第61話 お姫様抱っこ

「……んぅ?」



 何かが額に触れる感触で目が覚める。

 ん? 目が覚める? っ! ヤバい。寝ちまった。いったいいつから? 今何時だ?



「師匠、起きました?」


「時雨……?」



 目を開けるとそこには、俺の額に手を伸ばして前髪を撫でながらしゃがんで微笑む時雨の姿。

 ちょうどその背後から太陽の光が射しているが、時雨の体で遮られていて眩しくはない。

 むしろ光が透けて反射している、時雨の銀髪の方が眩しいくらいだ。


 そしてその時雨の姿は、何故かブラウスだけで俺が寝てしまう直前まで着ていたブレザーが見当たらない。



「はい、時雨ですよ。おはようございます」


「あれ? 俺どんくらい寝てた? 今何時?」


「師匠に謝罪しないといけない事があります。実は私も師匠の隣で少し寝てしまいまして、もう六限目が終わる時間なんです。つまり、もう少しで放課後ですね」


「はい? 放課後!?」



 予想以上に寝てしまっていた事に驚いて体を起こす。そりゃそうだ。太陽の位置が動く程の時間が経ってるんだから。

 と、その時、寄りかかっていた壁から体を起こした時に背後に何かが落ちる。

 手だけを回して落ちた物を拾うと、それは時雨のブレザー。



「これは?」


「壁に寄りかかって寝ていたので、頭が痛くならないようにソレを畳んで壁と頭の間に挟んでおきました。本当は引き寄せて膝枕でも……と思ったんですが、私にはまだその資格がありませんので」


「そうだったのか。ありがとな。これ、返すよ……って時雨!?」



 俺はブレザーを返そうとして手を伸ばし、その時初めて気が付いた。後ろからの日差しのせいで色味がわからなかった時雨の顔が、赤くなっている事。そしてブラウスが汗で透けて下着が見えている事に。


 そしてそこでやっと自分でも気付く。時雨がこんなに汗をかいているのに、俺は全然そんなことが無い理由に。

 きっと、時雨が俺と太陽の間に入って、ずっと日差しを遮ってくれてたんだ。

 その事を言おうとした瞬間、時雨はニッコリと微笑んで口を開いた。



「大丈夫ですよ? 師匠が気持ち良く寝ていたので、起こしたくなかったんです。あれですね。ぬ〜り〜か〜べ〜♪ ってやつです。あ、どうですか? これ、濡れ透けってやつですよね?」


「そんなふざけてる場合かよ! ほんのちょっとってレベルの汗じゃないだろ!?」



 手を伸ばして時雨の額に手を当てると熱くなってるのがわかる。

 視線を逸らすと、そこにあったのは昼に飲んだ、すでに中身のない小さな紙パックの野菜ジュース。

 つまりあれから水分を取ってないってことになる。



「にゅっ! ……ふふっ。師匠の手、冷たくて気持ちいいです。あ、気にしなくてもいいですよ? 師匠の壁になるのは弟子の役目ですから」


「なら弟子を労るのは師匠の役目だ! 水分も取ってないんだろ? 一回保健室に行って休ませてもらおう。立てるか?」



 そう言って時雨の手を握って立ち上がるように促すけど、少し腰を上げたと思ったら、すぐにまたしゃがんでしまった。



「えっと……ここは私に任せて先に行け? って言う場面でしょうか?」



 なのにまたふざけた様なことを言う。

 心配かけないように言ってるのか? 悪いけど今はそれに付き合う気は無い。


 俺は時雨のすぐ隣にしゃがみこむと、背中と膝の裏に腕を通して抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこの形で。そしてその上にブレザーをかける。透けてる下着が目に入らないように。



「えっ!? ……え、師匠!? 待って! 待ってください!」


「いーや、待たん。てか珍しいな時雨がテンパるの。珍しいってか初めて見たや。つーわけで、このまま保健室行くから暴れんなよ」


「あ、あ……そんな……こんな抱っこの仕方はダメぇ……」



 俺はそれから保健室に着くまで何も喋らずにひたすら進む。他の生徒に見られても問答無用。

 顔を両手で隠した時雨が「無理……ダメ……。どうして……」って言っても無視。


 自分の為に無茶した女の子を放っておけるかよ。


 そして保健室に着くと足でドアを開けて中に入り、PCでBLゲームをやってる所を見られて、顔が青くなってる保健医にベッドを借りる断りを入れると、時雨を寝かせる。



「つーわけで先生、こいつ多分熱中症なりかけだと思うから氷枕お願いします。あと、おでこに貼るやつも。で、時雨はちゃんと寝てろ。今スポドリ買ってくるから」


「は、はい……」



 そして俺は再び廊下に出ると、自販機目指して早足で歩き出した。

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