第9話
あまりにむごい光景を見てしまって僕はしばらくの間呆然としていた。窮地を救って貰ったのに、僕はリリに怯えてしまった。そのことで僕は申し訳ない気持ちになった。あの大量虐殺がなければ僕は今頃死んでいたのだ。僕はリリに感謝しなければいけない。樹人に助けてもらってばかりで自分が情けなく思えた。
「大丈夫か、ナギ」
「うん、ありがとう」
震える手を必死に抑えながら僕は言った。
「このままサファーマに行くわけにはいかなくなってしまったな。私の動向が人間にばれている。花人が人間に利用されているのか、もしくは花人自ら人間に協力しているのか。なにやらきな臭くなってきた」
「どこに向かうの?」
「その前にナギ、お前の意志を確認したい。私の居場所が割れている以上、ここから先の旅路は苦難に満ちたものになるだろう。命すら失うかもしれない。それでもお前はニアを目覚めさせるために進むか?」
帰りたかった。樹人の森ではなくて、もといた世界の自分の家に。それが叶わないことが分かっているから、僕はここまで来たんだ。
今から森に戻って、そこに僕の居場所はあるのだろうか。樹人は僕のことを受け入れてくれるかもしれない。でも、僕はそこでずっと負い目を感じながら苦しむだろう。僕のせいで100年もの間眠ることになってしまったニアに対して僕は死ぬまで謝りつづけるのだろう。そんな毎日を送るぐらいなら死んだほうが楽だ。
「行くよ。僕はもう一度ニアに感謝を伝えたい」
リリは僕の決意を称讃するようにこくりと頷いた。
「進路を変える。とにかく自然の流れるところに向かおう」
リリは舵を大きく右に回した。舵を持つ白い指先が茶色く変色しているのを見て、僕は思わず声を出す。壊死しているというよりは枯れていると言った方が正確かもしれない。
「リリ! どうしたの、その指」
「ああ、大丈夫だ。気にするな」
よく見ればリリの顔色も悪い。潮風が原因?
「あとは僕がなんとかするから。休んでて」
驚いたようにリリは僕を見る。まっすぐ結ばれた口元がわずかに綻んだ。リリは僕の頭を撫でて、「頼んだ」と言って船倉に歩いていった。リリは人の頭を撫でるのが好きなのだろうか。照れ臭いからやめて欲しいのだけど。
僕は腕を組んで迫りくる陸地を眺めていた。大口を叩いた手前、リリに助けを求めるわけにもいかずほとんど風の赴くままに船を進ませていたのだ。まずいことになった、と僕は思った。止め方が分からない。このままでは船は目の前の海岸を突っ切って木々をなぎ倒していくことだろう。僕は急いで船倉に行って、眠るリリを巻き込んで柱にしがみついた。
船が海岸に打ちあがると同時に上方向の強い衝撃が飛んできて、僕とリリは一瞬浮いた。それでリリはさすがに目覚めたようだ。全く状況が分からないようで僕になにやら言っているが、凄まじい衝撃音ではっきりと聞き取れない。すぐにばきばきと木々をなぎ倒していく音が聞こえ始めた。積まれた荷物が縦横無尽に船倉内を暴れまわるのと同じように僕の臓器も縦横無尽に暴れまわる。リリを離さないように目一杯力を入れて柱にしがみついた。
ようやく船が止まった。辺りは強盗でも入った後みたいに食料が散乱していた。船内は随分傾いていて、散乱した木の実が転がっている。
「痛い」とリリが言う。
「あ、ごめん」
離すとリリは柱を頼りに立ち上がってワンピースの埃をはらった。ワンピースにはまだ赤黒く血が滲んでいる。せっかくの綺麗な緑の髪も固まった血で台無しになってしまっていた。そんなワンピースと髪を隠すようにリリはコートを着た。
僕らはできるだけ食料を持って船尾の方から地面に飛び降りた。海岸は深くえぐられていて、木々は見るも無残な姿にへし折られている。船底の木材もところどころひび割れていて、これではもう航海することもできなそうだ。
怒られるのではないかとも思っていたが、リリはそんなことどうでもいいというように急いで林の中へと入っていった。かなり速いペースで林を歩くリリの後ろを見失わないように僕は付いていく。
常に平静を保っているリリが焦っているのだと気が付いて僕もなんだか落ち着かなくなってきた。標準的な高さの木々がお互いによそよそしい距離を保ちながら生えているために日の光が十分に林の中に入っていた。全てを包み込むように生えていた樹人の森とは全然違った。
随分長いこと歩いた。木々はいつの間にか距離を縮めており、空間がぎゅっと狭くなったように感じた。僕はようやく止まったリリの後ろで息を切らしながらその場にしゃがみこんだ。リリは安堵したように深くため息をついて、そこにへたり込んだ。
「リリ、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。やはり無理はよくないな」
樹人の森が持つ慈母の抱擁のような温かみはこの林にない。それでも十分身を落ち着かせることの出来る空間だった。土が柔らかく木々からは豊かな自然を感じる。風が吹く度に木々がざわざわ騒いだ。夕刻を報せていた太陽がゆっくり沈んでいき、辺りは徐々にほの暗くなっていった。
「眠ってもいいか?」
「うん」
リリが木の根元で横になると、すぐに静かな呼吸音が聞こえだした。それに呼応するかのように風は止み、辺りはしんと静まり返った。林はもう樹人の森のような安らかな沈黙に満ちていた。
日が落ちて暗くなると気温が下がって少し寒くなった。夜が訪れてから僕はリリのすぐそばに座って、しばらく何を考えるわけでもなくぼんやりとしていた。僕は寝てるリリの指先を見た。茶色く変色していたところはもうほとんど元の健康的な色に戻っていて、僕はほっとした。夜が明ければ完全に治るだろう。多分、リリは不利な環境にいながら樹人の力(?)を使いすぎたのだろう。初めてリリの弱気な一面を見れて、僕はなんだか不思議と安心した。こんなふうに感じるのは不謹慎かもしれないと思って僕はそれを心の奥にしまいこんだ。
これからどうなるんだろうか。僕はなんとなくポケットをまさぐってベリーを数粒取り出した。ベリーかどうかは確かではないが、紫色のこの小さい木の実はきっとベリーだろう。僕はさして躊躇もせずにそれを口に放り込んだ。そういえば今朝から全く食べ物を口にしていないことを思い出した。それなのに、僕はそれほど空腹ではなかった。どうやらあまりに色々と思い悩んだりしているせいで体の調子をおかしくしてしまったようだ。
夢の中で僕の意識はいやにはっきりしていた。はっきりしすぎていて、最初は現実かと錯覚してしまったほどだ。僕は左右も上下もよく分からない白い空間にいたかと思うと、次の瞬間には見慣れた帰り道で5人のゼロに心臓を刺された。またか、と僕は思った。僕は5本の刀に突き刺されてもこれが夢だと分かっていたから、全く痛みを感じなかった。そして、5人のゼロは息ぴったりに同時に名乗る。
「我が名はゼロ」
5人分の紹介を聞いて、僕はうんざりした。5人の口から蛇のように長い舌が這い出て、虫のうめき声のような笑い声が聞こえた。僕は試しに何かゼロに言おうとしてみたが、喉でつっかえて声が出てこない。ゼロからすれば僕はただ苦しそうにうめいているだけに聞こえただろう。
ふと自分を突き刺す刀を見た。その妖しく光る刃には僕が映っている、はずだった。そこに映っていたのは僕ではない。いや、正確には僕もいた。刃には僕含め5人の男女がかわるがわる映っていたのだ。
一人は僕と同じ年ぐらいの知らない女で僕と同じように驚いた顔をしていた。一人は中年の男性で整った髭を生やしていたが、不健康な顔色をしていた。一人は20代前半の美しい女で険しい表情を浮かべていた。そして、最後の一人は赤ん坊で性別が分からなかった。赤ん坊はひたすら泣いている。
僕は真夜中に目が覚めてしまった。まだ眠いはずなのに、僕の頭はとても冴えていた。さほど離れないところからなにやら人の気配を感じた。
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