ひとけのない廊下

「えっと……珍しいな。どうしたんだよ?」


 教室で綾城が俺に話しかけてくる、それが如何に珍しいことなのかは教室の空気が物語っている。一点に集まる視線が俺へと突き刺さっていた。


「うん、ちょっと話したいことがあって。ここだと話しにくいから別の場所でいいかな?」


 ここじゃ駄目な話?俺なんかしたっけ?

 心当たりはない。ただ綾城に言われただけで色々と考えてしまう。

 断る理由もないので綾城に連れられて場所を移動する。移動中も視線は追いかけてくる。別に悪いことはしていないのだが、心地よくはなかった。


「で、話ってのはなんだ?」


 ひとけのない廊下に着くや否や俺の方から聞いてみた。


「さっきの見てたんだけど……あんまり良くないと思うな」


「さっきのって?」


 というか見てたのか?


「ほら、柴里さんとの」


「……ああ、そういうことか」


 アンナに関係することと言われてぴんと来たのはノートの貸し借りのことだ。真面目な綾城にとっては良く思わないのかもしれない。


「確かに甘やかしすぎたかもな。次から気を付けるよ」


「それだけじゃないでしょ?」


「え?」


「柴里さんとの距離……ちょっと近過ぎだよ」


 言葉の理解が追い付かなかった。正確には言葉の意味は理解できても、綾城が言っているという現象に混乱していた。


「前から思ってたんだけどね……教室であんなにベタベタされたらいい気分しないよ」


「そんなつもりなかったんだけどな。てかそれってあんまり良くないの?もしかしてうるさかった?」


「そうじゃなくて、ていうかそんなの考えたらわかるでしょ!私だってあんまり言いたくないんだけど……でもやっぱり嫌だもん……たまに愛してるとか……聞こえてくるし……」


「ん?どうした?」


「とにかく!私が駄目って言ったら駄目なんだから!わかった?」


 教師からの信頼も厚い綾城にとって学校の風紀も気にかける対象なのかもしれない。俺には自覚なかったがもしかすると周りの目からはイチャイチャしているようにも見えた可能性もある。そう考えると確かにあまり良い印象ではない。みんなの反感を買う前に綾城が注意してくれたと思うと、これも一つの優しさだろう。最も他の人が俺たちのことを気にするとは思えないが。


「わかったわかった。気を付けるよ。綾城も大変だな、色々と気にして」


 その瞬間何故か綾城の頬がむっと膨らんだ。


「その『綾城』っていうのやめてほしいなー…。そろそろ私たちも下の名前で呼び合いたいんだけど」


 その時、教室で綾城に声をかけられた時のことを思い出した。


「そういや綾城って俺のこと下の名前で呼んでたっけ?」


 あまりに自然に呼ばれたものだから聞き流してしまっていたが、綾城は俺のことを『コウタ君』ではなく『伊坂君』と呼んでいたはずだ。


「嫌だった?……私たちの仲で苗字で呼ぶのも距離を感じるから……できればコウタ君も下の名前で呼んでほしいな」


「嫌じゃないし、俺が呼ばれる分には別にいいんだけど……」


 呼び方にこだわりなんてないし、親密度でいえば下の名前で呼び合ってもおかしくない。だが綾城の雰囲気からして下の名前を呼ぶのは抵抗感がある。現に綾城を下の名前で呼ぶ人はほとんどいない。仲が悪いわけではなくて、綾城の醸し出す空気がそうさせているのだろう。勝手だが恐れ多い、そんな感覚だ。中には馴れ馴れしく下の名前で絡んでくる男子もいるが、そんな輩は大抵不躾なので相手にされていない。


「俺は『綾城』の方が呼びやすいから今のままでいいよ」


「……柴里さんは下の名前なのに?」


「いや、それは……」


 アンナや他の人は関係ないが、引き合いに出されると困ってしまう。年数だけでいえばアンナより綾城の方が付き合いが長い。呼称=親密度ではないが、アンナだけを下の名前で呼ぶのは多少不快に感じているのかもしれない。


「わかったよ。いずれどっかのタイミングでな」


「次から、絶対ね」


 半ば強制的に決定し、綾城との話は終わった。

 思い返してみれば昨日からどこか噛み合っていない気がしている。自分の中で結論付ければある程度は納得できるが、どこか腑に落ちない。

 もし、俺と綾城の関係が”友達”ではなくもっと”別の関係”であったのならば、そのズレは一切無くなり、納得は容易い。だがそれは有り得ない。そんな事実はないし、心当たりも全くない。

 俺の頭に微かな可能性が過ったが、早々にその考えを頭の中から捨て去った。

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