2:考え違いしてました その1

「椚木先生?」


 昼休みが終わる前、職員室を尋ねると、桜子先生は食事が終わったばかりのようで持参したレトロな弁当箱に蓋をするところだった。

 声をかけると、何かしらと微笑む。相変わらず癒し系の笑顔だ。


「あのことでお聞きしたいんですが……」

「じゃあ、進路指導室に行きましょうか」


 すぐに用件に気づいて、場所を変えるように手配してくれる。察しがよくて付き合いやすい人だ。おまけに部屋に入るとすぐに遮断の魔術を使った。これで声が外に漏れることはなくなった。なにをしても気づかれない部屋に美女とふたりきりというシチュエーションはかなりマズいけど、桜子先生も《ディヴィジョン》にいるからには元勇者なわけで、対策が何もないわけはない。


「なにかあったの?」

「ええ、まあ、大したことじゃないんですけど」と前置きして、須木山響についてトレーニングのことは言わずに尋ねてみる。


「ああ、彼ね。そっか、君が救出した子だったわね。だから気になる?」

「ええ、まあ」

「熱心にやってるみたいよ。任務に行けるのももうすぐじゃないかな」

「へえ。有望株ですね」

「葛見君の負担が減るといいわね」

「いや、僕は仕事があった方がいいんで」

「無茶してない?」

「大丈夫ですって」


 僕が笑うと、桜子先生は首を傾げる。なにかおかしな受け答えでもあったかと思ったけど、そうじゃないようだった。


「葛見君って時々不思議ね」

「どこがです?」

「なんだか同世代の人と話してるような気がするくらい落ち着いてるわ」

「それは老けてるってことですか?」

「ちょっと違うかな。かなり経験してるみたいな感じ」

「セクハラですか?」

「違うわよ! そういう意味じゃなくて……まさにそれよね」

「え?」

「訊かれたくないことを冗談でかわして話題を変えようって老獪さ? ホントは中身はアラサーなんじゃない?」

「戸籍は本物ですよ」

「でも、戸籍くらい《ディヴィジョン》ならいじれるでしょう?」

「じゃあ、何を言っても証明できないですね」

「そうね。困ったわ」

「先生はどうして僕を気にかけてくれるんですか?」

「そうねえ。親鳥は初めて見た雛を子供と思うってことかな」

「それ、普通逆じゃないですか?」

「私、子供いないからね」


 どこかズレたことを言うと、桜子先生は僕の頭をポンと叩いた。こういうボディランゲージはしばらく経験していないので嬉しいやら恥ずかしいやらで、つい思春期のような反応をしてしまう。


「子供じゃないですから」

「葛見君ならいつでも歓迎よ。またお話ししましょ」


 頭をなでる手を押しのける僕に、桜子先生は微笑んだ。

 くそう、大人の余裕かよ。


    * * *


 至が出ていくと、桜子はため息をついてドアにもたれかかった。

 頭をなでた手を見て、もう一度吐息を着く。今度は安堵というよりもう少し熱い。


「どうしたのかしら……これじゃ本当に私……」


 桜子が教師としてではなく、この仕事で初めて至に会ったのは、任務先のイオタ73だった。今まさに召喚されたばかりの勇者として学生服を着た至がいた。

 担任として受け持っていたクラスの生徒だっただけに驚いたが、至はすぐに思い出せないようだった。それなりに顔は知られていると言う自負があったので少しショックだったが、それよりも至の様子が記憶と違ったのが気になった。桜子を見て、まるで子供の頃に会った相手の顔を思い出そうとしているような表情をしたのだ。

 生徒としての至はとにかく目立たなかった。いじめられているという噂はあったが、本人が何も言わず、目撃されないことから放置されていた。

 その彼が召喚されたことに驚いたが、目の前の彼は召喚されたことにまったく動揺しておらず、召喚者を動けなくして逃げようとしているところだった。まるで、そこにいたらマズいと言うことがわかっているように。

 だから桜子はとっさに声をかけた。


「帰りましょう、葛見君」


 そう呼びかけたことで、ようやく思い出してくれたようだ。

 間違いなく、この前に他の世界に行っていたのだろう。時間の流れは異なっている。そのために複数の異世界を渡っても元の世界では時間がたっていないと言うことはよくある。至もそうに違いない。恐らく、性格さえ変えてしまうほどの経験をしたのだろう。

 無事帰還した後、ふたりきりで話をし、オメガ01と言われる終末世界から帰還した直後にまた召喚されたということを聞きだした。しかし、それをそのまま報告書に記したおかげで問題が浮上する。証明できない新規の異世界。しかも、オメガの存在は前々から可能性が議論されていた。終末が存在すると言うことは、この世界アルファゼロの未来にも関わるかもしれない。

 おかげで至を公然と虚言癖のあるヤツと言い捨てる者。無視する者。これではいじめられていた昔と同じではないか。

 だから、桜子は負い目を感じていた。考えなしに報告したせいで生み出した結果に、至を何としてでも守ろうと。

 が、至は泰然自若として自らに与えられた任務をこなした。その実力を見れば嘘ではないと思いそうなものだが、なかなかその評価は覆らない。簡単な任務だけをこなしているのだろうと思われていた。異世界に行っていた間のことは第三者には確認できないからだ。

 そんな至を見守っているうちに、桜子は自分の気持ちが変化しているのに気づいてしまった。

 守ってあげたいではなく、一緒にいたいと。

 触れたい。

 さっきもそう思って、つい伸ばしてしまった手。とっさにスキンシップをとったように軽く叩くような動作に切り替えたものの、実際にはドキドキしっぱなしだった。


「これじゃ思春期の女の子みたいじゃない……」


 遠ざかっていく至の足音を聞きながら、桜子はもう一度深く長くため息をこぼした。

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