17.価値観

 うーん、俺は頭の中をフル回転させる。


 そういえばこいつが触れてない言葉があったな……。


「そう言えば七海なな み は、『恋する』については一度も触れてなかったよな」


 俺がそういった瞬間、七海はびくっと体を震わせて少し照れたように笑った。

 なんだこの反応は?


「たしかに言ってなかったね。でも……私からしたらやっぱり恋をすることと好きは似ているようなものの気がする……。恋をすることも好きもやっぱり……独占欲……みたいなのがどうしても出てきちゃうよね。そしてさっきから何回も言ってるけど、時には相手を傷つけてしまう」


 先ほどとは打って変わって七海は少し照れ臭そうに、そして自信なさげに語る。


 特に「独占欲」という言葉を発するときにそれが顕著だったように思う。


 ふと俺は思う。七海にも独占してしまいたい存在がいるのだろうか。


 そこで七海は何かを思い出したかのように口を開く。


「あ、そう言えば愛することは人を傷つけたりはしないって私言ったけど、肝心な私が思う私なりの愛を築き上げる方法を言ってなかったね」


 あー、たしかにそうだったかも……。

 そして俺は今後に役立てるためにもその方法を心底知りたいと思った。


「私的には好きとか恋をするとかの感情は簡単に生み出すことができるけど、愛するという感情はなかなか生み出すことができないと思う。だって皆が皆愛し合うことができたら『離婚する』なんてことは起きないでしょ? ……ごめん、この例はあまり良くないかも。愛するからこそお互いのことを考えてその結果、離婚が正しいと判断したのかもしれない。ちょっと今すぐには良い例をあげられそうにないや。ごめん……」


 そもそも七海と俺は今日会う約束をしてなかったんだ。


 正しい例を挙げられなくてもそれは謝ることなんかじゃない。


 むしろ、ここで正しい例を挙げてしまったら世の哲学者たちに失礼だろう。


「でも愛するという感情はたぶん、その相手と付き合うまではまず生むことができない感情だと思う。なぜなら自分が相手のことを深く知ることができるのは付き合ってからでしょ? そして付き合い、相手にとって利益のある行動、自分が相手にとって愛のある行動、つまり相手の今や今後に役立つ行動を取ることにより、愛が育まれる。いや、その過程でさえも愛するということなんだと思う。それで今から言うことは補足だけど、お互いがお互いを愛することができればお互いにとってのベストな選択ができると思う」


 なるほど。彼女が言うことは一理ある。


 もちろん何事にも例外はあり、付き合うという工程を踏まずとも相手の気持ちが大体分かってしまう完璧超人がいる可能性も否定しきれない……と自分の中で付け足しておく。


 そして俺は七海に向かって頷いて見せる。


「だからまずは付き合うことは前提で、付き合っていくうちに自分が相手のことを知り、自分たちにとって何が一番重要なのかを考え、それを実行に移すことが大事だと思う」


 でも「人間には欲望や感情がある」と七海に問おうとすると、七海は俺の意図を汲み取ったのか一度頷いた。


「そう、そして人間には欲望が誰にでもあると思う。だからもしかしたら一生――どう足掻いても、人を愛することができない人もいるかもしれない……誰しもが合理的に動けるわけじゃない。いや、語弊がある。ほとんどの人は合理的に動くことができない思う。私たちは感情がないロボットではないから……」


 そして七海は一度机の上に置いてあるスマホを見ると俺のほうに振り向いた。


「ごめん。結局私が一方的に喋ってばっかになっちゃった。でも、もう19時半すぎだしさすがに帰ったほうがいいよね? たしか、日方ひ かた って家遠いんだったよね?」


 いきなりの質問攻めである。七海らしいと言えば、七海らしい。


 ……やっぱり今の後半の言葉なし。


 俺はたぶん七海についてほとんどのことを知らないのだと、今日思い知らされた。


 だから、俺が軽い気持ちで「七海らしい」だとか言うのは筋違いだと思う。


「うん、もうそろそろ帰ろう。七海の親もいくら連絡したとは言え、心配してるだろうし」


 はあ……、このに及んで俺はまだこんなことを言う奴だったのか。

 自分が嫌いになりそうだ……。


 思ってもないことを相手の機嫌を取るために言ってしまうのは俺の悪い癖だ。


 しかもそれを人の親のせいにして……。


 偽善者にもほどがある……最低でしかない。


 それをわかった上でやっているのだから、なおさらタチが悪い。


 これが自分で良かった。俺はこんな奴とは友達になりたくないから。


「――ょうぶ? 日方どうしたの?」


 これも最近よくあることだ。


「ごめん、ちょっとぼーっとしてて。帰るか」


 俺が先に席を立ち、伝票を持ってレジに向かう。

 そのあとに七海が続く。


 緊急事態発生! 緊急事態発生!


 ここで俺は七海の分の代金も払ったほうがいいのだろうか? 浅間ならどうしただろう……。


 まあ、あいつならトイレに行くふりしてレジで金払ってから席に戻るくらいのことはやってのけるだろう。


 俺は覚悟を決め、レジにいる店員に伝票を渡す。


 店員はレジ打ちを始めてものの数秒で「七五〇円になります」と言う。


 俺はすぐさまズボンの右ポケットに手を突っ込み、財布を取り出す。そして千円札一枚を確認したあと、小銭を確認してみる。


「えーっと……」


 すると、すかさず俺の隣から


「これでお願いします!」


 元気のいい声だった。


 いつの間にか七海が俺の隣に並び、店員に千円札を差し出していた。


「お預かりいたします。千円お預かりで二五〇円のお返しになります。ありがとうございましたー」


「……いやー…」


 俺の声は遅かったうえに、小さすぎて彼女たちには聞こえていなかったことだろう。


「行こっか!」


 七海は満面の笑みを浮かべた。


「うん……」


 そして俺たちは無事、カフェを出ることに成功した。


 うーん、情けなさすぎじゃない? ……俺。


 いや、ホントはダメだよ! ダメだけど……割り勘ならまだしも……ねー、同級生の女子に奢らせるとか……ねー、最低人間にもほどがあるよねー?


 もうここまできたら男としてではなく人として最低である。


「女の子には絶対に奢らせない」をこれからはモットーに生きていこう……。


 そんな当たり前のことをモットーに掲げてしまう俺であった。


 めでたし、めでたし……とは当然ながらならない。


 そう、帰り方である。さて、どうするべきか。

 七海にお金払わせちゃったし、せめて彼女を送るくらいのことはしよう。もう外暗いし。


 えっーとこいつが住んでるのはたしか蒲田駅付近だった気がする。


 いや、京急蒲田駅附近だったかな?


 それともこの二つの駅のちょうどあいだだったかな?


 どっちにしろ、こいつを送るのは確定だな。


「ねえねえ、日方って京急川崎駅から帰るのでいいんだよね?」


「うん、そうだよ」


 そして俺たちは特に会話を交わすこともなく、すぐ近くの京急川崎駅に着く。


「……七海はどっちからいつも帰ってるんだ?」


「どっち……、あー、そういうことか。私も京急だよ」


「だよね、じゃなきゃこっち来てないよね」


 七海は一瞬逡巡したあと、答える。


「……うん」


 その声のトーンは明るかったものの、随分と無理やりのトーンに思えた。


 そうか、こいつは俺を心配させないために自分の気持ちを押し殺して頑張って平然、いや、それよりも尚トーンを明るくしているのか……。


 でも、今の俺には「たまには俺を頼ってもいいんだぞ?」なんてカッコイイ台詞を吐く余裕なんてなかった。


 それにしても、本当に住んでるのは京急蒲田駅近くなのだろうか。


 それとも他に何かしら理由があるのだろうか。


 今の俺には七海にそのことについて尋ねる勇気は残念ながらない。


 せいぜい俺にできることといえば、七海の家の前までついていくことぐらいしかない。


 俺たちは会話を交わすことなく、電車に乗り込む。


 俺もいつも京急蒲田駅は通る駅だからここまではいつも通りだ。


 いつもと違うことといえば、京急蒲田駅に着いたら電車を降り、改札を通って少しばかり歩いて彼女の家の前まで行くことくらいである。


 ふと電車の中を見渡すと席がちらほら空いていたが、俺が考え事をしていたこともあり、あと数十秒もしないうちに駅に着きそうだったので、七海に席を勧めるようなことはしなかった。


 京急蒲田駅に到着し、俺たちは電車を降りた。


 すると七海がこちらを不思議そうな顔で見る。

 ふとドキッとしてしまった俺を許してほしい。


「あれ? 日方なんでここで降りたの? 乗り換え?」


 俺はなんて答えたもんかと迷った末、素直に答えることにした。


「いや、家まで送りたいと思ってさ。もう外暗いし」


 七海はすぐに少し嬉しそうな顔になる。


「ありがとう……」


 なるほど、こりゃモテるわけだ。

 普段は明るい癖して、急に恥ずかしそうになるんだから。


 母性が湧くのも無理はない。

 今すぐにでも抱きしめてあげたい衝動に駆られる。


 あれ、でも俺男なのに母性とかあるの?

まさかこれは将来女になる暗示?


 閑話休題。


 俺たちは改札を出て、七海の家まで歩く。


「俺、七海に気軽に『送っていくよ!』的なこと言ったけど、キモくない? 大丈夫?」


 おっと……、俺が七海に伝えたかったことはこんなことではないだろうが。


 つい本音が……。引かれるだろうか?


 七海は俺の予想に反して、クスッと笑い始めた。


「大丈夫だよ、キモくないよ!」


 なら良かったー。じゃなくて……。


「それは良かった。それで家見られたくないとかは思わないのか?」


 七海は少しの間逡巡したあと、「思わないよ」と答えた。


 少しの間、無言で俺と七海は夜の道を歩く。


「ここだよ、私の家」


 そして七海の家の前まで辿り着いた。

 マンションに住んでいるらしい。


 あまり人の家をじろじろ見るのも気持ちが悪いので、俺はやや目線を下げて七海に言う。


「じゃあ、また学校で。あと今日は色々ありがとう」


 すると七海は笑顔を滲ませる。


「私こそありがとう。めっちゃ楽しかった!」


 俺と七海は手を振りながら別れる。


 そしてここまで来た道を逆走し、俺は京急蒲田駅に戻って我らが西新井駅に電車で向かう。


 × × ×


 俺は突っ立って電車に揺られながら電車のドアから外の景色を眺めていた。


 街は外灯に包まれ、どこもかしこも綺麗に光っている。


 夜の景色を眺めながら今日起きた出来事を思い出すのは割と心地が良い。


 思い出すことがたくさんある。


 そういえば、なんで週末で学校なかったのに七海は私服ではなく、制服だったのだろうか? とか。


 本当に浅間は親に「帰って来い」と言われて急いで家に帰ったのだろうか? とか。


 そもそもあいつはなんで一人でボーリング場にいたんだろう? とか。


 ラストにはこれである。

 っていうか、七海にカフェでのお金全額払って貰っちゃったけど、七海自身に俺の分の飲み物代渡せば良かったじゃん……。


 いや、あいつの飲み物代もあいつに渡せば奢れたじゃん、とか思ってしまう俺であった。

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二作目連載作品

『いじめられていた私がJKデビューをしたら同じクラスの男の子から告白された件。でも、ごめんね。』

https://kakuyomu.jp/works/16817330654542983839


↑こちらも是非ともよろしくお願いいたします。

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