第1-1話 『初めまして、My master』

 むかしむかし、あるところに、

 1人の少女がいました。

 少女の名前は東雲シノノメ ハル。でも周りからその名を呼んでくれる人はほとんど居ませんでした。


「おい。そこの掃除が終わったら次はコーヒーを淹れろ。」

「……はい。お父さん。」

 休日の昼過ぎ、独りで庭の掃除をしていた私に父から命令が飛ぶ。掃除で集めた枯葉を袋に纏め、急いでコーヒーを淹れる準備を行う。

 豆を挽き、父愛用のサイフォンで抽出を行い、待っている間にカップを最適な温度にまで温めておく。

「おいまだか!」

「…後20秒で出来ます」

 急かされたからといって手間を省く事は許されない。前に抽出の時間を早めてしまった結果酷く怒鳴られ、殴られ、その日の夕食は白米と漬物だけだったからだ。夕食がまだ出るだけいいが、時には夕食どころか丸1日何も口に出来ないなんてことはざらに起こる。

「……出来ました。お父さん」

「…ふん」

 差し出したコーヒーを1口含み、鼻を鳴らす。その様子を見た私は心の中で安堵の息を漏らした。良かった。及第点には至っていたらしい。

「全く…。お前は兄と比べれば何も出来ないから俺達親があれこれ教えてやってるというのに、全然結果が残せてないじゃないか。使えん奴め」

「……申し訳ありません」

「…所詮『人形』か。自分の物へと昇華出来ず、だからといって10教えたら10できる訳では無い…。劣化コピーが」

 反応はしない。肯定も否定も、反応してしまえば今後の予定に支障が起こるほど拘束される。だから私は自分を殺して早く終われと心に願う。

「ダンマリか…。もういい、用が済んだらさっさと消えろ」

「失礼します…」

 こちらに背を向けたままの父に一礼して、私は父のもとから立ち去った。

 庭の掃除や父の相手も終わり、やっと自分の時間がやってくる。私は質素なベッドと机、数着の服が入れられているだけのスカスカなクローゼットしかない自室でベッドへ身を投げた。

「兄と比べれば何も出来ない…か。それはそうだよ…。兄さんは凄い人だもん…」

 私の兄は、昔から1度見た事はなんでもできてしまい、頭もよく運動も出来る。親からしてみればここまで出来た子供がいたら、兄妹である私にもそれ相応のハードルを設けてしまうのも仕方ないのかもしれない。

 そんな何でも出来てしまう兄の現在はというと、国立の大学に首席で卒業。海外を相手にした一流企業に就職し、海外移住してどんどんと輝かしい実績を積み上げていっている。

「私なんか昔から何をやっても中の上がいい所。誇れるものもなければ武器になる特技もない…。私は…、もう劣化コピーとか人形とか言われたくないのに…何をやっても兄さんの影が私を隠す…」

 おじいちゃん……。と、枕に顔を埋めたまま小さく呟く。

「おじいちゃんは私を私としてちゃんと見てくれてた…。守ってくれていた…。『おい』とか『人形』とかじゃなくて【ハル】って呼んでくれた…。優しくて温かい手で私の頭を撫でてくれた…。いっぱい笑顔と幸せをくれたのに…なんで……」

 そこから先の言葉は涙が溢れてきて口から出す事は出来なかった。祖父は私が小学生の頃に転倒事故により、帰らぬ人となった。

「…駄目だね。私の味方がいないからって居ない人に頼ろうとするだなんて…。それに高校生にもなって未だに小学生の頃を思い出して涙出るなんておじいちゃんが聞いたら笑われちゃうよ…。よしっ!」

 勢いよく起き上がり、2度頬を叩く。頬が僅かに熱を持ち軽い痛みで気を引き締め直す。

「おじいちゃんが居なくても、私だけで自分を守れるって見せないと。いつまで経ってもおじいちゃんが安心してお空の上で過ごせないよ!」

 気持ちを奮い立たせて部屋の扉を開ける。さぁ、次の仕事を______

「ここに居たか」

「っ…!?」

 扉を開けた先に居たのは、冷たい目で私を見下ろす義母だった。

「お…お義母さん。何か御用ですか…?」

 奮い立たせた気持ちが早くも鎮静化し、まるで虫でも見るかのような視線に身は強ばり目線も下を向く。

「何か用が無ければ来てはいけないのかしら?」

「い、いえっ…!決してそのような事はありません!ですが、お義母さんが私の部屋を訪ねるなんて用事がある時が殆どですから…」

 義母が私の部屋まで来るのは大概仕事を命ずる時かこなした仕事に対して文句を言う時。どちらにしろ、私にとって良い報せなどない。

「全く…。この人形はあの女と同じで何をやっても中途半端なのだから。庭掃除。枯葉をまとめた袋を庭の真ん中に置いたままでよくのんびりしていられわね。本っ当に使えない」

「え…!?す、すみません!直ちに片付け__」

「もうやったわよ」

 急いで庭へ向かおうとした私に対して、腕を掴んで義母は止めた。

「まぁ、私達の指導のお陰で?アンタの母親よりは幾分かマシに動ける様にはなったけど。…次やったら、枯葉と一緒に処分してあげる」

 …背筋が凍る様な視線を向けて掴んでいた腕を離す。この人が言う<処分>はその名の通りの意味になっている。昔はこの家に数人の使用人が居た。私の母が病気で亡くなった頃に入れ替わる様にやってきた義母は、『まるで使えない。処分する』と次々に使用人を棄てていった。解雇ではない…棄てたのだ。ある使用人が警察を呼び、取り調べをしてもあの人からは証拠すら出てこなくてお手上げ状態。そして警察を呼んだ使用人も当然の様に処分された。

 この事から、この人に処分されるという事はそのまま死を意味する。だから私は気を損ねないように精一杯やっていたのだが…。

「申し訳ありませんお義母さん!今度はちゃんとこなしますから!」

「別にぃ…?あんたみたいな人形に期待もしてないから。要らないなら棄てるだけだし。精々アンタの兄から送られてきたそこの荷物を糧に、棄てられるまでの時間を待ってなさい」

 顎で指し示められた方へ目をやると、冷蔵庫の様な大きさの箱が置かれていた。

「あんたへの贈り物みたいよ。開けるなら自分の部屋まで運んでから開けなさい。邪魔になるから」

「は…はい…」

 そう言うと、義母は去っていった。私は恐る恐る大型の箱に近づく。大きさからとても重そうなのは簡単に分かる。

「大きい…。これ、運べるかな……」

 そのままでは絶対に無理と判断した私は、倉庫から台車とロープを持ってきて、何とか自室まで運ぶ事が出来た。

「はぁ…はぁ…。なんとかできた…」

 親に怒られる前に倉庫へ道具を戻し、部屋で箱の開封をしようと手をかける。

「中身が何か書いてある様子でもないし…。冷蔵庫なら私になんて送らないだろうし…。なんなのだろう…」

 中身を傷付けないよう慎重に箱を開ける。中には梱包材に包まれ中身が見えない大きな物体と、1枚の手紙と1冊の説明書があった。

 私は手紙を開封し中を見てみると、兄からのメッセージが記されていた。

『愛しい我が妹へ

 可愛い可愛い妹よ。毎日ご飯は食べられているかい?睡眠は取れてる?彼氏とか出来たらお兄ちゃん泣いちゃうから帰国するまでは作らないでね??

 …コホン。お兄ちゃんは毎日ハルの事を考えて心配でたまらないけど、本題に入ろう。

 両親から毎日の様に虐げられる中、突然の大荷物に驚いて居るだろう。これはお兄ちゃんが可愛い可愛い妹であるハルの為に作り上げた新しいお友達だ。

 きっと義母さんの事だ。ハル以外の使用人は全員もう居ないのだろう。そこでハルの負担が大きくなった結果身体を壊してしまうことを恐れたお兄ちゃんは、負担軽減の為にアンドロイドのお友達を造りました!褒めて昔みたくほっぺスリスリしてくれても良いんだぞ?しない?

 その子はお兄ちゃんが造ったものだと知ればあの義母さんでも簡単には手を出せないはずだ。細かい事は同封してある説明書を読んでくれ。起動に必要なのはハルの声と、この手紙と一緒に入れてある鍵と、お兄ちゃん大好きという愛____』

 最後まで読むのを止めた。

 時々送られてくる兄の手紙は毎回頭が痛くなる。いつも完璧なくせに私にだけは今も昔もバカみたいになる。そんな兄が嫌いだ。

 長々と兄からのキモい手紙を読んで、結論からいえばコレは私の新しい『お友達』らしい。早速起動する為に、まずは梱包を外してみると…。

「何これ…綺麗……」

 髪は未踏の土地に降り積もる新雪の様に白く美しく輝き。

 顔は美術品の様に整っていて。

 身体は簡易的な衣服に包まれてるとはいえ、触れる事を躊躇ってしまうほどの儚さを漂わせていた。

 箱に収められた『人形』の他には付属品と思われるコードやメモリ等が幾つかあった。

 私は説明書を読みながら手順通りに作業を行い、残すは起動させるのみのところまで来た。

「後は…。手紙と一緒に入っていた鍵を胸元のにあるペンダントの鍵穴に差し込んで…。起動コマンドを言いながら回す…か」

 手の中にある鍵を見つめる。紐を通せばストラップやペンダントとしても違和感がない大きさのシンプルな鍵。気を抜けば無くしてしまいそうだから、後で身につけられるようにこの子と同じ様にペンダントにでもしよう。

 ペンダントの鍵穴に鍵を差し込み、ゆっくりと呼吸を整え、認識される様にしっかりとした口調で起動コマンドを唱える。

「《起動コマンド"HAL" 承認コード"18010"》」

 唱えた直後に鍵を回す。すると、数々駆動音から出される高音が部屋内に響くが、数秒後には落ち着いてくる。

『起動コマンド及び承認コード受諾。起動します』

 透き通るような綺麗な声が耳に届く。ゆっくりと私は鍵を抜いて数歩後ろへと下がる。別に爆発を心配してという訳では無いが、私だったら目覚めた時、目の前に顔があったら驚いてしまうから離れただけである。

 起動した人形が瞼を開く。瞳はまるで生者の様に綺麗なもので、吸い込まれそうな蒼色だった。


『_____初めまして、My master_____』


 人形は、慈愛が滲み出るほどの生者らしい微笑みを浮かべて私を見つめてきた。

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