第73話 拒絶

「待って待って〜」


 俺達がもう少しで試合会場から出るところで後ろから声をかけられる。

 乃々華の声だ。

 後ろを振り返るとそこには、テニスウェアの上にジャージを羽織ってスポーツドリンクを持った乃々華が、汗で額に張り付いた前髪を指で整えながら笑顔で立っていた。



「む、華原か。試合お疲れ。惜しかったな」


「華原さん! 試合見ましたわ! とても凄かったですの!」


「二人共ありがとぉ〜♪ あれ〜? キョウは〜?」


「……お疲れ」


「へへっ♪ うむっ! くるしゅ〜ない! ってあれ? ん〜? キョウどうしたの? 元気ない? あったの?」



 遥と音原がそれぞれ乃々華の健闘を称え、乃々華はそれに答えると、最後に俺の顔を下から覗き込むように見てきてそんな事を言う。


 ──そうか。そういう事か。

 俺は試合前に乃々華が言ってた事を思い出す。いきなりあんな事を言うから変だとは思ってたんだ。

 だけど、それと海琴さんとを結び付けるなんて無理に決まってる。

 ──俺は歳上って聞いてたんだからな。



「……知ってたのか」

「ん〜? 知ってたんじゃないよ? の。この前エムエヌに行った時にね。だけどびっくりだよね? 理由はわからないけど歳上のフリしてたんでしょ? ねぇキョウ? あの人ね、ノノ達と同じ一年なんだよ?」

「っ!」

「キョウはさ、あの人に騙されてたんだよ? 嘘つかれてたんだよ? さっきここに来る時にも見たけど、普通に笑いながら同じ学校の子と話してたんだよ? キョウともさっきすれ違ったんだよね? なのに普通にしてたんだよ? これってなんとも思われてないってことだよね?」



 乃々華は俺の目をじっと見つめながら、一瞬たりとも逸らさずにそう言ってくる。まるで一言一言を俺の中に刻み込むように。

 それを聞きながら俺は海琴さんと付き合ってからの事を思い出す。


 水族館でキスをした時の嬉しくて泣いた顔。

 ペアのブレスレットをつけた時の嬉しそうな顔。こっそりペアリングを買ってきた時の照れた赤い顔。

 俺の部屋に来た時の無防備な格好。


 そして──その日に見た制服。あれは昔着てたんじゃなくて、現在進行で着てる物だったんだな……。


 ってことは付き合ってからの事は全部嘘? そんな訳ない。からかう為だけにキスとかするような人だとは思えない。

 だとしたら……誰にでも同じことを? いや、でもキスとか初めてって言ってたよな。それも嘘?


 よく考えてみれば付き合ってそんなに経ってないのにすぐに俺の部屋に来たし、もしかして慣れてるのか?

 でも、そうだとしたらなんで歳上なんて嘘を? 歳上が好きだって話を聞いたから? 歳上のフリをすれば簡単に遊べると思った? でも、俺には海琴さんがそんな器用な事ができる人には見えない。

 だけどそれすらも演技だとしたら?


 ダメだ。考えがまとまらない。

 あ──そういえば海琴さんの友達がなんか言ってたような……なんだったか? わからない。思い出せない。



「わからない……」



 だから俺はその一言を発するだけで精一杯。

 そして、それを聞いた乃々華は俺の手を優しく握り、俺の目を見るとこう言った。



「キョウはかわいそうだね……」

「かわいそう? 俺が?」

「うん。とても……とてもかわいそう」



 その顔は悲しみも同情も感じられない。そう、ただ一つだけ感じるのは──喜びだ。



「乃々華、なんで笑ってるんだ?」


「え? 笑ってなんかいないよ?」


「笑ってるだろ。自分の顔見てみろよ!」


「笑ってなんか──あ、ふふっ。ごめんね? ちょっと勝ったのが嬉しいのを抑えられなかったみたい」


「試合な事かよ」



「は?」


「それは──あ、やっぱりなんでもない。ごめんね? 先輩達待たせてるからもう行くねぇ〜」


「あ、おい!」



 乃々華は何かを言いかけてすぐに辞め、俺達に手を振ると走り去ってしまった。

 ……試合のことじゃないならなんだってんだよ。くそ。イライラする。



「遥、音原悪い。俺、先に帰るわ」


「そうか。何があったのかはわからないが、一人で抱え込むなよ」


「そうですわ。何かあれば音原グループも協力しますから!」


「はは、それはすげぇな。……じゃ」



 俺はそれだけ言って少し歩く速度を上げてその場から立ち去る。

 ここに残っていると海琴さんに会うかもしれない。それはちょっと無理だ。


 どこにも立ち寄らずに駅に向かって電車に乗る。

 そこで初めてスマホを見るが、海琴さんからは何の連絡も来ていない。言い訳や説明も何も。

 バレたからもうどうでもいいのか? そういう事なのか?


 停車駅に着くまで何度も再読み込みをするけど何も来ない。

 電車から降りて家に向かう途中も何度も何度も見た。



「はぁ……。なんだってんだよ」



 胸の内だけでは抑えられない文句が口から零れる。

 その時、



「師匠?」


「……時雨か」



 悪いけど今は時雨のいつもの調子に付き合う余裕は無いな。適当に流して帰ろう。そう思ってたんだ。



「師匠、このゲームなんですが、イベントでパズルをクリアーしないと進めないんです。ちょっと教えてください。あ、今じゃないとダメですね。えぇ、今じゃないと。あ、ちょっと行った所の公園でお願いします。無理でしたらそこら辺の男性に適当に声をかけてやってもらいます。たとえなにを要求されたとしても」


「はぁ」



 こんな事言われたら断れる訳ねぇだろうがよ……。俺はため息を付きながら公園に向かって歩き出す。海琴さんから何か来ていないかを、何度も再読み込みをしながら。

 だから──



「……たろちゃん……。どうしたの……」



 後ろで時雨が何かを言っていたが、スマホの画面に集中していた為によく聞こえなかった。


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