長年の恋人に突然別れを持ち出された件

久野真一

「先輩、私たち、別れません?」

和彦かずひこ先輩、私たち、別れません?」


 隣を歩く、若松雪菜わかまつゆきなが衝撃的な言葉を発した。

 彼女との恋人としての付き合いは高二にまで遡る。

 ずっと前から、小学校の頃から俺は彼女が気になっていた。

 その想いを告げたのが高二の時の事。

 それ以来、カップルとして順風満帆に過ごして来た。

 大学だって、同じ文学部だし、サークルだって、文芸部と同じだ。

 二人っきりになった時の甘えっぷりにはたまらないものがある。

 それに、色々な意味で尽くしてくれるのもとても嬉しい。

 

 容姿だって十人居れば九人は見惚れるような、可愛い顔立ちをしている。

 何事にも興味津々で、好奇心旺盛な彼女とはいつになっても飽きる気がしない。


 のが、別れる……だと?


「な、なあ。雪菜。冗談、だよな?」


 だって、雪菜は今だって、笑顔じゃないか。

 さすがに、別れ話をこんなニッコリ笑顔で切り出されると思いたくない。


「いいえ。本気です。私は、先輩と別れてみたいんです」


 笑顔のまま、死刑宣告が告げられた。


「なあ、なんでなんだ?俺が何か気に障ることをしたか?なら、謝るからさ」


 気が動転しているのを自分でも感じる。

 でも、なんとか引き止めて、雪菜の言葉を撤回してもらいたい。

 必死だった。


「いえ、先輩はいつも優しくしてくれてます。ベッドの上でも……」


 と、何やら赤くなっている雪菜。

 ん?何かおかしいな。


「じゃ、じゃあさ。俺に落ち度はないけど、他に好きな人が出来たとか?」


 俺に落ち度がないなら、それしか考えられない。


「そんなわけないです!私は、昔の昔から、先輩一筋です!信じてくださいよ!」

「お、おう。それは、ありがと、な」


 雪菜との付き合いは、小学校の頃まで遡る。

 こいつの家庭環境というのが、それはもう変わったもので。

 子ども心に両親のやり取りが理解出来なかった雪菜。

 そんな彼女の悩み相談によく乗ったものだ。

 人見知りだった雪菜だが、それをきっかけに俺になつくようになった。

 それから、中学・高校と過ごして、いつしかお互いに好きになっていた。


 しかし、俺一筋なのに、別れたい?意味がわからない。


「なあ、俺にとって、理解不能なんだけど。好きなのに別れたいのか?」

「はい。好きだから、別れてみたいんです!」


 笑顔で断言することじゃないだろう。


「なあ、お願いだから、俺にわかるように、説明してくれ。頼む」

「しょうがないですね。意地悪はこのくらいにしておきます」

「意地悪って……ひょっとして、いつもの悪戯か」


 この後輩は、時折、妙な悪戯を仕掛けてくることがあった。

 にしても、今回のはドッキリにしても性質が悪過ぎだろ。


「悪戯というか……ええと、ある意味本気、なんですけど」

「で、どういう意味で本気なんだ?」

「ええとですね。うちの両親が結婚と離婚を繰り返してるのは知ってますよね」

「ああ。もう離婚は10回くらいだったっけ」

「確か、私が生まれる前にもやってたそうなので、それ以上ですね」


 そう。本当に余人には理解不能なのだが。

 こいつの両親はカジュアルに離婚と再婚を繰り返している。

 おかげで、すっかり離婚に重みがなくなって、今では「またか」と思うだけ。


「で、おまえんとこの両親の離婚プレイがなんか関係あるのか?」

「実はですね。母に聞いてみたんですよ。なんで、こんなことするのって?」

「まあ、普通は疑問に思うよなで?」

「それで、「離婚して、再婚した後は、いつもより燃えるのよ」と……」


 どこか言いづらそうに、ぼそぼそと言う雪菜。


「なんか、話が見えてきた気がするぞ。つまり、俺と別れるというのは」

「一日だけ、別れてみません?もっと先輩を好きになれそうな気がするんです」


 雪菜が告白したのは、どうしようもない……というか呆れるしかない提案だ。


「つまり、両親に影響を受けて、関係解消プレイをしてみたい、と」

「プレイじゃないです!ちゃんと、一日だけですが、関係解消するんです!」

「俺には違いがわからん。具体的には?」

「まず、今日から明日までは、一切口を利きません」

「……まあ、わからんでもない。他には?」

「ラインも禁止です。あ、もちろん、通話もですからね?」

「まあ、仮にとはいえ関係解消して、仲良くしてたら、妙だな」

「はい。あとは……お互いの家に遊びに行くのもナシです」

「そりゃ、会話しないのに、家訪れてたら変だろうな」


 にしても、こいつも、妙なことを思いつくもんだ。


「雪菜が言いたいことはわかった。一日限定なら、いいぞ」


 失って初めてわかるありがたみというやつがある。

 雪菜はそれを疑似体験してみたいんだろう。


「ありがとう、ございます。妙な思いつきですいません。色々」

「自覚してるならいいさ」


 申し訳無さそうな表情をしている雪菜を見て、俺はほっとしていた。

 最初、何を言い出すのだと思ったけど、結局、彼女は彼女なのだ。


「じゃあ、明日の朝まで。関係解消です」

「ほいほい」

「そこはもっと重苦しく!」


 わけのわからないこだわりだけど、これも彼氏の務めか。


「なあ、雪菜。なんとか考え直してもらえないか?」

「ダメ……です。私は、もう、先輩と一緒に、居られません」

「もしかして、他に好きなやつでも出来たのか?」

「すいません。私は……先輩一筋だったと思っていたんですけど」


 なんか、声色が本気で申し訳無さそうだ。

 なんか、演技とはいえ、寝取られたみたいで、色々微妙な気持ちに。


「そうか。まあ、そいつとお幸せに、な」

「はい。先輩なら、きっと、私よりいい人が見つかります、から」


 おいおい。なんか、本気で涙流してるぞ。

 演技している内に、役になりきっったか?

 こいつは、何かへの感情移入がひどく激しい。

 「別れる恋人」になりきったなら、感情まで引きずられても不思議じゃない。


「そっか。今まで楽しかったよ、雪菜」

「はい。私も楽しかったです。先輩」


 こうして、茶番にも程がある、関係解消ごっこが始まったのだった。

 まあ、明日になれば、いつも通りだから、我慢我慢。

 たかが、一日の「ごっこ」だ。そう思っていたのだけど-


「うがー。雪菜に会いたいー!」


 自宅で、俺は髪をかきむしっていた。

 考えてみれば、最近は半同棲といった有様だった。

 だから、家では一緒というのが当然の前提。

 何か、大事なものがぽっかり抜け落ちた気分だ。


「そうだ。雪菜と通話すれば……ってそれは駄目だったんだよな」


 楽勝、楽勝、と思っていたけど。意外にきつい。

 通話も出来ないし、ラインも出来ない。

 少なくとも、明日までは。


「しかし、雪菜の奴、大丈夫かな……」


 俺ですら、こんな有様だ。

 雪菜の奴はもっとひどいことになっているんじゃないだろうか。


◇◇◇◇


「ああ、なんで、あんな事言っちゃったんだろ。私」


 ベッドにうつ伏せになりながら、先程の出来事を思い返す。

 私のことながら、少しどうかしていたのでは、と思う。


「あー、先輩にぎゅって後ろから抱きしめてもらいたいの……!」


 ここのところ、先輩とはずっと一緒だった。

 だから、先輩が居ない一人の家がどれだけ寂しいかを実感している。

 いや、元々、今回の趣旨的にはそれでいいはずなのだけど。

 予想以上に、私へのダメージが大きい。


「あー、先輩の声が聞きたい……」


 と、スマホに手を伸ばしそうになるけど、危ない、危ない。

 私から言い出したことなのに、自分から破ってどうするのだ。


「お母さんも、お父さんも、よくこんな事平気で出来るよね」


 元々、うちの両親はちょっと変わっていた。

 ちょっとした喧嘩で、「離婚する!」「こっちこそ!」

 と言い出したら、数日したら本当に離婚しているのだ。


 そして、数ヶ月経てば、何事もなかったように、再婚。

 当然、親戚は最初は諌めた。離婚なんて軽々しくするものじゃないと。

 特に、祖父と祖母は真剣だった。

 しかし、母も父も聞く耳を持たず。

 

 離婚と再婚を十度以上繰り返して今日に至る。

 そんな夫婦関係が不思議だった私は、先日、母に電話で聞いてみた。


「お母さん。結局、離婚と再婚を繰り返して何がしたいの?」

 

 と。返ってきた答えは、


「それがね。一度、離婚してから再婚すると、もっと旦那の事好きになれるのよ」

「……」


 変態だー。と心の中で思った。

 確かに、再婚した時は、前よりラブラブになっているような気がしたけど。

 まさか、そんな理由があったとは。


 そして、血は争えないというのだろうか。

 私も、それを試してみたくなってしまった。

 先輩、こんな変態が彼女で本当にごめんなさい。


 ともあれ、明日まで、先輩分は補充出来ない。

 後ろから抱きしめてもらえないし、キスもしてもらえない。

 もちろん、エッチな事だって。


「私、こんなに先輩に依存してたんだ」


 自覚したのは、本当にどうしようもないことだった。

 ああ、会いたい、会いたい。今すぐにでも。

 もう、さっきの話なんてなかったことにして。

 と思う心を理性が食い止める。

 一日、きっちり我慢してからだろう、と。


「でも、でも、辛いよー」


 こうして、一晩中じたばたして、落ち着かない夜を過ごしたのだった。


◇◇◇◇


「はあ、寝不足だ……」


 寝ようとしても、雪菜の笑顔が。

 ツインテールの髪に、見るものを元気にする微笑み。

 好奇心旺盛な爛々と輝く瞳。

 すっと通った鼻筋。スレンダーな身体。

 そんな彼女だと、昨日まで、イチャイチャしてた事を思い出す。


「でも、なんとかこらえたぞ」


 約束では、明日までということだったはず。

 朝なら、別に構わないよな?と通話しようとすると。


 ピンポーン。インターフォンの音がなった。

 出なきゃ、と思う暇もなく、がちゃりとドアが開く。

 そういえば、雪菜には合鍵渡してたっけ。


「せんぱーい、会いたかったですー!」


 どたどたと、1DKの部屋に踏み込むや否や、こちらに一直線。

 俺の胸に思いっきり飛び込んで来たのだった。


「変なこと提案するからだ、馬鹿」

「だって、だって……。でも、一つ、わかったことがあります」

「奇遇だな。俺もだ」

「私、すっごく先輩に依存しちゃってました。今朝も寝不足で……」


 どことなく憔悴した様子は気の所為じゃなかったらしい。


「俺も同じく。禁断症状って奴、なのかな」


 昨日一日の分、強く、強く、背中からぎゅうっと抱きしめる。


「あの、先輩。ぎゅうっとするだけじゃ、足りません」


 見上げた雪菜の瞳は潤んでいた。頬だけじゃなくて全般的に顔が紅潮してる。


「なんかさ。お前んとこの両親は変態だけど。効果は、抜群、だな」


 俺自身も、色々もっとしたい気持ちが湧き上がってしまっている。


「先輩。私には先輩が必要です。もう一度、お付き合いしてもらえませんか?」

「俺の方こそ。ほんっと、お前に凄い依存してたの実感、したよ」


 これがプレイとするなら、本当にこうかはばつぐんだ。


「じゃあ、今日は、凄い激しくして欲しいです」

「ああ、俺も、今日は色々抑えられそうにないからな」


 お互い、ひどく興奮しているのを自覚する。

 その後、俺達は会えなかった分、色々致してしまったのだった。


◇◇◇◇


「なあ、色々凄く良かったけど。これからは、これ、ナシな」

「はい。会えない一日が凄い苦しかったですもん」

「だよな。しかし、雪菜も変態プレイに目覚めてしまったか」


 とため息を吐く。


「それ言うなら先輩もですよね。すっごく激しくされちゃいましたし」

「そ、それは。仕方ないだろ。お前が色々可愛いから」

「とにかく、私が変態なら、先輩も変態です。同類です!」


 断言されてしまう。


「確かに否定は出来ないんだけどさ。しかし、俺達付き合って四年目だよな」

 

 こんなに、お互いに依存していいのだろうか、少し心配になる。


「今回、実感したんですけど。もう、先輩と別れる事は考えられません」

「俺もだな。雪菜とずっと会えないとか思うと、死ぬかもしれない」


 と、そこまで考えて、一つ思いついたことがあった。


「なあ、俺たち、結婚するか?なんか、お互い離れられる気がしないんだが」

「い、いいんですか?私、ずっとくっつきますよ。それは鬱陶しいくらい」

「それは俺の台詞な。共依存って奴だろうけど、なってしまったのは仕方ない」


 本当に、バカップル……で済まない俺たちだ。


「ほんと、お前が可愛すぎるのが悪い!」

「先輩が、いつも優しくし過ぎるのが悪いんです。キュンキュンしちゃいます」

「いやいや。お前が尽くしてくれるから、自然と優しくしたくなるんだって」

「それを言うなら、優しくしてくれるから、尽くしたくなるんです!」


 そんな、本当にどうしようもない事をベッドの上で言い合ったのだった。

 お互い、裸のままで。


 別れようと言われたときは、ほんとどうなるかと思ったけど。

 まさか、こんなことになるとは。

 つくづく世の中はわからない。

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