日が沈んだばかりの洋館

松脂松明

無料屋敷

 これは神秘が広まる少し前。異能者達が未だ、隠れた隣人だった頃の何ということも無い話。


 曲がりなりにも都市と言える街から、離れすぎず近すぎない場所にうらぶれた屋敷があった。西洋風というか教会風というべきか……外側からは左右対称の歴史ある建物である。

 物好きがとうに買っていてもおかしくはない外観だが、以前の住人がとんでもない変人であったということ。それに肝試しに入った者達が帰って来ないという噂話があるため、長く放置されていた。


 そこをどこか浮世離れした二人の男女が訪れた。

 片方はユキヒョウのように清潔感と暴力的な存在感で覆われた男であり、革の竹刀袋を背負った姿から剣道家のようだった。

 女の方はベレー帽を被り、ブカブカの服を着て野暮ったい眼鏡をかけている。図書館にでも引きこもっていそうな臆病さが加わって“形から入った画家志望女子”とでも言うべき姿だった。


 男は五手・大撲いつで・たいぼく。世の中がデジタルへの変遷に右往左往している年代に言うことではないが、とある拝み屋……退魔家の分家の生まれである。そして、彼もそれを生業としている。


 不可思議な存在は遥か昔から存在していたのだ。それに対応しようとした異能者の方が歴史の浅いとさえ言える。



「はー、でっけぇな。ちょっと手を入れる必要はあるが、雰囲気あるし。いいねぇ~」



 見た目とは裏腹にのんびりとした声を出す大撲だったが、それを聞いた女は眉を動かした。よほど親しく無ければ知らないが、大撲はおっとりしてる時の方がおっかない性格をしている。

 つまりは屋敷に対して敵意を向けていることになる。



大兄さんだいにいさん。この家、その家賃はもしかして……」

「うん。無料」



 世の中、ただより高いものはないという。

 通常なら人間関係なども密接に絡んだ言葉だが、この場合は少々意味合いが異なる。単純にこの屋敷は住めないのだった。



「近所の子供が入って行方不明が5件。近隣で殺人事件が3。あと……」

「ああぁぁぁ~~もう良いですぅ……完全なる事故物件じゃないですかぁ。人の心を掴んで離さないミステリースポットじゃないですかぁ……」

「大丈夫だ。紙折……良いことを教えてやろう。幽霊は殴れば死ぬ」

「それは大兄さんだけですぅ……」



 女の方は五祭・紙折ごさい・しおりという。見た目通りにちまちまと執筆して口を糊する仕事をしている。そして大撲はその助手というのが建前だ。

 大っぴらに退魔師です。ゴーストバスターズです。などと名乗れるわけもないので、大撲としては情けなくもその肩書を重宝している。


 二人は遠縁にあたり、ともに人々が実在を疑うような案件を処理することができる。そうした一族に生まれたのだ。

 ところが、長じてみれば一族で継承されてきた技術は、世の中に出ると大して役に立たなかった。


 勿論、妖怪だの幽霊だのモンスターだかが実在している以上、需要は生じる。しかし、それで財を築けるのは名家に限られる。依頼する側とて、信頼度が高い大きな組織に頼るのは当然だろう。

 分家筋の二人はそのおこぼれをあずかって生きるしか無かったが、二人で力を合わせれば普通程度の生活基盤を維持できることに気付いて今に至る。


 紙折も大撲がここを住処としようとした理由は分かる。家賃が無料となれば、経済状態は一気に改善されるだろう。衣食住というが、その三要素のうち一つへの心配が消えることの何と偉大なことか。

 遠慮なく進む大撲におっかなびっくり着いていくのもそれが理由だ。


 しかし……一定の距離まで近づいた時、ざらっとした感覚が脳に走る。そして目の前の屋敷が一瞬、暗くも綺麗な状態に見えた。



「こ、これって……」

「あー中に術師か魂かいるなぁ。屋敷の記憶再生か」



 世にも有名な名家の屋敷と異なり、建造物は通常では生命を持たない。まぁ当たり前の話ではある。建材も切り刻まれては文句を言う口もない。

 だが、当たり前があるなら例外もあるのだ。内側から建造物に影響を与えるほどの妄念を持つ存在がいる場合がこれにあたる。

 後はそもそも建造物にそうした呪いをかけておくかだが、経験で大撲も紙折もそうでは無いと読み取れた。ただざらついた映像を見せるだけの術などかける意味もない。



「屋敷を作った簀巻・陶四郎すまき・とうしろうという人物は、随分な変人だったらしい。こうした妖怪騒ぎを起こす以前……まぁ生前なんだが、その時から周囲と軋轢を起こしていた。奇妙なガラクタ集めもその一つ。羨ましいことに金持ちだったんだな」

「つまりぃ……オカルト趣味だったんですね……」

「だな。素人が手を出したが、半端に才能があったケースだ。野良から術師になっても、金にもならんのになぁ……いや、もともと持ってたんだったな」



 確認しながら歩調を緩めない大撲のせいで、気付けば扉までたどり着いていた。迷いなく中に入ろうとした時、彼は気付いた。鍵を預かって来たのに、鍵がかかっていなかった。

 しかし、それを言えば紙折が更に及び腰になるだろうと考えて中にそのまま侵入した。中は闇で覆われていた。


 電気は通っている。電灯のスイッチを探しあてるまで時間はかかったが、内装を拝むことができた。



「わぁ……ホコリだらけですけど、凄いお屋敷ですねぇ!」

「うん。まぁ、そうな」



 玄関を抜けてすぐに螺旋階段があり、その取っ手の端には蛇が付いている。ウロボロスのように蛇を円環として見なすシンボルだ。どうやら屋敷を作ったときからオカルトに傾倒していたようだ。


 階段近くの台に紙が置かれていた。


 ――俺を認めない世間が悪い


 よほど頭にきていたのか、書道の大筆書きのようになっている。よく見れば日記の破れたページだった。何を思ったか、大撲はそれを拾い集めながら階段を登る。

 そして二階へと足を踏み入れた。間取り図ではこの階に居室や書斎がある。廊下の端にある扉が書斎であり、大撲は真っ先にそこへ向かい、紙折は慌てて付いていった。


 足を踏み入れた書斎はホコリも積もっておらず、年月を経たとは思えない。それを確認するなり大撲は裏拳を扉の死角に打ち込んだ。



「なんだ。人形か」

「いやいやいや、まだ手足がピクピク動いてますぅ! 明らかにただの人形じゃないですよぉ!」



 大撲はまだ起き上がろうとしている人形を、鉄槌の威力をもった踏みつけで粉砕した。些か哀れだが、今度こそマネキンのような人形は動かなくなった。



「予想してたより技術持ってんな。こいつが書斎を管理していたんだろうが……こうなると家探ししなくちゃならんな。紙折はここにいろ。人形はこいつだけみたいだから」

「えぇ!? 一人は心細いと言いますか、でも大兄さんに着いていく方が怖いと言うか……」

「絵を描いてろ。そうすりゃ安心するだろ」



 無情にも平然と大撲は書斎から出ていった。


/


 大撲は一応は二階の部屋を調べて回ったが、特にめぼしいものは無かった。人形も配置されていない。陶四郎なる人物は自身で屋敷を設計したそうだが、二階にある部屋は彼の偉業に理解を示してくれる客のためのものらしかった。



「まぁ誰も泊まらなかったんだろうな」



 震脚を放って反響で人形や異形がいないことを再度確認すると、大撲は一階へと戻った。ここには何かが潜み、それを解決すれば家賃を払わずに住めるのだ。

 事故物件に誰かを住ませて前歴をつければ、後は明示しなくていいというアレである。


 その利益のためには勿論だが、いかな大撲といえど怪物と同居するのはゴメンだった。全て排除するべきという決意は切実なものだ。



「……地下か」



 滑らかな木でできた床を歩き、感覚を頼りに見当をつける。

 もっとも視覚でも一階が綺麗に見えるところから、大撲は黒幕の位置を予想している。そして、だからこそ気を引き締める。


 術師同士の争いでは一定の規律とパターンがある。だが、素人にはそんな雅な習慣は無い。書斎にいたのは人形だったのも気まぐれかも知れないのだ。

 時折、予想を上回るのは得てして力を持った凡人だということを、大撲は知っていた。


 瞬間、背後から斬撃が振るわれた。それを大撲はしゃがむという最低限の動きでかわして殴り返す。感触は固くなりすぎたゼラチンのようだった。



「わきまえていれば怖くは無い。というかフレッシュゴーレムか……医者にでもなった方が良かったんじゃないかな」



 敵は黒い肉をした無貌の人型。それらが綺麗なスーツを着込み、手をナイフのように尖らせていた。そして同じような顔がぞろぞろと現れた。

 大撲は自分の着ている服よりも高そうな衣装に、微妙な気分になった。



「何だって良いが……後でお前らの持ち物もいただくよ」



 大撲は背からゴキゴキと、骨をほぐすようにして余裕を見せつけた。隙を見せない専門家相手に素人の手慰みなど通用しないのだ。


/


 ――俺の人形は最高の代物だ。


 ――あの野郎! 芸術を理解しない変人共が!


 ――これが世紀の発見だと分からないのか!



「何というか……間の悪いやつだったんだな」



 日記の切れ端はそこかしこに落ちていた。その全てが恨み言の塊だった。

 確かに独学にしてはかなりいい線を行っていただろう。しかし、その努力が報われることは無い。術や呪いの類は権力者と、その筋の名家が独占している。

 そして彼の作ったものは、訳知りさんにすれば型落ち品である。認められるはずがない。



「世の中、無情だな。努力は不憫でも、所業は許せない。俺も一つの無情だ」


 

 人型の異形共と紙の後を見れば、地下への道はすぐに分かった。

 むしろ、陶四郎という人物を想像してみれば隠れているというよりは来てほしいという願望が根底にあるのだろう。思えば哀れな人物ではあるが、大撲は容赦なく打ち倒すつもりでいる。


 奥間へとたどり着けば、これ見よがしに床にぽっかりと穴を開けている。中には階段があり、より深遠へと誘っているようだった。

 腐臭を通り越した甘い臭いが漂い、埃っぽさと交わって不快な気分を呼ぶ。



「やぁ、ようこそ! 我が館へ! 私のもてなしはどうだったかな? 君の辿ってきた道は私の探求の道でもあったのだよ」

「もてなしというのなら、飯が良かったな。もっともその顔じゃあ食う必要は無いか」



 降りきった地下室には最早拷問器具にしか見えない、何かのサビが着いた器具と移動寝台があった。ここで行われた所業は全て行方不明者へと行われたのだろう。

 誰かを示す痕跡は無く、大撲にはそれはかえって被害者の家族に良いような気がしていた。


 ……簀巻・陶四郎すまき・とうしろうは既に人間では無くなっていた。配下の者達と違いを表すためか、金属めいた人形にその魂を委ねていた。

 なるほど、これなら普通の人間にはおいそれと倒せる者ではない。もっとも、大撲は普通では無いのだが……



「さっきの質問への答えだが、生涯をかけた点にだけ敬意を払って答えよう。見るに耐えなかった。本物の退魔百家の作る代物に比べれば玩具に等しい。そして、人の道を外れたアンタは俺によって処分される。以上だ」

「……何だと? デタラメを言うな! これらを作れるのはこの世に私だけだ!」



 大撲の戦意よりも、そちらの方が衝撃だったらしい。ひたすらに陶四郎は天を仰ぎ、何事かを喚いていた。それを前にして大撲は初めて竹刀袋から得物を取り出した。それは本当に普通の竹刀だった。



「世に不思議があることこそ、何の不思議も無い。探求の徒を気取っていたようだが、私の地味な術で散ってくれ」



 その言葉で我に返ったのか、陶四郎は大撲へと向き直る。金属でできた自分を前に、何ができるというのか? そう思っているのだろう。

 それが陶四郎の世界だ。しかし、最後まで陶四郎の世界観は壊され続ける。


 竹刀が振るわれる。それを避けようともしなかった陶四郎は、まるでトラックに弾き飛ばされたように吹き飛んだ。

 次いでの二の太刀。今度は流石に避けようとしたが、再び弾き飛ばされた。


 矢継ぎ早の理不尽に陶四郎はついていけない。そもそも戦闘向きの体に魂を移植しても、彼は戦闘者でもなんでも無いのだ。



「無形の打。俺の術はいわゆる攻撃力をリソースとして、それが許す限り威力と範囲に割り振ることができる。竹刀は単なるかく乱目的と目印だ」



 肉体的には圧倒的なはずの陶四郎は今やサンドバッグと化していた。素人である以上、どうしても竹刀に目を向けてしまうが、避けたと思ったら実は命中していたという事態が連続する。独学研究者で技術屋である陶四郎にとって理不尽の嵐である。



「ハ、ハハ……全ては無意味か。だが! 君の連れ合いも道連れになると知って、同じ気分を味わうが良い!」

「あぁ~紙折のことか。心配なんかしてないよ。大方仙術か何かで精神を切り離して襲わせるんだろうけど……」

「なに?」

「だって、あの子……俺より強いし」



/


 宙に浮く家具。笑い楽しむ男の声。

 狭い書斎の中で紙折は泣き言を発していた。実際に泣いているので、まさに泣き言だった。



「ひぃえええ! だから嫌って言ったんですよぅ!」

『クハハハ! キサマの相方はお前ならどうにかできると信じていたようだが、何のことは無い! 単なる強がりだったようだな!』



 陶四郎の精神体は本体が間もなく破壊される状況のためか、自暴自棄になっていた。本来は対象に取り付いてことを起こすが、死に際にあるためかポルターガイスト現象を体得。それによって直接的に紙折を害し、その死体を見せつけることができる事態に興奮していた。



「うぅうううう~。絵を描いておけって言ったのコレですか! 分かっていましたよぅ!」

『終わりだ!』

「うわ~ん! 急いでやっちゃって急々如律令!」



 今まさに紙折に降り注ごうとしていた重い家具が動きを止める。そして、元の位置へと戻っていく様子を陶四郎の精神体は驚愕の目で見るしか無い。



『なんだ、これは……! ああっ……!?』



 家具どころか陶四郎の存在も消えそうになっていく、それは大撲が本体を殺したからでは無い。陶四郎が精神体でこの部屋にいたのが、そもそもの間違いだ。

 だから、大撲はあっさりと紙折を一人にしたのだ。そして、紙折はこの部屋を俯瞰してみたスケッチを描き起こしていた。


 紙折の術は非常に強力なものだ。直前に描いた絵の状態へと、場を操作する描写術。

 絵が新鮮でなければならない以上、事前準備が必要なため相方の存在が必須という厳しい制約の上に成り立っているが……一度発動すれば、物体はそのとおりに動く。そして、そこに存在するが描かれていない霊体は強制的に排除される。

 大撲が自分よりも強いといったのも間違いではない。護衛がいるか、気付かれていないなら紙折は物事を自在に操れるに等しい。

 皮肉にもその制約のために、分家でも異端扱いされて放任されているのだが……



『こんな、こんな、アハハハっ! アハハハァ~~!』



 哄笑と共に消える陶四郎。彼はどんな気分で世を去ったのか。自分が目指した場所が当たり前にあったという絶望かどうか……同刻、地下でも大撲によって人形は破壊された。


 血塗られた洋館はただの建造物へと戻ったのだ。


/


 夜中……かつての設計者の怨念が排除された屋敷は設計者の理念を裏切って、ただの屋敷へと戻った。明日からは地下室の片付けなどしなければならないだろうが、それは後回し。


 月に見守られながらテラスで大撲は、それまで自制していたタバコに火を点けた。住が手に入ったことで遠慮する必要はなくなったのだ。

 これからは少しだけ余裕のある生活を送れるだろう。老後のための貯蓄とやらもできるかも知れない。



「全く、何だって術師になりたがるかね。世の中は皆で楽にしていくものだろうに。仮にオカルトが認められても、上下関係はそのまま続く」



 隣の芝は青くない。紙折が絵を描く音が聞こえる。幸せなどこれぐらいでいいだろう。


 幾年後……この悟ったような発言が間違っていたことを、大撲も思い知ることになる。

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日が沈んだばかりの洋館 松脂松明 @matsuyani

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