禍ッ鎧ノ復讐者《アヴェンジャー》

梅松竹彦

風神少女の懊悩

第1話 プロローグ

 皇歴三〇〇〇年 八月三一日

 浦賀水道より一五〇〇キロほど船で南下すると、水平線に巨大な島影が見えてくる。


 東京都小笠原諸島群天原島あまはらじま

 古代より霊格に優れた者たちが修業に訪れたとされる聖域であり、現在は島全体が一つの学園になっている。


 港の船着き場に停まったフェリーから一人の少年が島へと降り立った。


 身長は一七〇センチ前後で黒髪の総髪。

 顔立ちはまだ少し幼さは残るものの精悍で、くっきりとした目鼻立ちをしている。何か格闘術でも納めているのか立ち居振る舞いに隙は無く、体格もガッチリしていた。

 花柄のアロハシャツとスカイブルーのハーフパンツを自然に着こなし、頭には麦わら帽子と実に浮かれた格好だ。

 

 クーラーの効いた船内から一歩外へ出れば、南国の焼けつくような日差しが少年の肌をジリジリと焼く。


「風も爽やかだし、いい島じゃないか」


 少年が爽やかに笑い沖へと目を向ければ、夏の日差しを浴びてキラキラと輝くオーシャンブルーがどこまでも広がる。


 港からバスに乗り島の南東、学生寮が立ち並ぶエリアへと移動した少年は、事前に聞かされていた番号を頼りに今日から三年間世話になる部屋を目指した。


「乙棟の三〇九号室だから……ここか」


 学生寮は木造の三階建てで、建物自体は古いが掃除が行き届いており清潔感があった。

 鍵を使い部屋に入ると右手に台所があり、向かい側にトイレと脱衣所があり風呂場の浴槽は足を延ばせるくらい大きかった。


「建物は古いけど水回りは綺麗だな」


 台所の流しを横切り奥へ進むと一五畳の和室に押し入れが一つ。

 備え付けの家電が何気に最新式なのもポイントが高い。

 日当たりも良く、窓を開ければ太平洋の大パノラマが広がる。学生の一人暮らしには上等すぎる部屋だった。


「荷物もまだ届いてないし、先にシャワーでも浴びとくか」


 適当に服を脱ぎ散らかし、リュックからタオルを取り出し風呂場へ直行。

 蛇口を捻ればすぐに熱いお湯が出た。

 全身の汗を軽く洗い流しさっぱりした少年が風呂場から出ると────。


 ガチャッ


「「あっ」」


 見知らぬ少女が脱衣所で服を脱いでいた。

 艶やかな長い黒髪をリボンで結びポニーテールにした、凛とした顔立ちの美しい少女である。


 刹那の沈黙。全裸と下着姿で見つめ合う少年少女。

 他に人がいるはずがないという思い込み。夏の暑さ。ぼんやり考え事。

 様々な要因が複雑に絡み合い発生してしまった不慮の事故。


 少女の白い首筋を伝う汗を追いかけ、少年の視線が下へ下へと滑り落ち、たわわに実った双子山に釘付けになる。

 万乳引力の法則。すべての男の視線は豊かなお胸に吸い寄せられる!


「綺麗だ……」


 不意に口をついた言葉は、紛れもなく少年の本心だった。

 一瞬、この島へ来た目的を忘れてしまったほどの衝撃。

 生まれて初めて感じる胸の高鳴り。

 

 すると、少女の顔が「ボンッ!」と煙が出そうな勢いで真っ赤になり……。


「▽@ぁ○×────ッ!?!?」


「うぉわっ!?」


 少女が言葉にならない悲鳴を上げ、どこから出したか手の中に小太刀を握りしめ涙目になりながら斬りかかってきた。

 遮二無二な斬りかかりをひらりと躱し風呂場から転がり出た少年を、少女がどったんばったん追いかける。


「褒めたのになんで斬りかかってくるんだ!?」


「全裸の不審者に褒められて喜ぶ女がいてたまるか!」


「そうか……この胸の高鳴り! これが恋か! 好きです付き合ってください!」


「この流れでよく告白できたなお前っ!? 頭おかしいんじゃないのか!?」


 少女が振り回す刃を踊るような足捌きでひらりひらりと躱し続ける少年。

 当然全裸なので動く度に股間のマンモスも右へ左へぶーらぶら。


「っていうか前を隠せ前を!」


「失敬な! 人に見られて恥ずかしいような鍛え方はしてないぞ!」


「確かにいい身体して……って何言わせんだこの変態っ!!!!」


「怒った顔も可愛いな! ますます惚れたぞ!」


「わぁぁ────っ!? 隠せばかぁ────っ!?」


 刃を向けられているのにどんどん元気いっぱい(意味深)になっていく少年に、少女が涙目になってデタラメに刃を振り回す。


 遮二無二斬りかかってきた少女の小太刀を払い除け、そのまま取っ組み合いになる。

 するとそこへ二人の荷物と一緒に、スーツ姿の女性がまるで手品のようにパッと現れた。


 年齢は四十路手前くらいだろうか。

 黒髪を肩まで伸ばしており、さっぱりした顔立ちの中々の美人だった。


「……これはどういう状況かね」


 思わず二度見して、眉間の皺を揉みながら女性が二人に問いただす。


「学園長!? 変質者です! 警察呼んでください!」


「待て待て待て! 勝手に人の家の風呂に入ってこようとしてたのはそっちだろう!?」


 少女が全裸の変態を指差して睨みつけ、勝手な物言いに少年が目を丸くして抗弁する。

 少年はこの時初めて知ったが、どうやらこのスーツの女性が学園長らしい。


「なんだ聞いていなかったか? 彼は新入生だ。ついでに言うと今年は寮の部屋が足りんから二人にはしばらくここで一緒に生活してもらうことになる」


「はぁっ!?」


 アゴが外れんばかりに少女が口を開ける。

 確かに上級生が新入生と相部屋になって世話を焼いてやるのは学園の伝統だが、新入生の年齢は六歳前後が一般的で、どんなに大きくても一〇歳よりも上はまずいない。


 こんな大きな新入生などあり得るのだろうか。

 どうにも胡散臭い。少女が訝し気な視線で少年と学園長を交互に見やると二人同時にウインクを返された。

 なんだこいつら。


 学園長が言うには今年は新入生が例年より多く、そのため寮の部屋数が足りなくなってしまったらしい。

 相部屋で強引に押し込むのも限界があるし、結果的に部屋割りに溢れた二人がこうして同じ部屋に押し込まれた、という訳のようだ。


 なおこの学園の一学期は諸事情により夏休み明けの九月から始まる。


「まさに運命の出会いだったわけか。これはもう結婚を前提にお付き合いする他無いと思うがどうだろう!」


「冗談じゃない! 嫌ですよこんな変態と同棲なんて! なんとかしてください!」


「仕方なかろう。どう割り振っても男女が一名ずつ余ってしまうんだから。まあ、この島には伊弉諾いざなぎ伊弉冉いざなみのご加護があるからな。ここでは誰も死なない代わりに何も生まれてこない。よかったな二人とも、好きなだけズッコンバッコンできるそ」


 ニヤニヤしながら指で作った輪っかに人指し指を出し入れする学園長。下品すぎる。


「ところでお前たちはいつまでそんな恰好でいるつもりだ。誘ってるのか。誘ってるんだな! こちとら若い燕と既成事実作って寿退職する準備はいつでもできてるぞ!」


「わーっ!? 何してるんですかーっ!?」

「げぇーっ!? 勘弁してくれ!?」


 鼻息荒くブラウスのボタンに手をかけ始めた変態学園長を見て、二人は慌てて互いに背を向けてそそくさと服を着た。


「まったく、人として恥ずかしくないんですか」


 学校指定のジャージに着替えた少女が腕を組んで呆れ混じりにため息をつく。

 どうやらジャージを私服にしているらしい。なんとも色気のないことである。


「知ったことか。どうせ他に適任がいないからと押し付けられた立場だしな。……しかしお前はまた随分と浮かれた格好で来たな」


「いやぁ、南の島と聞いてつい」


 学園長の呆れた視線を少年が笑っていなす。

 ちなみにリュックの中には「夏の思い出たくさん作ってこいよ!」と持たされた海パンと空気を抜いた浮き輪、伸縮式の釣り竿も入っている。

 誰がどう見ても遊ぶ気満々だった。


「というか本当に他に部屋は無いんですか!? いくら部屋が無くても年頃の男女が一つ屋根の下なんて大問題でしょう!?」


「そうお固いこと言うな。硬いのはチ○ポだけで十分だぞ♡」


「……この変態年増女。そんなだから行き遅れるんだ(ボソッ)」


「なんだと小娘! ベロチュ―してやろうかコラ!」


 こめかみに青筋を浮かべる学園長(三九歳)。

 NGワードは行き遅れ。ちょっぴり繊細なお年頃なのだ。


「……はぁ、そこまで言うなら部屋を仕切るカーテンくらいは用意してやる。それでも嫌となると物置小屋くらいしか空いている場所はないぞ。当然風呂もトイレも無いしエアコンも付いていないが、それでもいいのか?」


 学園長が親指で窓の外を指し示し少女に問う。

 この島は亜熱帯気候で、しかも今はまだ八月の終わりだ。エアコンが無いのは文字通り死活問題だった。


 すると少女が突然何か思い出したようにはっと顔を上げる。


「だったらコイツに部屋の居住権をかけて決闘試合を申し込みます!」


「決闘試合?」


 突然出てきた物騒な単語に少年が首を傾げる。


「新入生のお前は知らんだろうが、学生間のいざこざを実戦試合の勝敗で決するこの学園のルールだ。お互いの承諾が無ければこの申し出は無効となるが、どうする?」


 学園長がどこか挑戦的なニュアンスを含ませて少年に問う。


「面白い。ただし、俺が勝ったら仕切りのカーテン無しで同棲だ!」


「はんっ、いいだろう! 私が新入生なんかに負けるわけないからな! この変態め、根切りにして島から追い出してやる!」


「ではここに決闘試合の成立を宣言する! 学園長権限で面倒な申請は省略してやる。訓練場へ飛ぶぞ、二人とも掴まりなさい」


 学園長が差し出した手を二人が握ると、一瞬で景色が入れ替わる。


「うっぷ……転移の術ってこんな感じなんだな」


 説明しがたい独特の浮遊感に若干グロッキーになりつつ少年が周囲を見渡せば、そこは広々とした屋内訓練場だった。


 四方には中央を見下ろすように観客席が設けられており、よく目を凝らせば観客席を護るように透明な結界が張り巡らされている。

 決闘試合を他の生徒や教師が安全に見物できるように設計されているらしい。


「ルールは神器ありの格闘戦。神術の使用は禁止だ。どちらかが負けを認めるか戦闘不能になった時点で勝敗を決する。二人ともそれで異論はないな?」


「「ありません」」


「さっきも少し話したが、この島にいる間は伊弉諾いざなぎ伊弉冉いざなみの加護で守られる。死ぬようなダメージを負っても神気が尽きて気絶するだけで済むから思う存分戦うといい。では両者見合って……始めッ!」


 十分に距離を取った学園長が手を振り下ろすと同時、二人は己の神気を武具の形に具現化させた。


 少女は両手に一対の小太刀を。


 対する少年は────。



「どうだ、変身ヒーローみたいでカッコイイだろ」



 ────全身を覆う漆黒の鎧。


 否、甲殻と表現した方が正しいだろうか。

 鎧と言うにはあまりにも生物的で、ヒーローと呼ぶにはあまりにも禍々しい。


 この世のすべてには神が宿っており、八百万やおよろずの神々は時として人に姿を変え転生してくることがある。

 神々の生まれ変わりは『神代かみしろ』と呼ばれ、古来より人々の崇敬の念を集めてきた。


 人の身でありながら超自然的エネルギー『神気しんき』を宿す彼ら神代は、己の神気を道具の形に変化させ超常の力を振るうことができる。


 それこそが神器じんぎ


 この世で唯一、生きとし生ける者すべての仇敵『禍ッ神まがつかみ』にダメージを与えられる、この世のことわりを越えた道具たち。


「……ハッ、悪の怪人の方が似合うんじゃないか?」


「それを言っちゃお終いよ」


「まあいい、何であろうと勝てばいいだけだからなっ!!!!」


 一瞬で少年の懐に潜り込んだ少女が両手の小太刀を疾風のように閃かせる。

 喉と両目、膝関節の隙間を突いた神速の五連撃。

 神器を顕現させている間、神代の身体能力は飛躍的に向上する。


「ぐぅっ!? やるなっ!」


 弱点を的確に狙ってきた小太刀の連撃を紙一重で見切り、続く猛攻を手甲で次々と受け流して、少年が反撃の拳をねじ込んでいく。

 だが風に舞う木の葉のような動きで斬りかかってくる少女に、少年の拳はかすりもしない。


 互いに有効打無し。

 嵐のように打撃と斬撃が乱れ飛ぶ中、戦況は膠着状態へと突入した。

 ならばと少女が蛇のような動きでスルリと少年の腕に巻き付き、関節を極めにかかる。


「ぬぐぐぐ!? った!?」


 ……が、少年の身体はビクともしなかった。

 まるで銅像にでも組み付いたかのような手ごたえ。甲殻の隙間を埋めて自ら関節をロックしたのだ。


「そーら飛んでけっ!」


「っ!?」


 反撃に転じた少年が重機の如き剛力で少女を空高く投げ飛ばす。

 そのまま一気に跳躍した少年は、投げ飛ばした少女を追い抜いて天井を蹴って反転。大きく振り上げたかかとを斧のように振り下ろす!


 間一髪、小太刀をクロスさせて少年のかかとを受け止めた少女が、流星のような勢いで床に叩きつけられ建物全体に激震が走る。


「これで終わりだっ!」


 空中で体勢を変え、少年が大きく口を開ける。

 するとその口内に膨大な神気が煌々と集まってゆき……。


ァァ────────ッッ!」

飛燕連斬ひえんれんざんッ!」


 直後、天から降り注ぐ光柱と無数の斬撃波が激突した!


 神術の使用は禁止されているが、神気を直接飛ばす攻撃は禁止されていない。

 奇しくも同じタイミングで放たれた、ルールの裏をかいた両者最大の一撃。



「「おおおおおおおおああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」」



 空中の一点で光の柱と斬撃の嵐がギャリギャリと激しくせめぎ合う。

 

 轟ッッ!!!!


 激しい光が訓練場を満たし、吹き荒れる爆風が建物をギシギシと揺らす。

 やがて光が収まり粉塵が晴れると、そこに立っていたのは……。



「へ、へへ……強いな。ますます惚れたぜ」



 フラフラになりながら少年がニヤリと笑う。



「ま、負けた……」



 床の上に大の字に転がり、少女が負けを認める。

 すでに起き上がる気力すら残っていない。完敗だ。


「そこまでっ! 勝負ありだ」


「ははは、なんとか勝てた……」


 学園長がジャッジを下すと、少年の全身を覆っていた鎧が霧のように溶けて消え、少年がどっかりとその場に座り込む。


「彼の勝ちだが、何か申し立てはあるか」


 学園長の最後の確認に少女は小さく首を横に振った。

 自分から仕掛けた勝負。しかもルールの範囲内で全力を出し切って負けたのだ。文句などつけられるはずもない。

 泣きたいほど悔しかったが涙だけは見せまいと唇を噛みしめる。


「見事な技だった。あと一手押し込まれていたら負けていたかもしれない」


 少年が少女の健闘を称え手を差し出す。

 拳と刃を交えたからこそ分かる。噓偽りない感想だった。


「……お前に私の何が分かる」


「分かるさ。あの研ぎ澄まされた刃の冴え。きっと、相当な努力をしたに違いない。どうか君の名前を聞かせてくれないか」


 すべてを見透かすような真っ直ぐな瞳に、少女はむず痒そうに顔を逸らした。

 一度刃を交え、彼もまた努力によってあの境地に辿り着いたのだと理解できたからこそ、その素直な賞賛しょうさんが余計に照れくさい。


「……雨水うすい風花ふうかだ」


「風花か。いい名前だな! 俺は夜堂やどうつかさ。よろしく!」


 照れくさそうにそっぽを向きながら名乗った風花の手を取り、司が二ッと笑う。



 かくして、二人の共同生活は波乱の出会いから幕を開けた。

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