ひとには言えない

まんぼう

第1話 ひとには言えない

 私の名は田畑明美。今は佐々木明美。思い出せば、子供の頃の記憶で一番鮮明に覚えていることは、父に連れられて当時秋葉原にあった「鉄道博物館」に行ったことだった。

 どうしてそんなことを覚えているのかと言うと、博物館の中にある食堂車を模したレストランでお子様ランチを初めて食べたからだ。それは私にとって特別な出来事だった。

 当時の友達との会話で「お子様ランチ」なるものが世の中にあるとは知っていたが、両親はデパートなどに行く時は自分と弟を祖母に預けて置いて行っていて、連れてって貰えるようになった頃には「お子様ランチ」は食べなくなっていた。だから数少ない経験が記憶に刻まれたのだと思っている。

 父の影響かも知れないが、その頃から私は、少しずつ鉄道に興味を持ち出した。子供の頃、父がよく見せてくれたのが、自分の学生時代に北海道で撮影したSLのモノクロ写真だった。それは夏の山麓を煙をたなびかせて走るヤツや、真っ白な雪の中を黒いSLが煙をあげて爆走する構図の写真で、それは私にとって未だ見ぬ世界への橋渡しに思えた。だから、東京近郊の私鉄沿線に住む私にとって、地元を走る電車も興味の対象になったのは言うまでもない。

 小学生の頃まではクラスの男の子達と駅や線路間近まで近づいて、走って来る電車に心を時めかせたものだった。特に、座席指定の特急は形が流線型で格好良く、時間を見計らっては見に行ったものだった。そして口々に

「一度でいいから始発から終点まで乗ってみたいね」

「でも切符の他に特急券が要るから俺たちの小遣いじゃ無理だよ」

「大人になったら沢山乗ってやるんだ」

 そんなことを言い合ったものだった。

 その後も鉄道好きは変わらなかったが、年頃になると隠すようになった。今でこそ鉄道好きの女子「鉄子」は沢山いるし社会的に認知されてもいるが、当時は趣味が鉄道関係等と言おうものなら変人扱いされかねなかった。少なくとも女の子の趣味ではなかったのだ。だから次第に自分の心の中だけに留めておくようになった。

 高校生になりバイトもして少しお金が自由になるようになると、休日といえば地元の私鉄や滅多に乗ることのない遠くの鉄道に乗るようになった。

 小田急の「ロマンスカー」や東武の「けごん」「きぬ」、京成の「スカイライナー」西武の「レッドアロー」などにカメラ持参で、せっせと乗るようになった。それでも色々な公式には趣味の欄には「読書」とか「映画鑑賞」せめて「旅行」とか書いて誤魔化していた。

 私にとって鉄道は日常生活からの離脱であり、空想の世界に遊ぶことの出来るコンテンツでもある。当然毎月「時刻表」は買っている。

 たまに自分の部屋に友だちを招き入れた時にそれを見つかり

「あれ明美、旅行でも行くの?」

 等と尋ねられたりした。当然その場は上手く誤魔化した。この頃の私にとっては鉄道が趣味というのはとても恥ずかしいことだったのだ。当時は鉄道オタクなどと言われていて少なくとも女子の趣味ではないとされていた。

 大学に進んでも本当は「鉄道研究会」に入りたいのに女子の部員が一人も居ないと聞き、とうとう入部しないて卒業してしまった。その分、バイトに精を出して、そのお金で日本中の鉄道に乗りに行ったのだった。

 

 やがて就職したのだが、私はその頃でも鉄道の趣味を隠していた。それというのも、どうも外見から私は真面目で趣味は「読書」や「料理」などと思われていたみたいで、乗りたい特別な列車があると有給を取って前日から徹夜で並ぶ等とは思われていなかったからだ。

 そうして入社して三年ほどが過ぎた。私はあるプロジェクトを先輩と担当することになったのだ。勿論メインは先輩で私は補助役なのだが、その先輩はカッコよくてやり手で女子社員の憧れの的の存在なので、同期の女子には羨ましがれた。

 私としては、当初はそんな気はなく仕事以外での接点もなかった。だが、あることでそんな関係に変化が起きたのだ。

 仕事の関係で、あるクライアントの接待をすることになったのだが、そのクライアントの責任者が岐阜の高山の出身であることが判り、二人で色々と相談をした

「接待ですが、やはり故郷の料理なんかが良いですかね?」

 私がそう言うと先輩は

「まあ、そこまで拘る必要は無いかも知れないが、飛騨というと飛騨牛だよね。それを扱う店という考えもあるね」

「それじゃ、その方向で店を探します」

 話はそれで片付いたはずだったが先輩が

「高山というと高山線でさ、名古屋から岐阜を過ぎると日本ラインに沿って登って行くのだけど、その景色が見事でさ」

 急にそんなことを言い出したのだ。私も何回も高山線には乗ったことがあるのでつい

「晴れた日などは本当に綺麗ですよね。私なんか早朝の景色が見たくて夜行の「ムーンライトながら」に乗って行きましたから」

 つい口に出てしまった。日本ライン沿いに走る高山線の車窓は本当に美しく特に朝日を受けて輝く光景を見たら一生忘れないと思うほどだった。でも普通の人はそれを見に東京駅を23時半過ぎに出る夜行に乗って行くことなんてしない。言った瞬間気がついて

「シマッタ!」

 と思った。すると先輩が

「あれ田畑くんは鉄道が趣味なの? 『ムーンライトながら』なんて普通の人は知らないよね」

 終わった! もう全てが終わったと思った。数日中には課の皆に私が実は鉄オタだったと判ってしまうのだ。

 そう思ったのだが先輩の反応は違った

「『ムーンライトながら』はこの前無くなったけど、それまでは季節列車だったんだよ。旅行のオンシーズンだけ運行されていたんだ。俺も良く乗ったけどね。それより前は普通の大垣行きだったんだ。毎日運行されていたんだよ。最も普通とは言っても事実上快速でね、深夜の東海道を爆速していたんだ。グリーン車が連結されていてね。二両だけだったから、それに乗りたくて早くからホームに並んだものさ。まあこれは中学とか高校の頃の話だけどね」

 何と詳しく説明してくれたのだった。私としては先輩があの伝説の「大垣行き」に沢山乗ったことがあるということが意外であったし嬉しかった。

「私が乗りに行った時にはもう『ムーンライトながら』になってました」

「185系」だね

「はい」

「大垣行きの頃は湘南色に塗られた165系だったんだよね。今は湘南色は東海道線には無くなってしまったけどね」

「私、実は幼い頃から鉄道が好きだったのです。子供の頃に父に『鉄道博物館』に連れて行かれてからです」

「秋葉原にあったヤツだよね。俺も散々通ったよ。友達は電気街で俺は鉄博でね。女の子だからって鉄道好きを隠すことは無いと思うよ。立派な趣味さ。ところで大宮の『鉄道博物館』は行ったことある?」

「それが行きたいとは思ってるのですが、中々行けなくて……」

「そうか、じゃあ今度俺が案内するから一緒にどう?」

「え!」

「嫌かい?」

「いいえとんでもない」

「じゃ決まりだ!」

 そんな感じで私と先輩は交際を始めた。趣味が同じというのは良い面もあれば悪い面もある。鉄道に関しての意見の相違もあるし、一緒に田舎の廃線を巡って旅をしたこともある。

 今では先輩は私の夫となり、掛けがいの無い存在となっている。二人の子供にも恵まれた。長子が女の子で下が男の子だ。どうも二人共大の鉄道好きなのだ。男の子は幼い頃は殆どが鉄道好きだが果たして何時まで続くやら、長女共々親子三代になるのかは未だ判らない。


                    <了>

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ひとには言えない まんぼう @manbou

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