3:悪夢の世界 その2

「ふーっ……」


 サフィが深呼吸をして息を吐き出した。


「緊張してる?」

「ん? そうじゃなくて、なんか体が重く感じてたのがなくなったから」

「世界が何度も変わったから、体も馴れてないのかもね」

「そうかな。未緒は大丈夫?」

「はい。問題ありません」


 武道家らしく体の調子は完璧に把握できるようだ。


「とは言え、空気はあまり美味しくないのう」

「そうだね」


 ノアの言葉に僕はうなずいた。

 清々しい空気ではなく、錆びた鉄と腐った肉の臭いが混ざった空気だった。


「まるで妾と主様が出会った場所のようじゃのう」

「ノア様はどうやって主殿と出会ったのですか?」

「知りたいか? 妾と主様の運命的な邂逅を?」

「運命的……ですか?」

「そんなたいそうなもんじゃないよ。遺跡に落ちたらそこにノアが封印されてただけじゃないか」

「その偶然こそが運命であろう? のう? そう思わぬか?」

「そうであれば、私に出会ったのも運命ですね」

「うむ……。まあ、妾の主様じゃからな。運命的な繋がりも多かろう」

「ボクみたいなね」


 サフィが口元に隠しきれない笑みを浮かべながら言うと、全員押し黙ってしまった。まあ、確かに偶然が重なったことが運命というなら、サフィと僕ほど相応しい関係はないかも。

 しかし、ここに空気などまったく関係ないヤツがいた。


「あるじー、ワシもー」

「アルジェもそうだもんな」


 僕の足にすり寄ってくる豆柴フェンリルの頭をくしゃくしゃにしてやると、全員顔を見合わせて仕方ないと言うように笑った。

 真っ先に真顔に戻ったのは未緒だった。


「主殿、ここがどこかおわかりですか?」

「多分、武南さんが倒されたところの近くだと思うけど……」


 そう答えて周囲を見る。

 戦場だ。

 正確には数時間前まで戦場だったところ。人間や魔物の死体が転がっている。見事に四肢や首が繋がった死体がない。すべてどこかが斬られ、引きちぎられている。


「うぐっ……」


 記憶が蘇って、胃からこみ上げてくる酸っぱいものをこらえる。


「レオ……」


 心配してくれたサフィに大丈夫と手を振る。僕はかつてここにいた僕じゃない。そう自らに言い聞かせる。


「問題は召喚された勇者がまだ生きてるかどうかですか」


 未緒は言いにくいことをズバッと口に出した。


「そうじゃな。主様も粉砕されたのじゃから当然じゃろ」

「周辺の死体を確認する?」


 ああ、僕もシビアだと思ってたけど、全員さらに現実的だわ。生き死にが日常の世界で生きてきただけのことはある。


「勇者が死んでいたとすると、任務はどうなるんだい?」

「普通に考えれば帰還するしかないんだけど……」

「証拠が必要ですね」

「そういうこと」

「なるほど。腕の一本でも持って帰らねばならんというわけじゃな」

「生臭いことを……」

「でも、誰の腕かなんてわからないよね?」


 悪戯っぽく言うサフィ。


「もし、勇者の身元が判明したら、DNA検査でバレるよ」

「でぃーえぬえー?」

「えーっと、腕の持ち主を特定する方法があるってこと」

「魔法じゃなくて?」

「魔法はないけど、別の方法があるからね」

「ふうん、イタルの世界も凄いんだね」


 サフィの口調は意外そうだ。魔法や魔術がない世界と聞いていたので、そんな方法があるとは思わなかったんだろう。


「つまり、勇者を探す必要があるということじゃな。少し待つがよい」


 ノアはそう言うと、周囲をぐるりと見回した。


「よし、こいつにしよう」


 姿を消したノアは、少し離れた所に転がっていた人間の兵士の側に現れると、腕を引っ張って体を持ち上げた。が、兵士の胴体はヘソの辺りでぶち切れて内臓がずるりと落ちる。


「ひどい有り様だな」

「重要なのは頭と、身分じゃからな。よし、問題なかろう」


 ノアは闇色の手を兵士の亡骸の額に当てる。と、死体がビクンと震え、目を見開いた。


「死の支配者たる妾に答えよ。勇者たる召喚者はいずこか?」

「あ……ううっ……」

「役に立たぬな、こいつは。しからば、こやつで……こっちでは……あやつか……」


 ノアは死体をとっかえひっかえして術を使ってなにかを聞き出そうとした。


「そうか。ご苦労じゃったな」


 ノアは5体目の死体を元のように寝かすと、両手をかざした。死体は一気に干からび、炎を上げて灰になってしまった。


「複数の死者の証言から、勇者はでかいオークにひっつかまれて城に連れられていったということのようじゃな」

「でかい……オーク……」

「まあ、主様を殺したヤツじゃろうな。どうするのじゃ?」

「生きている可能性があるなら助けにいかないとね」


 未緒は持ってきた日本刀を腰のベルトに差して僕にうなずく。


「主殿が決断したのでしたら従うまでです」

「僕は別に主人じゃないから問答無用で従わなくてもいいからね?」

「さっと行ってさっと帰ろ、レオ」


 全員が行く気になっているなら躊躇してるヒマなんかない。


「じゃあ、行こうか」


 僕は魔族の城がある方向へと歩き出した。

 ここから先は僕もまったく知らない世界だ。久しぶりに緊張を感じた。


「警戒だけはしておいて」

「わかっています、主殿」

「レオ、こっちは大丈夫だからさ」

「みてるー。なにもいないよー」


 未緒とサフィとアルジェが応じると、ノアが僕の影から顔だけ出して自信満々で言い放つ。


(まあ、妾の網に捕らえられぬ者などおらぬじゃろうがな)


 ノアが言い終えるかどうかというタイミングで、目の前の景色がまるで歪んだレンズを通して見たように変形した。

 めまいが起きそうになったけど、何が起きているのかわかった。転移魔法だ。


「何か来る! 気をつけて!」


 背後の未緒もサフィに警告したけど、すでに得物を持って構えている。

 歪んだ背景を紙のように破って次元の穴から現れたのは、見上げんばかりの巨体。小型の肉食恐竜をもっと人間的にデザインし直したような姿をしている。深い緑色をしたウロコが全身を覆い、手足には鋭い爪が伸びている。

 それだけでなく、腰布にベルト、肩ベルトをして抜き身の長剣を構えている。

 その姿を見た途端、僕の心臓が派手な音を立てて跳ね上がった。

 忘れるわけがない。僕を殺した中ボスだった。

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