殺せるほど強くなり、あの時母を護れなかった弱い自分を否定するため。力に目覚めたあの日から、休むことなく、ただひたすらに。


「……あの日のことを忘れたことなんて一度もないさ。奴から受けた仕打ちも、地獄のような日々も、今でも毎晩夢に見る」


「ならどうして!?」


「それだけが世界のすべてじゃないって知ったから」


 力強い、芯の通った眼差しに見つめ返され風花は息を詰まらせる。


「俺が幸せになれば、アイツの思惑を挫いたことになる。お前が命すら望まなかった俺はこんなにも人生を謳歌しているんだって、いつかアイツの前で笑ってやるのさ」


「……強いな。お前は」


「俺の憎しみは俺だけのものじゃない。……でも、だからこそ俺はどんな時でも笑うのさ。禍ッ神の憎しみに飲み込まれないためにもな」


 静かに胸に手を当て、己の中にいる何者かに語り掛けるように司は目を伏せる。


「それに風花だって、戦いの中で成長していく自分に楽しみを見出していたんじゃないのか? そうでもなければそこまでストイックに努力なんてできないだろ」


 言われて風花はハッとした。

 その事を気付かされて風花はむしろ恐ろしくなった。

 いつの間にか目的と手段が逆転していたなんて、これではまるで……。


「修羅姫……か」


 こんな皮肉があるだろうか。

 姉を殺すために力を求めていたはずなのに、いつの間にか戦いの高揚に憑りつかれていたなんて。


「怖いか? お姉さんへの憎しみが、いつの間にか生きる楽しみを得るための手段になっていたことが」


「……っ!」


「大体の事情は猛先輩から聞いた。だからこそ聞くが、風花はどうしたいんだ」


 心の内まで見透かすような真っ直ぐな瞳が風花を見据える。

 まるで鏡のようだと、風花はそう感じた。


 今、自分は心の奥底で感じている迷いを問われている。


 本当は分かっているのだ。

 復讐を果たしたところで、誰も幸せにはならないことなど。

 禍ッ神に憑りつかれた母を斬り捨てた姉が、そのことでずっと苦しんでいることも。


「私は……」


 だがそれでも、あの最強の姉に真正面から打ち負かし、己の強さを証明せねば気がすまないのだ。

 最愛の母を手にかけ、炎の中で泣きながら笑っていたあの神剣の御霊以外に、湧き上がるやり場のない感情をぶつけられる相手などいないのだから────。


「……よく、分からない」


 頭が割れそうに痛い。

 憎いはずなのに、殺したくないと思っている自分がいることに気付き風花は動揺した。


「殺したいほど憎かったんだ。大好きだった母様を殺した姉が。でも、私の想いはいつの間にかすり替わっていた。私は本当に母様が好きだったのか? 私は……私は……っ!」


 頭を抱えてうずくまる風花。

 これ以上知りたくない。何も聞きたくない。

 これ以上何かを知ってしまえば、取り返しのつかないことに気付いてしまいそうで怖かった。


「だったら、なおさらお姉さんを倒して確かめるべきだろ!」


 予想外の言葉に、風花が顔を上げる。


「……止めないのか」


「復讐なんて虚しいだけだからやめとけってか? 聞き飽きたよ、そんなセリフは」


 司がニッと悪童の笑みを浮かべ、さらに続ける。


「復讐に意味がない? そんなわけあるか。そうしなきゃ前に進めないから、絶対に許せないから、譲れないものがあるから、自分の気持ちを確かめたいから、だから復讐するんだ。そうだろう?」 


 その言葉は風花の胸の内にストンと収まった。

 あまりにもしっくりときてしまったものだから逆に拍子抜けしてしまったくらいだ。


「その復讐がどんな形であれ、俺は最後まで付き合うぞ」


「何故そこまでお前は私にこだわるんだ」


「んなもん決まってる。惚れちまったからだ」


 あまりにも真っ直ぐな回答に風花は思わず目を見開き、なんだか馬鹿馬鹿しくなってしまい、不意に笑いが零れた。


 釣られて司もおかしくなってしまい、しばらく二人で声を出して笑った。

 お互い、腹の底からこんなに笑ったのは久しぶりだった。


 やがて呼吸がようやく落ち着いてきた頃、目尻に浮かんだ涙を拭った風花が司に向き直る。


「そこまで言うなら一緒に地獄まで付き合ってもらおうか」


 いまだ迷いはある。だがどこかスッキリとした晴れやかな顔だった。


「望むところだ」


 司が悪い顔で笑い、互いの拳と拳を突き合わせる。

 これでもう後戻りはできない。後はとことんやるだけだ。


「それで、お前はどうやって私の復讐を手伝ってくれるつもりなんだ。女子寮に忍び込んで二人で闇討ちでもするか?」


「そんなことして勝ってもスッキリしないだろ。やるなら正々堂々とだ」


「ではどうするんだ」


「これだ」


 そう言って司が取り出したのは一枚のチラシ。


 渡されたそれに風花が目を通せば、来年一月の天帝陛下五〇歳の生誕祭に合わせて、この天原島で大和各地の学園から選ばれた神代たちが最強を競う大会があるらしい。



 そしてこの大会こそ、司が天原学園に来た最大の目的でもあった。



「大会に出られるのは各校四名まで。各校のトーナメントでも決勝戦からは報道陣のカメラも入るらしい。そこでお姉さんに勝って、自分の勝利を確かなものとして世に知らしめてやれ」


「……もしも私の憎しみがそれで晴れてしまったら?」


 もしそうだったら自分の憎しみは、母への想いは偽物だったことになってしまうのではないか。

 自分が母の死を言い訳にして戦いの中に生を見出す修羅であると証明してしまうことになるのではないか。


 それを証明してしまうことが、どうしようもなく、怖い。


「じゃあ、会いに行ってみるか。お母さんにさ」


「は? いや、無理だろうそんなの!? できるわけが」


「できる」


 風花の言葉を遮るように司が堂々と言い切った。


「ちょっと準備は必要だけどな。幸い、この島なら条件も整ってる。大会の予選が始まるまでには準備を整えておくから安心してくれ」


 自信たっぷりに笑顔でそう言われては、風花としては反論の言葉を飲み込むしかなかった。

 そこまで言い切るからには、何か手段があるのだろう。

 こんなことで司が嘘をつく理由が無いし、なにより風花には彼が人を傷つけるような嘘を言う人間には見えなかった。


「……分かった。そこまで言うならひとまず納得してやる。だがトーナメント形式なら、姉と私が当たるとは限らないんじゃないか?」


「そこは猛先輩に頼んでそうなるように対戦表を組んでもらう。学内行事の準備進行は生徒会の仕事らしいからな」


 すでに本人からは協力すると言質は取ってある。

 そもそもこのチラシをくれたのも猛なのだ。最終的な決定権は学園長にあるようだが、あの学園長なら事情を説明すればダメとは言わないだろう。


「大会の優勝者は天帝陛下より望んだ褒章を一つだけ賜れるらしい。俺はこの大会で優勝して、夜堂薊との一騎討ちを望むつもりだ」


「可能なのか、そんなことが」


「相手は長年この国の暗部を動かしてきた化物だ。搦め手や奇策は躱されてしまうだろう。けど、天帝陛下の勅命とあれば奴も表へ出てこざるを得ないはず」


 影に潜む化物を日向へと引きずり出し、正々堂々と殺す。

 復讐と呼ぶにはあまりにも真っすぐだが、正攻法であるだけに相手は逃げも隠れもできないだろう。


「各校の選抜予選は一対一のトーナメントだけど、大会本戦からは団体戦になる。だから風花に協力するのは俺のためでもあるんだ。信頼できる仲間は多いに越したことはないし、お互い修行の相手は必要だろう?」


「それはそうだが……本当に勝てるようになるのか? 大会が来年の一月なら修行できるのは半年にも満たないぞ」


「そこは俺に考えがある」


 何やら意味深な笑みを浮かべる司に一抹の不安を感じつつも、風花は差し出された手を握り返した。

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