33.図書館と体育館

 当然ながら、田辺た なべ の運動着は俺ん家にはない。だから、俺だけが運動着をバッグに入れて再び外に出た。


「お待たせ」


「お待たせしました」


 さて、あとはここからの誤魔かし方が重要だ。頼むぞ、田辺。


「では、行きましょう」


 あれ? 茅野ちが や の奴、田辺がバッグを持っていないことに関しては言及してこないのか? してくるかと踏んでたんだけど。


 茅野は家の横に止まっている俺の自転車に触れる。


「それでなんでこれしか自転車がないの?」


 自転車? ……あぁ、鋭いな。茅野の指摘していることは至極尤もだ。俺は田辺のほうを見る。


「私の自転車は今ないんです。昔はあったんですけど、壊れてしまって」


「新しいのは買わないの?」


 田辺は顔色一つ変えずにさらりと言う。


「最近は自転車あんまり使わないですからね。電車で移動することが多いですし。それに意外と高いですし」


「そう……。じゃあ、日方ひ かた が歩きで果歩ちゃんが自転車にすればいっか」


 まじかよ。最近全く運動してないんだけど大丈夫そ? とか思いながらがらも俺は自転車に近づく。


「ちょっとどいて」


 茅野は自転車からすっと離れる。そして俺は、自転車のパスコードの鍵を開ける。


「はい、乗っていいよ」


 俺は田辺のほうに顔を向ける。すると田辺がこちらのほうに歩いてくる。


「ありがとう」


「うん」


 すぐ近くにいる茅野が疑いの眼差しを向けてくる。


「なんで果歩ちゃんはその自転車の番号、知らないの?」


 こいつ、いちいちうるせーな。別に知らなくてもいいだろ。田辺の勝手だろうが。


「いやだって……この人、普段自転車乗らないし。ね?」


 目の前にいる田辺はこくこくと縦に頷く。その後すぐに俺は自転車のスタンドを蹴って、駐輪場から自転車を下ろした。


「バッグ、入れてもいい?」


 俺のわがままに、田辺はかなり控えめな声で「うん」と答えた。俺は自転車の籠にバッグを入れたあとに、田辺に自転車を手渡す。すると、田辺が自転車のサドルに跨った。


 茅野も止めていた自転車に乗ったところで俺たちは図書館に向かい始めた。


 × × ×


 俺たちは、十五分ほどの走りを終えたところで図書館にたどり着いた。


「疲れたー」


 何がやばいって息切れがやばい。マジで年を感じる。まだピチピチの十六歳なんだけどね。

 茅野達が自転車を止めてこちらに歩いてくる。


「まだ体育館にすら入ってないのにそんなに疲れててどうすんのよ」


「お前らは自転車を漕いでただけなのによく言うぜ」


「そりゃ女子だもの」


「……」


 なにも言えん。なんて言ったらいいかすらよくわからん。


「ほら、立ち止まってないで行くわよ」


「はーい」


 茅野たちは図書館の自動ドアをくぐる。俺はその後ろに急いで付いていく。

 するとすぐに、俺の目の前には書物の世界が広がった。


「めっちゃ変わったな、この図書館」


 隣を歩いている田辺は無言を貫き通している。茅野が代わりに口を開く。


「私はよく来てるからあまり変化には気づかなかったけど」


「今日もそれで来てたのか?」


「そう」


 俺達はその後も一〇分ほど館内を歩き回る。それにしてもこの館内、何周すればいいんだ?


「なあ、さっきからこの館内もう五周くらいしてると思うんだけど。一向に空閑の姿が見えないのはなんで?」


「ちょっと待ってて」


 茅野はズボンからスマホを取り出した。


「ごめん。『先に体育館入ってるから』って空閑からメッセージ来てた」


「別にいいけど、そりゃいくら探しても館内にはいないわけだわ」


 そして俺たちは入口側に引き返す。


「え、どこ行くの?」


 俺一人が通り道の受付カウンターで足を止め、茅野と田辺はなぜか自動ドアをくぐろうとしていた。


「体育館だけど……何か問題でも?」


 こいつらまさか知らないのか。


「ほら、チケット買わないと……」


「「チケット?」」


 声音こそ違ったものの、茅野と田辺の声が見事にシンクロする。


「遊園地や水族館じゃないんだからチケットなんて……、冗談よ」


「いや、何のための冗談だよ」


 俺は茅野と田辺を手招きする。そして先ほどからこちらを訝しげに見ている、目の前の受付人に声をかける。


「すみません。体育館を使いたいんですけど……」


 俺のすぐ両端に茅野と田辺が並ぶ。うわ、ちけぇ。もう少し離れよ? ね?


「かしこまりました。何年生様ですか?」


「高校二年です。両隣にいる二人も……、ちょっと待ってください。田辺さん」


 俺は茅野にはなるべく聞こえないように、すぐ隣にいる田辺に小声で囁く。茅野のほうから鋭い視線を感じるが今は無視だ。


「あのさ、運動着持ってないよね。八〇円かかるけど大丈夫? あれだったら俺が払おっか?」


 俺の紳士力はまだまだのようだった。本当の紳士なら本人に「俺が金払おっか?」なんて野暮なことは聞かない。いや、そもそもする質問が違う気が……。


「八〇円ぐらい大した出費じゃないので、全然大丈夫です」


 そう言ってから田辺は、スカートのポケットから財布を取り出した。俺は改めて受付人と向かい合う。


「えっと、じゃあ三人分下さい。全員高校生です」


「じゃあ、二四〇円で一人八〇円ずつです。あとこちら、ご記入のほうをお願いします」


「わかりました」


 ってか、なんだっけこれ? あ、名前と住所と電話番号を書くのか。よくあるやつだな。俺はバッグにいつも常備しているボールペンを出してすぐにそれを書き終える。

 受付人は無駄のない洗練された動きでハンコを押すなり、紙を剥がすなりの作業をこなしていく。


「日方、申し訳ないんだけど、私百円玉しか持ってないんだけど」


「ま? じゃあ、とりあえず俺が払っとくわ」


「わかった。ありがと」


 茅野はほっと胸を撫で下ろした。


 いや、待てよ。ここは田辺の分も俺が払ってあげたほうがいいのか? 田辺だけに払わせるのもなんだか気分が悪い。

 俺は田辺が机に先ほど出した八〇円を取り、手の形をグーにして彼女の前に差し出す。


「え、何ですか?」


「やっぱ払わなくていいや。俺、ちょうど小銭減らしたかったとこだし」


「でも……ありがとう」


 なんか、『でも』からの『ありがとう』の声色が急に変わったな。まあいっか。あ、茅野が見てたからか。


 俺は手に持っている財布から二四〇円ちょうどを出す。


「これでお願いします」


「はい。じゃあこちら」


 俺はチケット三枚を受け取り、茅野と田辺に一枚ずつ渡す。


「じゃあ、今度こそ体育館に行こう」


 俺たちは今度こそ図書館を出て、図書館の横にある駐車場を超えて体育館に入る。そして、受付人に先ほど買ったチケットを見せる。それに倣って二人も俺と同じことをする。


 遂に、体育館に俺たちは入ることに成功した。するとドリブルをついていた一人がこちらに手を振る。


「めっちゃ遅かったじゃん。なんかあった?」


 俺は、一瞬誰だがわからなかったそいつに答える。


空閑く が、雰囲気めっちゃ変わったな。誰だか一瞬わかんなかったわ。何、高校デビュー?」


 空閑は間髪入れずにツッコミを入れる。


「違うわ! 普通に髪型変えただけだけど」


 俺も負けじと空閑に応じる。


「それを高校デビューって言うんだよ! とりあえず、俺たち着替えてくるからもう少し一人でやっててくれ」


 俺達は体育館の外に出る。ここにはトイレや自販機、冷水機やらがある。


「じゃあ、後で。そのまま体育館でいいよね?」


 茅野は迷う素振り一つ見せない。


「うん、それでいい」


 俺たちは更衣室もといトイレに入る。言わずもがな、俺は男子トイレ、茅野と田辺は女子トイレだ。


 俺は着替えながら一人反省していた。田辺をほっときすぎなのではないかと。そして着替え終わり、再び体育館に入る。


「スリーポイントシュートめっちゃ入ってるな」


 俺の声に気づいたのか、空閑はボールを取ったあとに、こちらに振り向く。


「そうか? まあ、中学のときよりは安定するようになったかもな。そう も高校はバスケ部だっけ?」


 総か……。久しぶりに聞いたな、その呼び方。なんだか中学の頃を思い出してしまう。


「いや、違う。そもそも部活には入ってない」


「え、なんで入ってないんだ?」


「勉強がついていけなくてさ。部活に入ると放課後の時間ほぼ全部取られるだろ。休日も」


 空閑が顔を歪ませる。少し悲しそうだ。


「そうか。正直言うと、お前にはバスケを続けててほしかったけどな」


「……うん」


 何だこの不思議な感じは。最初からこれは少し嫌だな。俺はバッシュを履き終え、空閑にパスの合図をよこす。


「へい」


 空閑は彼の胸の前からの綺麗なパスを飛ばしてくる。心なしか、パスも俺とバスケをしていたときよりも上手くなっている気がする。


「上手いな……」


 思わずその言葉が俺の口から漏れていた。


「一応、部長だからな」


「まじか。すげえな」


 こいつのバスケスキル、どんどん上達していってるな。中学に入りたての頃は……俺のほうが上手かったのにな。


「ってか、ボールって一個しかないのか?」


「そうだけど。もう一個借りてきてないのか?」


 俺はドリブルを軽くつきなながらも即答する。


「借りてない」


 すると、空閑がこちらに駆け足で、俺がいる少し横まで来て、空閑自身のバッグだと思われるものに手を突っ込み始める。


「俺が借りてくるから、総は練習しててくれ」


 バッグから財布だけを抜き出して、そのまま空閑は、風の如く体育館から飛び出してしまった。

 昔からあいつ。ああ見えて実は優しいんだよな。ってか、茅野と田辺着替えるの遅くねえか。田辺が着替えないから戸惑ってんのかな。まあいいか。


 × × ×


 俺は軽いストレッチをする。その後、基本的なドリブルを何度か繰り返す。


「もらってきたぞー。どっちのボールがいい?」


 空閑が駆け足で戻ってきた。


「俺はどっちでもいいけど。お前は?」


 空閑は少しの間、黙り込んだ。


「……。なら、自分のにするわ」


「ほい。あ、」


 俺と空閑のパスしたボールが見事にぶつかり合った。俺のボールが体育館のステージ側に飛んでいき、空閑のボールが体育館の外に放り出された。


「何やってんだお前」


「そっちこそ」


「こっちにボールが飛んできたんだけど」


 体育館に二つの影が入ってくる。一人は堂々とした立ち振舞いをし、もう一人はその後ろに隠れるようにしている。

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二作目連載作品

『いじめられていた私がJKデビューをしたら同じクラスの男の子から告白された件。でも、ごめんね。』

https://kakuyomu.jp/works/16817330654542983839


↑こちらも是非ともよろしくお願いいたします。


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