第268話 国王ボティウス1
教皇への懺悔を終えた彼――ボティウス・ウル・アドリアニは足を踏みならしながら神殿を後にした。
まったく使えないジジイだ!
こちらが下手に出ても強気に出ても、ウンともスンとも言わない。
叩いても響かない教皇の姿勢に、ボティウスはその高貴なプライドが大いに傷付けられた。
特に、最後の最後まで己の話術で太刀打ち出来なかったのがなによりも腹立たしい。
この俺は王だ!
王の命令は絶対だ!
俺の部下ならたった一言で地面に這いつくばらせることさえ出来るというのに!!
この恨み、どうやって晴らしてくれよう?
ボティウスは国に戻り、即座に戦支度を整える。
アヌトリアはおそらくユステルしか見ていない。
いきなり国境沿いに兵士をかき集めたところで、まさか自分の国に攻め入るなどとは思いも寄らないだろう。
ミストルはアヌトリア対ユステル戦争への防波堤であって、敵対国ではないのだ。
だがそれでも国境警備兵は不審に思うだろう。
そこでボティウスは兵士たち全員に、巡礼者の格好をさせた。
フォルセルス教徒の巡礼の旅は世界的に有名である。
巡礼をしているというだけで、国境検問もかなり楽に通過できる。
警備の薄い街道を歩くため、簡単な武器を持っていても不審に思われない。
剣を1本持たせた巡礼者を少しずつ送り続け、シュルトの住民の1割、2万ほど揃ったところで内部から破壊工作を行う。
それに合わせ、完全装備の兵士を10万けしかけて、一気にシュルトを落とす。
ボティウスが考えた作戦は、面白いほど完璧に進んだ。
巡礼者として国境を越えても国境警備兵の誰も不審がらなかった。
内部から攻撃を仕掛けた兵士達は、一般市民の格好をしているため危うくなれば民衆に紛れ込んだ。
そうしてアヌトリアの兵士を混乱させたところをミストルが一気に襲いかかった。
あまりにあっさり落ちたので、ボティウスはあっけにとられた程だった。
これであれば秘密兵器を用意するまでもなかったか。
だが、いずれここにアヌトリアの本体がやってくるだろう。
それと戦うためには、秘密兵器はかかせない。
シュルトを落としたボティウスは、教皇との会話の腹いせに、あらゆる建物を破壊し、住民の殺戮を命じた。
もちろん、食料や貴金属と女を奪うことは決して忘れない。
戦争は、お金がかかるのだ。
こうして略奪をしなければ戦闘が続かない。
特にシュルト陥落のために用いた兵力12万。その出費の埋め合わせくらいはあっても良いはずである。
死んだ奴等はもう食べ物を食べることはなく、またお金を使うこともない。
であればミストルがすべてをいただき有効活用するべきなのだ。
よさそうな女を100人ほど捕縛し、ボティウスは一時的に兵をミストル領アドリアニまで引く。
12万のうち1万を駐屯させ、残る11万は本国へと帰還させる。
11万の兵は首都で次の戦の準備を行い、2週間後に合流する予定である。
野営地に戻ったボティウスらはまず、奪った酒を振る舞い盛大に緒戦の勝利の祝賀会を行った。
酒を傾けながら、ボティウスは今後の予定に思考を巡らせる。
まず、極上の女を選んで遊んでやろう。
王に遊んで貰えるなど、平民にとっては神の祝福と同じはずだ。
酒を煽りながら選んだ女を無理矢理天幕に連れ込んだとき、外から兵士の大声が響き渡った。
「報告いたします!」
「後にしやがれ!!」
「申し訳ありません。この報告は火急を要します」
「……ッチ」
ボティウスが大きく舌打ちをして、膝まで降ろした下着をズボンごと持ち上げる。
それでほっとした女の表情に無性に腹が立ち、でっぷりした体をブルンブルン震わせながら、動かなくなるまで殴り飛ばした。
「……で、なんだ?」
「敵襲です」
「さっさとそれを言え!!」
血に濡れた拳を兵士に叩きつける。
さすがに鍛えているだけあって、兵士を殴ってもこちらの拳が痛いだけだった。
さきほどまで殴っていた女の肉が、如何にすばらしいものだったか。ボティウスは手をさすりながらそれを思い知らされた。
「敵襲ってことは、アヌトリアか?」
もしかの国の兵が国境を越え、軍事力を振るおうものならば、即座にミストル連邦国の緊急事態条項が発動。
ボティウスを救うために、ミストル連邦に加盟する各国は兵を上げるだろう。
そうなれば、こちらが更に有利になる。
「いえ、それが……敵の情報が錯綜しておりまして」
「ああ? 正しい情報も掴めねぇで俺を呼び出しやがったのか!!」
顔を防御しながらも、兵士は声を上げる。
一瞬、腰に据えた剣で斬り殺してやろうかとも思ったが、自分を守る兵を殺すなど自殺行為である。
肉壁は厚ければ厚いほど良い。
「襲撃者は3名から1万」
「は? 3名? 1万? ずいぶん離れてんな」
「はっ。少数でしたら対処出来るのですが、1万ですとそうもいきませんので」
「で、3名ってのはやけに具体的だが、何故だ?」
夜警の兵が直接目撃した人数なのだろう。
おそらくその3名が偵察隊。
しかし1万率いるには少々少なすぎる。
「実は……その……」
「なんだ? はっきり言え!!」
口ごもる兵士に、ボティウスは一喝。
こういうときにスパッと報告出来ないのは無能である。
明日になったら、別の傍付に変えよう。そう彼は心に誓った。
「ええと、動きが奇妙と言いますか……あまりに変態的でしたので、強く印象に残ったのですが、その、幻にしか思えず……」
「変態?」
その言葉で、ボティウスの加熱した頭が急速に冷却された。
変態……。
あらゆる国に紛れ込んだ間者が、その地方での出来事や噂を蒐集してボティウスに報告しているのだが、近年、度々文面に『変態』という言葉が現われるようになったのだ。
ここ数年はケツァムと日那からの手紙によく『変態』と書かれている。
いや、まさか……。
ボティウスはかぶりを振る。
手紙に書かれていた変態は、おそらく眉唾だろう。
地域毎の都市伝説のように、まことしやかに囁かれてはいるが、決して実在するものではないはずだ。
あんな変態、人間であるはずがないのだ。
「で、まさかたった3人も止められないのか?」
「申し訳ありません」
もしボティウスが本調子であれば、いまこそ腰の剣で兵士の首を掻ききっていたことだろう。
だが変態ということばで、彼は妙に冷めてしまった。
……いや、逆にその変態がどのような人物なのかこの目で見たくなってしまった。
「皆に伝えろ。俺が出る」
「は? …………はっ!!」
まさかたった3人を殺すために、国王その人が指揮を執るとは思わなかったのだろう。兵士は呆け、しかしすぐに敬礼をした。
国王が出るということは、最大級の力で彼を保護しなければいけないのだ。
それに国王がいるというのに、貧弱な陣形では示しが付かない。
まさか国王御自らが出陣なされるとは。
たった3人を捕まえることもできない、頼りない兵士で申し訳ない!!
全軍だ。全軍をたたき起こすのだ!
兵士は泡を食ったようにその場から走り去っていった。
しかし彼はきっと、思いも寄らないだろう。
国王が3人を捕らえるためではなく、皆に気合いを入れるためでもない。
出陣を決めたのが、変態を見たい。
ただその理由一つだったとは……。
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