第75話 人差し指のキス

「んっ……」



 俺の視界は目を閉じた時雨の顔で埋め尽くされ、耳には微かな水音と吐息が聞こえる。

 ただでさえ頭が回らない状態。それなのに更に困惑する。

 そしてたった数秒程度の押し付けるだけのキスが終わり、時雨の顔が少し離れた瞬間、両手を前に出して時雨の肩を押して突き放した。



「なっ……! お前何を!?」

「…………」



 時雨は何も言わない。突き放されたのに悲しそうな顔一つしない。むしろ微笑んでいるかの様にすら見えた。



「な、なんか言えよ……」

「ううん。言いたかった事は全部言ったの。それより……たろちゃんの方が言いたいことあるんじゃないかな?」

「…………時雨があの時の女の子だったのか」

「っ!? 覚えて……たの?」

「まぁ……可愛かったしな……」

「そっか……そうなんだ……嬉しい……」



 時雨はそう言うと本当に嬉しそうに微笑む。目を瞑り、時雨の肩に置いたままだった俺の手に触れると、とても大切な物を扱うかのように何か優しく撫でる。まるで、昔の事を思い出すように。



「そしてさっきの話で俺が初恋の相手って言うのは理解した。その……また好きになってくれたのも嬉しい。でもさっきのキスは別だ。だって俺にはその……彼女がいるんだ。確かに今日の事でホントに彼女って呼んでいいのかわからなくなった。だけど……っ!?」



 そこまで言ったところで時雨の指先が俺の唇に触れる。



「気にしないで──なんて言えないし言わない。むしろ気にして欲しいし、困っても欲しいの。だってそれは、たろちゃんがその彼女さんの事を本気で好きだってことだから。私もそんな風に想って欲しいの。だからさっきのキスはズルいこと。落ち込んでるたろちゃんの心の隙間に入り込みたくて、私に意識を向けて欲しくて、そして何よりも私がたろちゃんが欲しくてした事なの。たろちゃん? ちゃんと彼女さんと話したの? まだだよね? きっと何か理由があったのかもしれないよね? 言いたいことが言えなくて離れちゃうのは凄く悲しいの。だからちゃんと話を聞いてあげて。そして私の事でも悩んで。あなたの事が好きで好きでしょうがなくて、ズルくて卑怯な私のことを」



 時雨はそう言って指を離す。

 それから言われたことを頭の中で反芻して考える。確かに俺は自分の中でだけで考えて決めつけて、海琴さんの話を何も聞いてなかった。連絡が無いのだって、今は試合中だからかもしれない。すれ違った時だって何かを言いたそうにしていたのを、俺が勝手に無視しただけだ。そうだな……ちゃんと話、しないとな。

 そしてそれだけじゃない。時雨の事も考えないといけない。こんなに好きでいてくれて、それなのに海琴さんとの事も考えてくれたんだ。



「ありがとな」



 俺はそう言って顔をあげ、時雨の顔を見る。

 時雨はそれに満足そうに頷くと、さっきまで俺の唇に触れていた人差し指先を自分の唇に触れさせる。

 そして、さっきのキスの時にも表情が変わらなかった顔を赤く染めながら微笑み、こう言ったんだ。



「関節キス、ですね? 師匠♪」

「んなっ!?」



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