第37話 もう一度……やり直しのキス

「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! こんなっ……恋人でもないのにこんなことしてごめんなさい! え? あれ? なんで? なんであんなことしちゃったの? なんで? わかんない……わかんないよぉ……。嫌だったよね? 迷惑だったよね? 許して……」


 両手で顔を覆ったままで、まるでイヤイヤでもするかのように頭を横にふる海琴さん。

 思っている事と言いたい事の区別が付かずに、そのまま口から出てるような感じだ。

 そしてそれは、まるで悪いことをしたような言い方だけど、全然そんなことは無いんだ。


 俺はその事を伝えたくて、そっと海琴さんの両肩に手を置く。

 海琴さんの唇の柔らかい感触が、まだ残ったままで。


「海琴さん? 落ち着いてください。大丈夫ですから。びっくりしたけど、その……嫌じゃなかったですし。むしろ嬉しいくらいですから」

「そう……なの?」


 そう言って顔を上げた海琴さんの目元には少し涙が見える。

 本当にキスなんてするつもりは無かったんだろうな。それなのにしてしまった自分を責めてるんだろう。


「はい。むしろもっとして欲しいくらいで……ってそれはちょっと調子乗りすぎか」


 だから俺は、明らかに凹んでいる海琴さんの前で敢えて少しおどけて見せる。これで少しは自責をやめてくれればいいんだけど。


「だ、ダメだよっ! だって……付き合ってる訳でもないんだもん! 今のは私もなんでしちゃったのか分からないから無かった事にしよ? ね?」


 そんな事を言いながら詰め寄り、俺のジャケットのギュッと握ってくる。


 ……どうやらそう上手くはいかないな。


 てか、無かった事になんてそんな事されてたまるか。

 いくら恋愛経験の無い俺でもわかる。海琴さんは俺に好意を抱いてくれてるんだ。

 いつからなのか。どうしてなのかはわからないけど、きっと、あの日の帰り道に俺に声をかけてくれた時にはもう。


「海琴さん。もし俺の勘違いじゃなかったらですけど、海琴さんは俺の事がその……好き……ですか?」


 俺がそう聞くと、海琴さんはこの部屋の暗がりでもわかるくらいに顔を赤くして、小さくこくりと頷いた。


 そうか……。なら俺も応えないといけない。

 漫画やアニメみたいに何かがあって好きになるっていうロマンチックなものじゃないけど、俺は確かに海琴さんに惹かれている。

 意味不明にテンパる所も、俺に向かって笑う顔や今みたいに泣いたり照れたりする仕草の全てに。

 だから──


「なら尚更無かった事になんてできませんよ。だって、今のは俺にとってはファーストキスになるわけですし」

「わ、私も……初めてだったの。ってそんなのは杏太郎くんからしてみればどうでもいいよね……。ご、ごめんなさい……こんな形で初めてを無くしちゃって……」

「どうでも良くなんてないです。これは、俺が好きな、そして俺を好きになってくれた人とのファーストキス、なんです」

「…………え?」


 海琴さんは、俺が何を言っているのかわからないような顔で見上げてくる。

 ジャケットを握った彼女の手はそのまま。

 俺はその手に自分の手を重ねた。


「っ!?」

「海琴さんはさっき、『恋人でもないのに』って言って謝りましたよね? 無かった事にするのなら、そっちにしましょう」

「きょ……杏太郎……くん?」

「海琴さん。好きです。年下で頼りないかもしれないけど……俺の、恋人になってくれますか?」


 俺がそう言った瞬間、海琴さんの瞳からは大粒の涙が流れ、泣いてるとも笑っているとも見える顔になる。


「うん……うん。うん、なる……。なりたい……。杏太郎くんの彼女になりたいよぉぉ……。ホ、ホントはね? ずっと前から好きだったの。だから……だからね? 凄く嬉しいよぉ……」

「じゃあ、これでさっき海琴さんが言ったことは無かった事になりました。だから……」

「え? ──っ!?」


 俺は海琴さんの手を握ったまま顔を近付け、一瞬触れるだけのキスをした。


「さっきは海琴さんからいきなりされましたからね。お返しです。さっきのは両想いのキス。これで恋人としてのキスは一回目ですね?」


 くそっ。すげぇ恥ずかしい。我ながらキザだと思ったけど、これは中々……。


「キス……。杏太郎くんと恋人の……キス。へへ、あのね? 今、すごく幸せな気持ちがいっぱい出てくるの。今度は嬉しくて泣いちゃうけど……ごめんね?」

「いいですよ」


 返事をすると、海琴さんは俺の胸元に顔を埋める。

 そして──声を殺して泣いた。


 ◇◇◇


 少し経ってようやく落ち着いたのか、海琴さんは顔を離すと俺を見上げてきた。

 そして何かを言うわけでも無く、ただジッと俺の顔を見つめてくる。


「どうしました?」

「……あ、あのね? さっきはどっちもいきなりだったから、その……ちゃんと杏太郎くんの事を見て、キス、したいなって……。今からキスするんだ、っていうのが欲しいな? って……ダメ?」

「恋人の頼みがダメな訳ないじゃないですか。じゃあ……目を閉じてくれます?」

「……うん」


 そして海琴さんは目を閉じて顔を少し上げた。

 あぁもうっ! 可愛いなぁ!


 そして俺はゆっくりと顔を近付けると、水槽の中で踊るクラゲ達に見守られながら────唇を重ねた。

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