29.田辺さん④

 俺は、田辺た なべ が何を言い出すのかと少し不安になりつつも、彼女をただじっと見ていることしかできない。


「急にどうした?」


 田辺は「ふむふむ」みたいな顔つきで、俺のほうを見ている。

 え、ホントに何?


「あの……、なんて言えばいいんだろう?」


「いや、知らんがな」と言いそうになったのを俺は必死に堪えた。


「文化祭のスローガンの紙? みたいなのを書き終わってたら、今、回収しちゃおうと思って」


 ……。


 なんだよそんなことかよ。文化祭のスローガンの奴だっけ? たしか、俺もらってすぐに何か書いた気がするわ。


「あー、そういえば委員長だもんね。だから回収しなきゃいけないのか。 でも、そういうのって委員長じゃなくて文化祭実行委員とかの人が回収するんじゃないの?」


 すると、田辺はすぐに「普通はそうですよねー」と俺に顔で訴えている……、たぶん。


「違うんです。なぜかクラス長が回収しなきゃならんのです。多分ですけど、文化祭実行委員だとクラス毎に人数が偏っちゃうからだと思います」


 たしかに。そう言われてみれば、それが至極尤もな気がする。流石クラス長やわ〜。

 あと、途中変な口調になってなかったか?


「ほーん。たしかにそんな気がする」


「……」


 ん?


「……」


 なんかさっきから殺気を感じる……、てへっ。まあ、嘘だけど。

 数秒の間、お互いに目をぱちくりぱちくり。


 なんだ、この妙な空気は。あっ、文化祭のスローガンの紙を持って来いってことか。

 そのことを割と遅めに察した俺は、今すぐにでも文化祭のスローガンの紙を取らねばと思い、田辺が座っている近くに行く。


 そして、俺は田辺の顔より少し横目掛けて手を伸ばす。


「えっとー」


 田辺は一瞬にして驚いたような顔つきになり、そこには恐怖の怯えさえ滞在しているように思えた。


「や、やめて!」


 パチン!


「え……」


 気づくと、俺の手は田辺の手によって綺麗に はたかれていた。


「あ、あの、田辺さん?」


「……ごめんなさい」


 田辺は俺に謝りはしたものの、未だに自分が何をしたかわかっていない様子だ。


 いや、自分がなぜこんなことをしてしまったのかに、自分自身ですらわかっていないのかもしれない。


「その、つい、反射的に手を出してしまって」


「まあ、別に大丈夫だけど。というか、俺もごめん。何も言わないで田辺さんの顔の横に手を伸ばしちゃって」


 それにしても、あの田辺の怯え方は異常だった気がする。

 田辺の目は、未だに虚ろなままだ。


「いえ。日方ひ かた くんは、文化祭のスローガンの紙をただ取ろうとしただけなので、謝る必要はありません」


 俺は、これ以上田辺を怯えさせてしまったらいけないと思い、目の前に見えている紙を田辺に取らせることにした。


「ありがと。それで、紙それだから取って回収してくれない?」


 俺は手を伸ばせば届く紙のほうを指差しながら、田辺に示す。

 田辺は椅子をクルクルと半回転させたあとに、少し体を前に仰け反らせてその紙に手を伸ばす。


「これですか?」


 俺は、無言で頷き返す。


「じゃあ、回収させてもらいますね」


 田辺はその紙を自分のバッグに入れようとしたが、その寸前でピタリと動きを止めた。


「これ、見てもいいですか?」


 うん。別にやましいことがあるわけじゃないし、見せても問題ないだろう。


「全然いいよ」


 田辺は「ありがとうございます」という意を込めてか、俺のほうを見ながら一度軽くお辞儀をしたあとに、手に持っている紙に目を通す。


 田辺は一分ほど、その紙をそれはそれは真剣な眼差しでじっーと眺めている。


 あの……、そんなにその紙色々と書いてあったっけ?

 そんなことを思っていると、今度は突然、俺に目を向ける。


 ひ、ひぇ……。


 その目、地味に恐いからやめて〜。


 田辺は俺を睨めつけるわけでもなく、ただ俺の顔を真顔でじっと見つめ続けている。そこには生気が宿っていないようにすら見える。


「ど、どうしました?」


 田辺のその顔が恐すぎて、俺はついつい敬語になってしまっていた。


「ねえ、これはわざと?」


 こっわ。ってか、俺そんなに変なこと書いたっけ? 全く記憶にございませんが。


 表情や声音こそいつも通りだけれど、田辺からはどこからか湧き出る、唯ならぬ威圧感を感じる。

 俺はとりあえず、田辺から素早くその紙を奪うことにした。


「どれ……あ」


 マジかよ、こいつ。見た目にそぐわぬ反射神経をお持ちのようで。

 普通に躱されたんだけど?


「人から物を貰う時は『下さい』や最低でも『ちょうだい』と一言断りを入れるものだと思うんですけどね」


 いやー、ご尤もだこと。


 でも、それは元々俺のなんだけどね。


「でも、その紙、クラスの皆さんに配ったの私なんですけど」


 ……え、なんで俺の心の声の返答が返ってくるんだよ。


「そのくらい、日方くんの顔を見ればわかりますよ?」


 まただよ。やっぱり、実はこいつ俺の心読めてんだろ。

 それとも、僕が顔に出やすい性分なだけなのでしょうか。


「そんなに俺、顔に出やすい?」


「少なくとも、日方くんとあまり喋ったことがない私でもわかるくらいではありますよ」


 ほほーん。そりゃめっちゃわかりやすいですね。


「どうぞ」


 田辺は、自ら俺に文化祭のスローガンの紙を寄越してくれた。

 それでは拝見させていただこうかと思い、俺はベッドに腰を下ろすが、先ほどからやたらと視線を感じる。


「あの、そんなに見られてるとこちらも萎縮してしまうんですが」


「そ、そうですよね……ごめんなさい。私は今から目の前にある参考書をやってるから気にしないでください」


 田辺は一度くるんと椅子を机に向かう体制になるように回転させ、参考書とやらを筆箱からシャーペンを取り、解き始めた。

 さてと……。今度こそゆっくり見させてもらおうと思い、俺は目の前の紙の上から順に目を通し始める。


 えー、どれどれー。


『あなたが思う文化祭の最高のスローガンをできるだけ多く書いてください。』


『振られることのない文化祭』


『文化祭という名の合コン祭』


『告れば必ず付き合える合コン』


『肉巻きおにぎりが食べたい』


 ……。


 なんだこれ。ひでぇな。誰だよこんな身のほど知らずなこと書いた奴。

 そりゃあ、こんなこと書かれた紙を目の当たりにしたら、流石の田辺でも怒るわけだわ。


 かと言って、これらのことが嘘かと言えば、それはそれで嘘になる。


 やっぱり、文化祭は合コンであるというこいつの意見にも耳を傾けてやる余地はあると思う。


 にしてもこれ、やっぱ書き直したほうがいいよね? と思い、俺は田辺のほうに目を向ける。


 もちろん、人の心の声が聞こえるエスパー田辺でも俺の視線には気づかない。


「これってやっぱり書き直したほうがいいよね?」


 俺の声を聞き、椅子の向きはそのままに、首だけ動かして田辺はすぐさまこちらに振り向いた。


「私的には正直、どっちでもいいです。別に私、文化祭実行委員会に所属してるわけでもありませんし」


 なーんだ。こいつ、思ってたより気が利くやつだったんだな。

 クラス委員長だから勝手に、クソ面倒臭い真面目に磨きがかかった真面目ちゃんかと思ってたわ。


「それに、その紙を提出された文化祭実行委員たちの顔も見てみたいですし」


 やはり、人からは人の子しか産まれてこないらしい。まあ、この人の親が人かどうかは定かではないが。


 なんかめちゃくちゃ頑固そうだからと接触することを少しばかり拒んでいた自分がばかばかしく思えてきた。


「田辺さん、もっと面倒臭いタイプの真面目ちゃんかと思ってたわ。意外とそういうゲスいことも考えるんだ」


 すると、田辺はすぐに否定の言葉を口にした。


「いやいやいや、別にそのくらいゲスくもなんともないと思いますけどね。私だって普通の人間ですし、そのぐらいは思います!」


 それは、俺がどれほど田辺に自分の幻想を抱いてきたかがわかる発言だった。


「人を見た目で判断してはいけないとあんなに言われてきたのに……、やっぱり人ってそんな簡単に変わらないんだな」


 その言葉を言い終わるとほぼ同時に、田辺は、「うへぇ、この人めんどくせぇー」みたいな感じであからさまにドン引いていた。


「そうですねー。そんなことより、その紙の内容書き直すんですか、書き直さないんですか」


 俺の言葉は、華麗にスルーをする田辺さんだった。


 そうだな。正直、書き直すのもめんどいし、このまんまでいっか。


 俺は迷うことなく、田辺が座っている椅子の真ん前(俺の机)にバンっと勢いよく置く。


「ほい」


 田辺はびくりと肩を震わせたあと、目を細めつつ、こちらを怪訝そうに覗き込む。


「本当にそれでいいんですね?」


「問題ない」


「名前は記入しましたか?」


 え、名前なんて書く場所あったっけ? と思い、俺は紙全体を見通す。

 うん? 名前書く場所なくない?


「なあ、名前書く場……」


「じゃあ、預かっちゃいますね」


 ……。


 こいつ、さてはからかい上手の田辺さんだな?

 だが、あえてわかっていないふりをしてみよう。逃がさん。


「俺、まだ名前書いてなかったんだけど」


「……では、私はここで勉強させてもらいますけど、日方くんはどうしますか? たぶん勉強大体は教えられると思いますよ」


 なんかこの人、今の短時間で性格激変してない? 割と今、怖がってる自分がいるんだけど。

 よし。もう少し粘ってみよう。


「俺、まだその紙に名前書いてなかったんだけど大丈夫そう?」


「大丈夫です。それで私、申し訳ないと思いながらも日方くんの机使わせてもらってるんですけど、あなたはどうしますか?」


 もういいや、諦めた。完全に負けました。


 あと絶対申し訳ないと思ってないよね、この子。俺の席を使っていることに対する威厳すら感じたわ。


 どうしよーかなー? と顎に手を当てて考えあぐねている俺を、田辺はじーっと見ている。

 すると、ふと俺から視線を外した。


 田辺は、自分が座っている椅子から腰を少し浮かせて、その腰を少し横へとスライドさせる。


 そして、トントントンと自分が先ほどまで座っていた少しのスペースを叩き始める。


「ここ、座りますか?」

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二作目連載作品

『いじめられていた私がJKデビューをしたら同じクラスの男の子から告白された件。でも、ごめんね。』

https://kakuyomu.jp/works/16817330654542983839


↑こちらも是非ともよろしくお願いいたします。

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