ウソ偽りない姿で出勤 1

「雪ちゃーん!早くしないと遅刻ーっ!」


私は玄関で靴を履きながら洗面所にいる雪ちゃんに声を掛ける。


「ちょっと待って~!この…マスカラが……」


「そんなの良いから早くー!」


あと5分位で出ないと、完璧遅刻だ。


「……出来た!ごめんごめん!」


パタパタと、廊下を走って来る。


「も~!」


「そんな、怒んないでよ~」


雪ちゃんも慌てて靴を履く。


「怒るに決まってるでしょ!大丈夫って言ったのに、最初からやり直しなんかするから時間無くなるんじゃないっ!」


「そうなんだけどー。どうしても気に食わなかったんだもん」


雪ちゃんが、赤く色付いた唇を尖らせる。


「ほら、行くよ!」


そう言って玄関を開けた瞬間、モワッと熱気の塊みたいな風が私達の間を通り抜ける。


「今日も暑いわね~」


雪ちゃんの黒髪ロングストレートヘアーが、その熱気でなびいた。


気付いた人もいるだろうけど、雪ちゃんは退院以降、女性の格好で出社している。


「もうバレちゃったんだし、本当のアタシはこれだし」


と、吹っ切れた様に言っていた。


私は少し心配したけど、それも杞憂きゆうに終わった。


最初はみんなやっぱり驚いていたけど、雪ちゃんは気にしなかった。


それ以上に、理解してくれる人が沢山いたから。


上司達も雪ちゃんのこれまでの功績を評価してるから、見た目が変わっても何も言わない。


ある時、雪ちゃんがボソッと呟いた言葉が、私の耳にいつまでも残ってる。



『ハナの周りの人達も、こんな人ばっかりだったら良かったのにね……』



切ない声で呟く雪ちゃんの気持ちが痛い程分かって、雪ちゃんの代わりに私が泣いた。


そんな私を見て、雪ちゃんは笑っていたけど……。


「……な……えーなっ!」


「わっ……ビックリしたー。何?」


突然大声で呼び止められて、ビクッ!と体を震わす。


「どこまで行くのよ?会社、通り過ぎてるわよ」


雪ちゃんが指差す。


「え?……あ……」


回想なんかしていたせいで、大分と会社を通り越していた。


ただでさえ遅刻ギリギリなのに、何をやっているんだ、私は。


「ごめんごめん!」


私は急いで引き返す。


「暑さでおかしくなっちゃった?」


雪ちゃんがニヤニヤ笑う。


「違います!」


私達は警備員さんに「おはうございます」と挨拶をしながら会社のロビーに入った。

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