第2話 夜堂司

 朝、包丁がまな板を叩く小気味よい音に風花は目を覚ます。

 ふわりと香る味噌汁の匂いに思わず腹が鳴った。


「おはよう。朝飯できてるぞ」


「……あ、ああ」


 あっけらかんと挨拶されてしまい、風花はどんな顔をすればいいか分からなくなってしまった。

 昨日の事など無かったとでも言うつもりだろうが。


 忙しなく台所を動き回り朝食の準備をする司の背中に視線を向ける。

 半袖短パンのラフな部屋着姿。無防備に晒されている肌色ばかりに目を取られた。

 脳裏に蘇る、鍛え抜かれた男の身体────。


(って、いかんいかん!?)


 寝ぼけた頭に浮かんできた雑念を振り払い、洗面所に駆け込んで冷水で顔を洗う。

 これじゃあまるで自分がむっつりスケベみたいではないか。


「ないから! 絶対にないからっ!」


「何がないって?」


「なんでもないっ!」


 あれから共同生活を送るにあたって最低限のルールを決めた。


 洗濯は自分でやる。

 脱衣所の外を裸で歩かない。

 風呂に入るときは脱衣所の掛け札を裏返す。

 炊事は週ごとに当番制で作る。などなど。


「いただきます」


「……いただきます」


 思いつく限りのルールを冷蔵庫に張り出し、カーテンで部屋を区切らない代わりにお互いルールを守るよう徹底させたのが昨夜のこと。


 じゃんけんの結果、早速今日から炊事当番になった司の手料理がちゃぶ台の上に並ぶ。

 これで不味かったら文句の一つでも言ってやろうと意地悪なことを考えていた風花だったが……。


「……うまい」


 司が何気に料理上手なものだから、せっかく用意していた文句の数々はそのまま飲み込むしかなかった。


 絶妙な火加減でしっとり焼き上げられただし巻き卵のまぁ美味いこと。

 れんこんのきんぴらもシャキシャキした歯ごたえが絶品だった。


 どれも食べる人のことを思いやる気遣いが感じられ、母の味を思い出した風花は不意に込み上げてきた涙をご飯と一緒に飲み下す。


 これはいけない。早速胃袋を攻略されかかっている。


「口に合ったようでなによりだ」


「……料理はよく作るのか」


「まあな。最初はこれも修業の一環だって叔父に作らされてたんだが、やってる内に気付いたら趣味の一つになってたな」


「そうか」


 それはなんともマメなことである。


「俺の味に惚れたか?」


「だ、誰が惚れるか!」


「照れちゃって可愛いなあ」


「か、可愛い言うな! 照れてもないっ!」


 豆腐の味噌汁をすすり顔の火照りを誤魔化しつつ、風花は目の前の少年に視線を向ける。


 夜堂司。


 色々と謎の多い少年だ。

 禍々しい鎧型の神器もそうだが、新入生のくせに進級組の風花を打ち負かすほどの実力を備えているのも不可解だった。


 この国では、神の力を持つ者は各地にある学園への入学が義務付けられている。

 大抵の場合五歳までには何らかの予兆を発現させることがほとんどであり、この島の学生は幼い頃から親元を離れて暮らしている者が殆どだ。


 そのため『進級組』と呼ばれる学生たちは長年修業を積んできた者たちばかりであり、時たま入ってくる遅咲きの新入生よりも格段に強い。

 力に目覚めたばかりで戦闘の経験も浅い新入生が何年も修業を積んできた進級生に勝つなど普通はあり得ないのである。


 そして風花の知る限り、夜堂という姓を名乗る神代の一族は一つしかない。


「……お前は、あの夜堂の人間なのか」


 この大和には御三家と呼ばれる貴族家が存在する。

 神話に語られる三貴神、天照あまてらす月読つくよみ素戔嗚すさのおの神代を祖とする御三家は、現代においても様々な方面に強い影響力を有している。


 夜堂は月読に連なる家系であり、古の時代よりこの国の暗部を取り仕切り、裏社会に強い影響力を持つ。この国を裏側から支えてきた影の一族だ。


「戸籍上じゃ夜堂司はもう死んだことになってるがな」


「なっ!?」


「だから今は母方の叔父の家に別の名前で養子に入ってる。俺が夜堂を名乗ってるのは、ある男への意思表示さ」


「ある男……?」




夜堂やどうあざみ。────俺と母さんを殺した男だ」




 先程までの朗らかな司からは想像もつかないほど恐ろしい声音に、風花は思わずゾッとした。

 狂気に澱んだ瞳の奥に悍ましい怪物の影を見た気がした風花は、思わず仰け反りそうになった身体を必死に押しとどめた。



「────っと、悪い悪い。昨日会ったばかりの女の子に話すことじゃなかったな」



 気まずそうに頬を掻いて苦笑する司に、先程までの狂気の影はどこにも見当たらない。

 それがかえって風花には恐ろしく感じられた。

 まるで悍ましい化物が少年の腹の底に巣食い、彼の心を蝕んでいるかのような、あまりに歪な二面性。


 ……この少年はまだ何か大きな秘密を隠している。


「いや、私も不躾なことを聞いた。すまない」


「いいさ、気にしてない。それより雨水家って言ったら術士の名門じゃないか。雨水うすいの長女が『真神人まがみと』とは聞いてたが、妹も強いとは恐れ入った」


 気まずい空気になってしまい、司が強引に話題を変える。


 真神人とは神話や伝承に名前が語られている神の転生体のことだ。

 神としての記憶を持って生まれる真神人は、生まれながらにして神の権能を有し、名前の知られた神であるほど人々の信仰心により力を増す。

 そのため真神人は普通の神代と比べて圧倒的に強い。


「言っておくが奴は私の万倍は強いぞ」


 湧き上がる怒りを押し殺したような、重く低い声。

 どうやらこの姉妹の間にもただならぬ確執があるらしい。


「それでも無名であそこまで練り上げるのは並大抵の努力じゃないだろ。大したもんだよ」


「……私などまだまだだ」


 どこか浮かない顔でそう返す風花に、司はどこか自分の境遇と重なる影を見た気がした。

 倒さねばならない仇敵を倒すため、ただひたすらに力を求め続ける修羅の相────。


「案外、俺たち似た者同士なのかもな」


「……ふん」


 と、ぷいとそっぽを向いて風花が鼻を鳴らす。

 復讐者という共通点。

 あまり褒められたものではないと二人とも自覚していたが、それでも少しだけお互いのことを分かり合えた気がした。


「ともあれだ。俺でよければいつでも修業の相手になるぞ。実力が近い者同士でりあった方がお互い得るものも多いだろ」


 司の申し出に意外そうな顔で風花が目を丸くする。

 確かに、ここまで実力が近い相手というのは探してもそうそう巡り合えるものではない。


「言っておくが次は私が勝つからな」


 そしてなにより、負けっぱなしは悔しいから。

 だからぶっきらぼうに一言だけ、そう返した。


「おっ、いいね。風花ならそう言ってくれるんじゃないかって思ってたぜ」


「気安く名前で呼ぶな!」


「はっはっは、照れるな照れるな。俺のことはつっくんって呼んでくれていいんだぞ。ふーちゃん」


「さらに馴れ馴れしくなってる!? 絶対呼ばないからな!」


「呼びたくなったらいつでも呼んでくれていいからな」


「うるさい! ごちそうさま!」


 逃げるように洗面所へ駆け込む風花。

 米粒一つ残っていない綺麗な茶碗に司は「お粗末様でした」と洗面所へ声をかけ、苦笑を深めるのだった。


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